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江戸城中のとある曲輪他の名称
江戸城本丸にある富士見櫓の東側に、この櫓下の曲輪から本丸に抜ける通路があります。ここで質問なのですが… 1.この通路の名称 2.富士見櫓下の曲輪の名称(現在、宮内庁車馬課の建物や旧枢密院がある辺り) ご存知の方いらっしゃるでしょうか。 東京都中央図書館が公開している江戸城の図面から探しているのですが、何が書かれているか判読できません。
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質問者が選んだベストアンサー
かなりの専門家とお見受けしました。 こっちから質問してしまいますが、東京都立中央図書館って工事中で閲覧できないと聞いてましたが、入館できるのですか。 さて、江戸城の図面とは甲良家に伝わっている図面のことですか。 この図面が引用されている本を持っていますが、そこにはここの曲輪のところに「御本丸富士見下 御金蔵前ト云」と書いてあります。 また、この図をもとにしたと思われる本丸の復元図も乗っています。復元監修は城郭建築史で有名な平井聖氏です。それによると、富士見下から西の丸からに通ずるのは蓮池門、二の丸へ通ずるのは寺沢門、本丸へは下埋門を経て坂を登っていくようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 まず、資料についてですが、実物の閲覧ではなくホームページ上で公開されている画像を参照していました。ご質問のとおり、東京都立中央図書館は現在、工事中で年明けに再開すると聞いております。 江戸城の図面は甲良家伝承のものです。質問した地区は「御本丸富士見下 御金蔵前」と称するのですね。参考になります。 この質問をしたのは、天皇誕生日一般参賀の折、宮殿から桔梗門までの道すがら「このあたりは当時は何と称していたのだろう」とふと疑問を抱いたからです。 江戸城跡は特別史跡といいながらも、濠の埋め立てやコンクリート舗装ほかで建築的な価値が著しく損なわれてしまったと思っています。