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源氏物語の作者
源氏物語の作者は紫式部というのは、有名な話ですが、その他にもいたというのは本当なのでしょうか。作者複数説についてご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。
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- LN-TF
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先ず、紫式部自身の書いた「源氏物語」はおろかその時代に書写された本もたとえ部分であろうと現在ところ見つかっていないと云う点に注意して下さい。おそらく書写をかさねるうちにだんだん細かい部分で変わってきた箇所も少なくないだろうと思いますが、それも確かの証拠がないのでわかりません。仮に二つの系統の本があってもどちらがオリヂナルにヨリ近いのか或いはどちらも違うのかすらわからないのです。 とは云え物語全体の調子が違ってくればもしかすると違う人がとも考えられます。これが作者複数説の始まりですね。 又、書写するときに間違った語法や下手な歌などに手を入れた人がいるかも知れません。その意味ではいま見られるものは多くの人の手を経たものでしょう。 No.1の方の説は禹域の明の時代には「書会」というものがあって通俗小説(白話小説)などを拵えていたとされます。いわば通俗小説の工場で手分けしてお話を拵え親方が手を入れて整理して完成させるのです。それを連想いたしました。総題や全体の梗概などを決めれば出来るのかもしれませんが当時そのようなプロジェクト的な作業が文学それも女房にできたすこぶる疑問を感じます。
- gaikokusum
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歌人の与謝野晶子さんは或る時点で別の作者に換わったと言う説を唱えています 和歌の調子が紫式部と違っているのが論拠です
お礼
和歌の調子からもわかるのですね。ありがとうございました。
- Domenica
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源氏物語大好きなオバサンです。 源氏物語を『紫式部』が書いたとされる根拠は、「紫式部日記」に「それらしき記載」があるからです。 「紫式部が作者ではない」という説もありますし、複数の作者がいたという説もあります。 まず、有名なのは、宇治十帖については、紫式部の娘である『大弐三位』が書いたという説などもありますね。 少し前に放映されたTV番組では、「源高明」を作者としている説を取り上げていました。 別作者説、作者複数説については、ウィキペディアにも詳しい記載があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E 私の説は少し違いまして、複数の人間で構成された「紫式部」という『サークル』のようなものが存在して、その中心にいたのが「藤原為時の娘」で、何人かがプロットを練り、お話を作成させておいて、「藤原為時の娘」が完成させていたのではないか…というものです。 ですから、本編では文章の構成や言葉の使い方に統一性があるのではないか…ということです。
お礼
わかりやすいご説明ありがとうございます。作者が紫式部ではないという説もあるんですね。その『サークル』のようなものという説もとても興味深いです。参考にさせていただきます。
お礼
ご回答ありがとうございます。執筆当時のものは残っていないのですね。勉強になりました。参考にさせていただきます。