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自分を大切にすること 他人を大切にすること 人間関係について
「自分を大切にする」というのは、どういうことでしょうか? 表面的には分かっていても、真髄の部分まで情けなくもまだ私は分かっていません。 自分を大切にする‥自分自身を能力や志を高めていくことですか?命を大切にすることですか? 自分を大切にすると、何かメリットはありますか? よく、「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」と聞きます。この意味は、自分を大切にする=しっかりする。しっかりしていなけれな、他人を大切にできないし守ることもできない、ということでもあるのでしょうか。 「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」=「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守り抜く」ということにつながっていくんでしょうか。 「自分と同じくらい、他人も大切にする」というこのバランス、非常に難しく私自身悩んでいます。 「他人と自分」‥やはり、自然と繋がっているんでしょうか? 「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守るまたは大切にする」の真髄の意味は何でしょうか? ややこしくきれいごとも含んでいるかもしれませんが、皆さんの様々なご意見を聞けたらありがたいです。 どうぞ、宜しくお願いいたします。
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- localtrain470
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一意見です。 自分を大切にすること。=自分(自分の気持ち)をよく知ること、です。 自分の考え、好き嫌い、したいこと、したくないこと、そういうことをおおまかに把握して、行動することです。 そして、他人や周りの出来事との境界線を上手にひける人です。 自分の本当の感情や、今ある状態をおろそかにして、他人を優先すると、どうなるか? 心に大きな不満がたまったり、他人の意思やアクションがないと何も出来ない人間、つまり自分のない人間になったり、いいことじゃありません。 そして、そういう自己犠牲は、かっこいいことじゃありません。私は他人のためにこんなに頑張っている、と自己陶酔してるだけです。そのイメージに依存してるんです。 あなたが、何かを他人にしてもらうとき、その人が大きな犠牲を払っていたら、よい気分がしますか?しないでしょう。そして、その犠牲のためにその人の人生や生活に支障が出ていれば、どうですか? 自分を大切にできる人は、他人から頼られても、巻き込まれてコケたりしません。きちんと、ここまでは大丈夫、ここからは無理、という心の境界線がひけるからです。 一線をひくことが、他人のためにもなるんです。一緒にコケて転落するほうが、その人にとっては良くないことなんです。 自分はここまでは大丈夫、という範囲を拡大することは出来ます。 自分の限界をわかっていて、もうちょっとは大丈夫、と粘り続ければ、本当に心の強さがアップしてくると思います。 結果はたから見れば「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守るまたは大切にする」(つまり自己犠牲)に見えるかもしれませんが、ちがうんです。自分がそうしたいから、頑張っただけなんです。自分自身の気持ちに誠実に立ち向かって戦った結果なんです。 そういうことだと思います。
- yumematoi
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自分を大切にすること‥‥‥。 それは、命の尊さを知ること、それは、命を慈しむ事ではないでしょうか。 この世に生を受けているものは、全てかけがえのないものだという事でしょう。 私たちも、他の生き物のおかげで生きていく事が出来るのですし、それを知ることで感謝する心・平穏な心を持つ事が出来るのでしょう。 そこから、やさしさや思いやりが生まれ、人と人とが助け合って生きていくコミュニケートが出来てくるのだと思います。
- noko_178
- ベストアンサー率9% (3/32)
こんばんは。 私も以前はそれが全く理解できませんでした。だからなのか、自分はもちろん他人にも欠点ばかりに目が行ってしまうし、自分自身のことも全く好きではありませんでした。だけど恋愛を通して、自分を大切にする・大事にする=自分を好きになるという事を少しずつ理解できるようになってきました。嫌いなとこたくさんありますけど、なんでも良い部分を見て行けばいいんだなと思ってます。 自分自身を好きではないのに付き合う相手には、もっと私を好きになってよ!なんでもっと好きになってくれないの?と言っても、それってなんだか傲慢だよな、と思うんです。逆を考えても同じで、相手は自分のことをこんなヤツと思っているとして、そんな風に思っているのに、私にはオレのことをもっと大事にしてくれよ!とか好きになってくれよ!と言われても…なんでよ、ヤダよ!って思います。 >自分を大切にする‥自分自身を能力や志を高めていくことですか?命を大切にすることですか? ↑それももちろんそうだと思います。それに自分を大切にするって、どんな時でもできます。私はすごい簡単な言葉でしか書けないですけど、早寝早起きをするとか体に良いものを食べるとか。疲れたなと思ったらゆっくりお風呂に入るとか。人間関係でも自分自身を大事にする術を覚えれば、疲れないし傷つかずに済みます。他人を軸にして自分の行動を決めるのではなく、自分を軸にして行動して行くこともそうじゃないのかな、と思います。ただ自己中にならない程度にでですけど…。 >自分を大切にすると、何かメリットはありますか? 以前より人や物事に寛容になれたと思います。それにあまりくよくよ悩まなくなりました。 文章を上手く作れないので長くなってしまい大変申し訳無いのですが、apple_tenさんのご参考になれれば幸いです。
自分の頭の中の世界を大切にする事ではないですか。あなたの頭野中の世界でも周囲の人は見えます。しかし実際はあなたしか生きていませんほかの人は操り人形のようなものです。実際しかしこの操り人形はあなたの言うとおりに動かない事もあります。このことを大切にできるかどうかだろうと思います。頭の中の世界と外の世界の両方を大切にするということかと思います。
「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」 単に一般的なセオリーです。教育ママのセリフです。自分を大切にできる人、というのはある程度幸福で、強く、余裕のある人、理にかなった人です。こういう人が大抵、他人にも優しくなれる人だし、そういう優しさは、自然で、幸福の理に叶っている。というだけで、自分をボロボロにしても人を幸せにしようとする人も稀にいます。なげやりな優しい人もいます。 他人と自分をどうとらえるかはとても大事な問題です。 例えばあなたにとって自分自身が確かな存在であれば、他人も同時に確かな存在だ、かけがえの無い存在だ、と考えることができるかもしれない。一方、貴方が見た青い空と他人の見た青い空は同じかなんて分からない、他人が自分と同じ存在かなんて分からない、となれば他人が自分と同じようにかけがえがない存在であるとは言いきれない。 「自分を犠牲にして愛する人を守る人」 他人に、自分自身と同じかえかげのなさを感じる人。他人の中に自分の生の希望を同じように、あるいは、それ以上に見出せる人。あとは単に勇気がある人。
- shift-2007
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大切にするということは、それに対して良い事を行うということじゃないでしょうか。 しかし我々は、本当に自分にとって良いことが何か分かっているでしょうか。 健康に留意すること、自由であること、善悪を正しく判断できること等々。 これは個人的な価値観とは違います。突き詰めれば人というものにとって良い事、ということです。人とは私であり他人のことです。 何が良い行いか分かっている人が行う行為が正しい行為じゃないでしょうか。 しかし我々は、見た目の”行為”に気をとられて、ある行為を行えば正しいのだ、と思いがちです。これは本末転倒じゃないでしょうか。 例えるなら”犠牲”という行為です。 見た目の行為を問題にするためにバランスという基準が新たに必要になるのではないでしょうか。
自分を犠牲にして誰かを守るのは死ぬときだけです。愛するとは誰かのために死ぬことです。 そこまでいかないのなら愛しているとは云いません。普通の愛はそれで否定する気はありませんが、最後まで追い詰めるとその一点になります。 自分が死んだら他の人も死ぬのでは愛したことには全然なりません。 自分を大切にすると云うのは誰かのために死ねるだけ、心も体も健康である事だと思います。 誰かのために死ぬことが一生無ければ、それは皆なにとって大きな幸福です。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
自分を犠牲にする・・・まあ、自分はそれでも良いでしょう。非常に英雄的で名誉な行動なのでしょう。 でもね?その周囲の人はどう思うでしょうか?特に守られた対象は?きっと”犠牲にさせた”事に対して罪悪感を抱くのではないでしょうか?少なくとも悲しむだろうしね。(他の方の回答を見てみたら、これについては既に#1さんが言及されていますね) う~ん。というか、僕の言いたい事は全て#1さんが既に仰ってますね。 まあ、僕もその意見に賛成と言う事で。
- big0822
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個人的意見なので答えとなるかは分かりませんが。 自分を大切にするとは、自分に対して過度に悲観的になったり絶望したりしないことだと思います。自分の欠点を客観的に見るのは良いのですが、悲観的になりすぎて、その欠点のために自分は駄目なんだと考えてしまうことは、自分を大切にしていないのだと思います。 自分を大切にできなければ、他人も大切にできないという意味は、他人を大切にすることは、多くの場合、自分の利益となることであり、自分を大切にすることにつながる、ということだと思います。他人に対しての思いやりなどは結果として自分に帰ってくるものです(相手にもよりますが)。 自己を犠牲にしてまで、愛する人を守るまたは大切にする、ということは、一見すると矛盾しているようにも思えますが、自分の遺伝子や、これまでの人生を守るという意味があり、結果としては自分を(それまでの生き方、人生、価値観、人生の中で作り上げてきたものなど)大切にするということにつながるのだと思います。自己を犠牲にしてまで愛する人を守るまたは大切にすることは、自分に対して悲観的な人間が、どうせ自分は駄目だから(年寄りだから、余命が短いから、の場合は意味合いが違ってくると思いますが。)、大切な人が助かるのなら、犠牲になってもかまわない、ということとは違うと思います。
- mac_res
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自分が何を着て、どんな髪型をして、どこへ行くか。 自分が、何を考え、何を語り、どう行動するか。 決定権は、自分自身にあります。 自分以上でもなく、以下でもない普通の状態の自分を表に出してゆくこと。 自我表現を自己決定権の制御下におくことが自分を大切にすることだと思います。 自分と同じように他人を大切にするとは、他人にも同様の自我がありそれを本人の意思で、表現することを認めること。 自我が完成していなければ、他人の自我を理解することは困難だし、その表現を守ることも出来ませんね。 自分と他人双方が自我を主張すれば、葛藤が起こります。どう折り合いをつけ、協調、共生して行くか。自我とはさらに上の次元で、調停を行ってゆく必要があります。 「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守るまたは大切にする」意味は、自我の上の次元での共生だと思います。
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