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世界を作ったのは私
世界を作ったのは私 この単純な結論に至りながら、なぜそう思うのか今一つピンときません。 鍵穴から世界をのぞいている様なもどかしさがあるので明確に結論を導きたいと思います。 世界を作ったのは私である理由、根拠は何でしょうか。 そんなはずはないという反駁でも結構です。
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- cyototu
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「世界を作ったのは私」も「私を作ったのは世界」もどちらも間違いです。私と言う存在は、即、その世界を規定し変えてしまいます。と同時に世界の存在は私を規定し変えてしまいます。私の生き様の変化が私の脳の中に投影された世界を変え、その変わった世界が自己の生き様で象徴される私自身を変え、と繰り返しながら収まる所に収まって新しい構造ができて来る。このように自分が他に影響を与え、その変化がまた自分に跳ね返って影響を与えて自分自身が変化する現象のことを、数学的には非線形現象と言います。また、このようにして収まるべき所に収まって出来た構造のことを近代物理学の用語では「散逸構造」と言います。そして、この収まった所からのずれを、「揺らぎ」と言います。この揺らぎは一般的には思春期が一番大きいようです。しかし、その揺らぎの最大振幅が訪れるときは人によって違い、人生の転換期がずっと後になってやってくる方も一杯います。 また、散逸構造の理論によると、この揺らぎが大きくなったとき、すなわち系が不安定になったときに、全く新しい構造が生まれてくるのです。新しい世界の発見であり新しい自己の発見です。ですから、「私が世界を作り、その世界が私を作っている」と言うのが、正しい認識です。
- QES
- ベストアンサー率29% (758/2561)
お気の毒ですが、世界がお膳立てされて「私」の人生が始まり、私が消える時に世界も終わります。 私が見た物、聞いた物、感じた物だけが実在し、見ていない世界は幻です。 もちろん私が見たことも無いshift-2007さんの存在もなく、万が一出会ったらその時初めて私の為に存在が許されます 私の人生という劇の始まる以前に世界は無く、幕が下りた時点で全てが終わります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一つツッコミを入れさせていただくなら。 私が消える、人生の幕が下がるということはないです。 なぜなら「私」にはそれを認識できないからです。
- taunamlz
- ベストアンサー率20% (175/843)
そんなはずはありません。 世界は私が作ったのですから。
お礼
まさにその通り。
- ap10
- ベストアンサー率33% (453/1356)
ご本人だけの結論を提示されて、その結論に至った理由を教えてくれと言われても難しいとしか言えません それは一般的な話や論理が一切使えない可能性が高いからです また「世界」が何を意味しているかでも相当話が変わってきます 恐らくは「地球や人類を含む世界」の事ではないかと予想しますが、ぱっと読んだ感じでは単純に自閉症な方が「自分だけの世界」にこもっているだけとも取れます 後者では説明が簡単につくでしょう 前者だとしたら、他に何か作った実績はあるのでしょうか? 人間社会を作れたのであれば、今から何かしら作る事も可能でしょう それで確かめる事が可能ではないでしょうか 結論に至る経路を再現すれば証明となりますから、納得するのは当り前だと思います 数学ならこれにより根拠やその論理を理解しますよね もしご質問者様の述べる「世界」を作った事で、他の物を作る能力を失ったのであれば、その作った過程ぐらいは説明できるでしょう それらが何も説明できないなら、その結論は間違ってるとしか言えなくありませんか? また他の物を作る能力を失ってしまって、尚且つ「世界」を作る過程を忘れてしまったというのであれば、ご都合主義過ぎでしょう 漫画やテレビの見すぎかも・・・ 結論は何かしらの道筋がない限り辿りつきません 道筋とは論理的なものであったり、論理関係なく何らかの経験(例えば神の声を聞いたとか)だったりもします しかし、その道筋が判らないというのであれば、結論という事自体が言えないのではないでしょうか 以上より、ご自分で作った「結論」に至る根拠を人に尋ねないで下さい その手法が残念ながら間違ってます
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問はわざと曖昧な言葉で書いています。 言葉を厳密にするとその方向の答えしか返って来ませんので、つまらないし不完全です。高い山には広い裾野が必要なのであらゆる方向からの回答を必要としています。 「作る」とは無から有を生み出すという意味ではなく、私の中に世界の設計図があり、それを元に世界を組み立てているという意味が近いでしょうか。 大工さんのようなものです。大工さんは木材を加工し組み立てますが、植林はしません。 「世界」とは認識可能な全てです。なぜ世界を認識できるのかといえば私が世界を作ったからだと思うのです。 私が地球を認識するのは地球とは何かという概念が私の中にあるからです。その概念を組み立てたのは私です。故に地球は私が作ったのです。 今のところ私が作っていないと思われるのは2つだと思います。 ・物質 ・設計図 >ご自分で作った「結論」 私の結論は恐らく事実です。
- soralice
- ベストアンサー率0% (0/5)
あくまで客観的に…私個人の受けた【世界】ということの定義として考察してみました。 >世界を作ったのは私 これはshift-2007さんがいる場所を定義してるのではないでしょうか。 >鍵穴から世界をのぞいている のぞいている【世界】は普段行動している範囲の外として定義してるのではないでしょうか。 前者は簡単に言ってしまえば、shift-2007さんが住んでる部屋・家も1つの【世界】ととらえれます。まさに【shift-2007さんがいないと存在しない世界】=【世界を作ったのはshift-2007さん】です。 後者はshift-2007さんがいなくても存在する世界…例えば海外であったり、永田町であったりw(関係してる人だったらゴメンナサィw 何も空間だけに留まらず、人間関係も【世界】です。 鍵穴からのぞくしかない=自分の手が加えられない部分がある…それがもどかしさではないでしょうか。 つまるところ、広義的な【世界】は両者を含めた世界。前者は狭義的な【世界】と思っていただければ1つの理由になるのではないでしょうか。 稚拙な考察ですので流し読んでいただければ幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の存在しない世界についてあれこれ想像しても仕方のない話です。 私が認識しうるもの、私が存在している場所全てが私の世界です。 他人という存在も私が作ったので、他人の世界というのは厳密には存在しないのではないでしょうか。 鍵穴とは世界の秘密という意味で使いました。 世界の秘密を鍵穴からのぞいている気分です。 扉を開けるために今回の質問をしました。
- tiltilmitil
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「人間原理」を個人レベルにまで究極化したというところでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なぜ世界を理解できるのかそれは私が作ったからとい事でしょうね。
これから そこそこの民主的で 一人ひとりが自由な 新しい社会を築き 新しい時代をもたらしたときに その一人ひとりが ★ 世界を作ったのは私 ☆ と言い争うほどの事態になるのも いいでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 民主的というのも社会も他人も私が作ったのですから私がそれに対して言い争うのも何か変ですね。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 私とは何かというお題にもつながりますね。 >「私が世界を作り、その世界が私を作っている」 「世界は私として存在している」そういうフレーズが浮かびます。