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バスク祖国と自由(ETA)の言語について
スペイン東北部4県と、フランス西北部3県にまたがって生活 しているバスク民族ですが、この民族は印欧語族とは共通点を 持たない言語を用い、また、独自の文化をもっているようですね。 この民族の言語・文化について教えてください。 また、EUからテロ指定組織として認定されている「バスク 祖国と自由(ETA)」に関しても基礎知識を教えてください。 これはアンゴラとは違うのですよね?
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バスク語ではっきりしている事はヨーロッパの言語の元になったインド・ヨーロッパ祖語と関係のない孤立した言語ということだけです。他の言語との関係がいまだに明らかにされていない言葉です。 バスク語を話す人びとはバスク人と呼ばれスペインとフランス側に住んでいます。 国家を持たないバスク人はバイリンガルですが、スペインがフランコ将軍の統治下にあった約40年間はバスク語が禁止されていたため、バスク人全てがバイリンガルでもないようです。バスク人と日本との最初のかかわりは16世紀に来日したフランシスコ・ハビエル(シャビエルともいう)です。明治以降今日まで多くの聖職者や大学教授などが日本で活躍しています。 ETAはフランコ将軍のバスク弾圧に対して独立を求めて立ち上がった民族をあげての独立運動でしたが、フランコ死後、スペイン政府はある程度の自治権を認めたりして懐柔策をとってきたため、支援者が減少してきていると言われます。バスクの独立への強い望みは過去の歴史を見ると理解出来ます。 8世紀初頭アフリカからスペインに攻め込んだイスラム教徒はスペインを征服し コロンブスが新大陸を発見した年まで約8世紀に渡って(後半は南部のみ)スペインを占領していました。この間バスクはピレネーの山間部に難を逃れたキリスト教徒と共にイスラム教徒から独立を守り、それが後の国土回復へとつながっています。 更に古く、北から侵入したゴート族(スペインに西ゴート王国を樹立)に国土が占領されたときも国土を守っています。キリスト教を受け入れたのも非常に遅く11世紀ごろです。 ETAの無差別爆破、政府要人暗殺は容認出来ませんが、もともとは少数民族の弾圧が原因なので同情すべき点もあります。 詳細はバスク、ETAなどのキーワードで検索して見てください。
お礼
丁寧に回答ありがとうございました。 とてもわかりやすかったです。 ということは8世紀以前からその地に住んでいたということに なりますね。 古い!