バルチック艦隊はスエズどころかイギリス本国の目の前のドーバー海峡も通っています。
当時の日英同盟では、条件によっては必ずしもイギリスの参戦は義務ではありませんでした。
交戦国が複数ならば、参戦の義務が生じますが、交戦国が一国のみの場合は中立を守り外交上味方するという内容でした。
当時、日本の駐英公使だった林公使は、イギリスに日英同盟の条約の履行を求めており、それは条約に則ったイギリスの中立と、第三国の戦争介入を阻止してほしいというものであり、イギリス政府もこれを了承します。
その為、イギリスはバルチック艦隊と直接、戦闘するような事はありませんでした。
ただ、これにはイギリスがヨーロッパでの戦争勃発を望まなかったからだとも言われています。
ロシアはフランスと露仏同盟を結んでおり、もしイギリスがバルチック艦隊を攻撃すれば、フランスとも戦わなくてはならない状況になる可能性がありました。
イギリスとしても極東でのロシアの勢力拡大は抑えたいですが、その為にヨーロッパで大きな戦争を起こすのはリスクが高いとの判断があったようです。
ロシアと同盟を結んでいたフランスも、ロシアの極東での勢力拡大の為に、戦争に参加するのは否定的だったようです。
1904年に、それまで植民地をめぐって敵対していたイギリスとフランスは「イギリス・フランス協商」を結び、一定の友好を結びますが、これは両国が日露戦争に巻き込まれ戦争に参加するのを嫌ったからだと言われています。