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素読
カテゴリー選択を「国語」か「文学」で迷いましたが。 自分の通っていた小学校教育の中で、毎日のように漢文の素読をさせられていたのですが、果たして意味があったのか?と最近思うようになりました。 っで、そのままなんですが、素読する意味はあるのでしょうか? 文字を読んだという記憶はありますが、物語の内容は全く覚えていませんが。 素読教育に関して何か知っていれば、お願いします。
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- LN-TF
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既に回答があがっている通り「素読」と云うのは漢文教育の一環として行われていたようです。少なくも江戸時代の寺子屋教育では、文章の調子を会得する、典型を文字通り身につけさせると云う目的があったようです。「良い文章」を暗唱させる事により、優れた修辞法を叩き込むと云う事です。大体「論語」とか「小学」などが使われたようです。 明治・大正・昭和の戦前期に学校を出た人の文章を見ると独特の張りがある人が多いです。又、漢文脈の表現を嚢の中取り出すように自由に使いこなしています。これは素読教育によってリズムや豊潤の語彙脈を体に染み込ませたからでしょう。 その意味では当時の児童には辛い事だったかも知れませんが、「つべこべ云わずに云われた通りに覚える」事も初等教育では必要でありその典型だろうと思います。又声に出して読む事によりリズムをまさしく体感できたと云う長所もあります。 記者の頃には丸暗記は馬鹿を作ると云って素読や暗唱は行われませんでしたが、今にしてみれば屁理屈を云わずにその儘覚えておいた方が良い事も少なくなかったと思う次第です。 現在の様に解り易く老若若女問わず読め、洋語脈に文章をする事が良いと云うのでは日本語の培ってきた漢文脈を打ち捨てる事になり表現の幅を狭めるようの気がするのは記者のみでしょうか。
- kzsIV
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源氏物語に「(光君)七つになり給へば、(帝)ふみはじめなどせさせ給ひて」とあります。素読は数え年7歳になると始めます。早い子は満5歳から始めることになります。従って素読はテキストを解釈するのが主目的はではなくて、テキストを記憶するのが主目的です。本格的な勉学に入ったとき、「訓読の仕方」「訓点の付け方」などの課程は改めて学ぶ必要がありません。漢文が正課必修であったころのお話です。 現在、漢文は高校生になってから(数え年16~17歳で)訓読文読解教育が行われますが、20世紀前半には、旧制中学1年で(数え年13~14歳で)白文読解型の教育を受け、相当の漢文力を身につけたようです。しかし、そういう人達も、「素読教育」をしてきた人にはとてもかなわないと感じていたようです。 仏教の教学では幼い小僧のうちから読経によってテキストを身につけます。 かな文字も習わないうちから、百人一首カルタで読み手になって、読み札の絵を見て読んだ少女が昔はいたそうです。 今でも「九九」は「素読教育」ではありませんか?
- kogotokaubewe
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先の回答者もおっしゃっているように、 はてなキーワード > 素読 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%C7%C6%C9 --------------------------------------- 素読そどく(読書) 文章の意味を気にせずに,暗誦できるようになるまで,繰り返し音読することがもともとの素読. 明治期以前は「論語」などをテキストに漢文の習得方法としてひろく行われていたという.有名な話では,湯川秀樹もこの方法で漢文脈に親しんでいた. --------------------------------------- ということです。 しかし、「漢文」の素養が昔ほど重要でなくなってしまった現代では、かつてほどの価値はもたないのかもしれません。 ひとつ考えなくてはいけないのは、中学校以降、あなたがどんな教育をお受けになって、どのような道に進んでいらっしゃるかです。 中学以降はそのような教育はお受けにならず(=素読の成果が継承されず……漢文を習うのは高校ですね)、ご自身でも漢文とは縁のない道を選んでお進みになったのではありませんか。 このカテゴリーにちょくちょく出没している私などは、もし小中高とずっと素読を重視する教育を受けていれば、漢文の大家になれていたかもしれなかったなあ、とか思わないでもありません。 たとえば、極端な例かもしれませんが、掛け算の九九を覚えさせられても、「計算なんかほとんどしない、しても電卓でやるから九九は忘れててもどうってことない」という生活を送ってしまえば、なんであんな努力させられたのだろう、九九を覚える価値はあったのだろうか、ということになるのではないでしょうか。 ともかくも、 感性をきたえる素読のすすめ―くりかえし声を出して古典を読むことの楽しさと価値 (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E6%84%9F%E6%80%A7%E3%82%92%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%88%E3%82%8B%E7%B4%A0%E8%AA%AD%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E2%80%95%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%88%E3%81%97%E5%A3%B0%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%A8%E4%BE%A1%E5%80%A4-%E5%AE%89%E9%81%94-%E5%BF%A0%E5%A4%AB/dp/4778200020 というような本も出ているようですから、あながち無駄というわけでもないでしょう。 故事成語の話などお読みになれば、あ、あの時の話だというのがあったりして、なつかしく思われることもあるのではないでしょうか。 故事成語のサイトはたくさんありますが、とりあえず目に付いたのを一つあげておきます。 http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/kojiseigo.html
- fumkum
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>素読 「読書百遍意自ずから通ず(読書百遍義自ずから見《あらわ》る)」ということだと思います。古くからの漢文教育の伝統的な方法だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。