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近代化と事が起きた理由

「近代化」という言葉に含まれる現象は様々にあると思いますが、 そういうものが起きてきたのは人類の何千年の歴史の中で 最近200年かそこらの事に過ぎず、その発信源となった地域も全地球 からみるとごく限られた範囲になります。 なにせ現代でも完全には近代化できてきいない国はたくさんありますから。 しかし考えてみれば本来は近代化などという現象が存在しない状態の方が、人間の当たり前の姿のようにも思えます。 たとえば、人間が限られた範囲で日々生きていくのに精一杯でなおかつそれで十分と考えている 時代であれば、村落共同体や部族社会といったような伝統的な枠組みを 越えた国民国家などというものを作る動機は出てこないでしょう。 掟や情実、権威者の裁定のような「人治」より均一的な「法治」に人間が従うようになるのも簡単な事ではありません。 物事を原理から考えたり、矛盾点をとことん突き詰めるよりも 生活に必要な範囲を経験則だけで処理したり、 昔からの言い伝えをそういうものと受け入れてる方が楽なんですから 科学的思考法をわざわざ発明することもありません。 未知の事象には不安を覚えるのが人間の性であり、技術革新で権益が侵されると考える人も多い状況で、 産業革命して工業化していくのは難しいでしょう。 その他諸々人間のオーソドックスな方向性に反して近代化という現象が現れた理由は何なのでしょうか?

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回答No.5

それはやはり、「必要性」という動機が1番大きいと思われます。特に私個人としては、16,17世紀の小氷期(近世の氷期ともいう)という寒冷化の時代の、低生産率時代に、どうやって生活を活性化し、安定化できるかというものが、技術革新を促したと思われます。 このような、自然現象が促すものが結構史上には多いものです。たとえば中世の氷期ですね(ヨーロッパで黒死病が蔓延した時代)、あれによって政治形態もかなり影響を受けました。人災でなく天災です。日本でも鎌倉幕府滅亡の流れでこの寒冷化を考えるべきだと思います。 ですが、この寒冷化そ過ぎると、社会変化が促され生産性は向上したはずです。それは、このストレスというトリガーがあったからです。 またご質問の趣旨の、古代からの流れですが、これも弥生の小氷期というものがあり、これが生産性をアップする必要性から、政治形態をより中央集権化させる必要性を生み、古墳時代への架け橋になった。 そして、自然のストレスがない温暖化時代。これは文明前は得てして停滞している(縄文時代)ことが多いようです。が、常に人口増加による領土拡張耕地拡大に向かうと言う、量的な増強があります。 人間はこの2つの、質、量の向上を迫られる動物ですから、当然それを満たしたからこそこういう状態で生き延びてきたと思われます。その結果がなんとも醜いことになりましたけどね。

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noname#77472
noname#77472
回答No.4

何の根拠も証拠も持たずに講釈しているだけでは逆に混乱し、 参考にはならないでしょうから私も日本の高度成長を例に取ります。 明らかに国民所得や文化レベルはアメリカに劣っていました。 日本は「貧乏」であったのです。 テレビ、冷蔵庫、洗濯機は三種の神器とも呼ばれていました。 車などは不必要品であり、徒歩と電車バスが普通でした。 東京の下町には町工場(個人経営)が立ち並んでいました。 アメリカに見習い、生産ラインと合理化を研修します。 大量生産(重工業)の時代に突入します。 大量の安価な部品の入庫から出庫までを全てライン化し、 一本の線にします。 大量に安価に入庫出来ない会社を切って行きます。 無駄を省けず、コストの下がらない企業は切り捨てます。 品質の高い会社と取引します。 その結果、町工場は次々と閉鎖します。 別に法律で近代化しろとは言いません。 作る権利も売る権利もあります。 但し江戸時代の手工業のような まばらな品質と高い工賃の粗悪品は売れません。 1本10円のボルトを300本作って売っても食う事も出来ないでしょう。(含む原料費)店を閉めるのは個人の判断です。 コストダウンや経営能力、ニーズに答える販売戦略のセンスが無いのだ。どこでもまね出来ない技術を持つ努力を怠った人間だ。 と酷評され、悪い見本にされて終わりです。

  • cse_ri2
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回答No.3

うん、いい質問ですね。 これに対する私の回答は、16世紀に起きた宗教改革と答えておきましょう。 中世の時代は、王様がいて貴族がいて、彼らが庶民を統治するというのが当たり前のことでした。 時々反乱が起きることもありますが、大きな目で見れば身分制社会が崩れることはなかったのです。 宗教界でも、法王がいて枢機卿がいて、その下に司教がいるというヒエラルキーについて、何人も疑いをもっていませんでした。 しかし、ルター及び彼に続いたカルヴァンの宗教改革が、それを一変しました。 彼らは、神の下ではすべての人は平等であると説き、それが受け入れる人が増えるにつれ、社会構造が激変したのです。 言うなれば、人工衛星から地上を見れば、地上の大山脈もちょっと皺が寄っているに過ぎないのと同じ様に、人の身分の上下も絶対なる神の前では意味がないと主張し、それが法王を頂点としたカトリックの権威を否定し、さらには世俗社会の身分制度も否定する原動力となりました。 宗教改革の少し前から進展したルネッサンスが科学の発展をうながし、そして宗教改革が、民主主義社会と自由な経済活動を許容する資本主義の発展の礎となったのです。 参考: 『痛快!憲法学』(小室直樹/集英社インターナショナル)  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797670312/qid%3D1058417067/250-5430379-6264247 もしくは『日本人のための憲法原論』(小室直樹/集英社インターナショナル)上記書籍の愛蔵版です。  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797671459/ref=sr_1_1/250-4608313-3657825

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797670312/qid%3D1058417067/250-5430379-6264247
noname#101110
noname#101110
回答No.2

難しい設問ですね。大雑把に言って、太古の海に生命が発生したように、人間の好奇心と欲望とが絡み合って化学変化し、火がつき、近代のカンブリア爆発が起こったということでしょうか。それが良かったとか悪かったとかいう判断は人間に刷る四角はないと思います。貴方は近代化に否定的なのですね。随分恩恵を被っている面も多いと思いますが。

  • a-koshino
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回答No.1

これです、という回答は出せない問題という前提で、いささかとりとめなく。 今日の物差しで、より合理的、科学的なほうが、戦った場合に有利だからでしょうか。勝った側の体制しか残らないので、当然といえば当然かもしれません。 なぜ国民国家が世界標準になったかといえば、愛国心で戦う国民軍のほうが傭兵より強かったからですし、民主主義が世界標準になるのは、君主制より民主制のほうが、体制として残ったからでしょう。第一次大戦の結果、中欧の君主制国家は軒並み革命で倒れました。総力戦を支える国民負担に耐えられなかったわけですが、米英仏が勝ったのは民主主義国だったからなのか、あるいはそもそも豊かだったからなのかは、判断が難しいです。 たとえば日本の天皇制に近代的要素は皆無ですが、残っているという事実に基づけば、日本社会に根ざすなんらかの合理性があるんじゃないか、と考えられるわけです。

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