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江戸時代、身分証を持たない人間はどんな扱い?
犯罪者扱い?それとも逃亡奴隷とか? 昔、どこの村にも所属せず身分証のようなものを持たない人間はどういう扱いだったんでしょうか? 身元不明でも金を持ってれば引越しや新居に定住は簡単だったんでしょうか。 教えてください。
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そのような人を、無宿者と呼びます。 詳しくは、日本史の専門書を読んでくれとなりますが、とりあえずはウィキの記事を参照してみたらいいでしょう。 鬼平犯科帳の主人公である「長谷川平蔵」の史実の姿について、調べてみるのも参考になります。(無宿者の江戸での実態と、人足寄場の設立など) 参考: ウィキペディア『博徒』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%BE%92 長谷川平蔵―その生涯と人足寄場 http://www.amazon.co.jp/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%B9%B3%E8%94%B5%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%A8%E4%BA%BA%E8%B6%B3%E5%AF%84%E5%A0%B4-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%BB%9D%E5%B7%9D-%E6%94%BF%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4122021170
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- hukuponlog
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江戸時代、と一口に言われる方が多いのですが江戸時代は260年以上続いています。たかが64年程度の昭和時代でも、戦前・戦中・戦後の高度経済成長・バブルの頃で、様子は全く違いますよね。 例えば、「昭和時代は、思想が統制され、政府に批判的な人物は拷問を受け殺された。政府は対外戦争を常に行い、軍事費は年々増加していた」と書かれたら、どう思いますか? 戦前・戦中の15年程度(全体の1/4)を表す事実として間違ってはいませんが、それが「昭和時代」全てだと言われたら、「そりゃ違うだろう」と思うでしょう。 江戸時代はもっと複雑です。なにしろ260年間ですし、各藩は今で言えば独立国ですから、独自の行政権・司法権を持っています。つまり「無宿人」の扱いも、時代によって・藩によって対応は異なり一律の回答はできないということです。 多くの人が「江戸時代」と言って、質問・回答する場合、「江戸時代後期、文化・文政期前後」という260年間のうちのほんの30~40年程度(全体の1/8)の「江戸」という、今で言うと東京23区よりもずっと狭い地域を対象に言っています。 つまり、きわめて特殊な事例を、あたかも全体であるかのように回答し、納得しているという不思議な現象が起きているのが今の「江戸ブーム」というやつです。 それを前提(限定された時代の限定された江戸と言う土地の話)に回答すれば、 >どこの村にも所属せず身分証のようなものを持たない人間はどういう扱い 「無宿人」と言います。凶作や人減らし(耕す土地が無い次男・三男など)などで「欠け落ち」して江戸に出てくる人はかなりいました。今で言う、違法滞在の外国人の生活を想像してもらえばよいでしょう。 もちろん、正当な権利はありませんし、何かあれば取締り(人返し令)の対象となりましたが、日常生活は出来ますよね。同じことでした。 江戸時代後期になってくると、こうした人たちを受け入れるシステムが江戸には出来ていました。具体的には、今で言う「派遣会社」に当たる「桂庵」という私設職業安定所がありました。 本来は、「無宿人」を紹介することは禁じられていましたが、そこは色々あって、安い(ピンはね率が高い)賃金で我慢するなら、登録も派遣もしてくれるところがあったのです。 >身元不明でも金を持ってれば引越しや新居に定住 住まいも同じことで、いくらかの金銭を払って「保証人」となってくれる制度(これは今でも保証人代行業として、あります)が出来ていました。桂庵自身が「保証人」となる場合もありました。 また、これも不法滞在の外国人と同じですが、同国人(同郷人)を頼って仕事を紹介してもらう、住まいを紹介してもらうという事例も多かったようです。 もともと江戸という町は地方移住者の集まりですから、近所付き合いをきちんとして礼儀正しければ、身元を詮索するような人は少なかったのです。これも今の不法滞在の外国人と同じですね。
長谷川平蔵さんのお世話になる「人足寄場」に収容された人たちは農村から身分を持たず江戸に流れ着いた人々ですね。