そうした看板は、まあ「念のため」ぐらいに考えればいいと思います。
駐車場といっても色んな形態がありますよね。単に地面を適当に区画して、空き地を駐車場にしちゃったという程度のものもあれば、ビルの地下部分に管理人を置いて厳重な管理をしているような駐車場もありましょう。当然料金も高く、期待する事故防止機能なども異なってしかるべきでしょう。
そこで考えれば、空き地の一角に過ぎない駐車場に、近所の子どもが紛れ込んで100円玉を使って傷をつけた場合、それをすべて駐車場の管理者の責任にすることはできませんよね。また、そういう駐車場だとわかって駐車しているんだから。
しかし、高度な管理をしている駐車場で、子どもが自由に出入りできるというのは、管理不足であり、管理人がうっかり見逃したなどということも考えられます。それであれば、駐車場側に責任がある場合もあるでしょう。
洪水などでも議論が分かれるところで、周辺より低地で水はけの悪い空き地を駐車場にしていて、豪雨で車が水没したときは、これは天災でもありますが、一方でそんなところを駐車場にしたものの責任、ある程度想定できたはずの利用者が甘受すべき点、考えるべきことは多いですね。
地下の駐車場などは、ゲリラ豪雨には弱そうですが、それも双方に事情となるでしょう。設計する際にある程度の豪雨は想定して防止設備を置くべきという考え方もあれば、利用者も一般に弱そうなことぐらいは事前にわかるだろう、第一天災だから誰にも責任がないだろう、色んなことが言われるでしょう。
それらを「総合的に」(つまりはエイヤと)勘案して、負担を決めるわけです。そのときに、「一応看板で俺は知らないと書いておいたじゃないか、承知の上で停めたんだろ」くらいのことを事情の1つとして語るくらいのことでしょう。
リスクを保険で回避しておくのも、社会の制度としては、1つの解決策かもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 やはり『事情の1つ』程度のものなんですね。