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おかしな近隣のヒト
近所におかしな老人夫婦がすんでいます。ずっと観察していて、あまり話したことありません。具体的にはいいにくいですが、でも礼儀を感じません。 GOODSとBADSを同じ感覚で販売している業者と同じ感覚を感じます。個性化の課程ってそんなに悪いものなんでしょうか。壊れている成長は犯罪・犯罪に等しいこととかを学習するのでしょうか。 人生の正午があって、何かそれを見ると少し人生後半ってあまりいいようにおもえません。どんな感じなんでしょう。
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- cyototu
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長い間にいろいろな経験をして、その人、その家族、その町、その国が一つの個性、一つの価値観、一つの文化を形作って来ます。経験が違うと価値観も文化も違ってくるのは当たり前です。それが、多様で豊かな世界を作っているのです。それを、こちらの価値観や文化と同じでなくては駄目だというのは不遜です。そんなことを考えていると、反対に誰かからある日突然「貴方の生活の仕方はおかしいから、私たちのように改めなさい」と言われても文句が言えなくなってしまいますよ。どこかの国の薮大統領は自分の国の民主主義を教えてやるのだと言って、勝手に戦争を仕掛け、皆に迷惑をかけていますね。目障りでも質問者さんに実害がない限り、そちらはそちら、こちらはこちら、と割り切っていれば良いのではないですか。 私はアメリカに住んでいますが、アメリカ人で味噌汁の匂いに苦手な人が時々います。まさかそんなことを言われたことはありませんが、「この野郎の匂いが嫌いだ」などと言われたら私たち夫婦は困ってしまいます。私たち夫婦にだって、アメリカ人の常識に中々ついて行けないことがあります。アメリカ人は、人に会うと小さいことでもべた褒めに褒めるお世辞がすごく大げさですし、また、皆が皆ではありませんが、褒められると「貴方気が付きましたか、そうなんですよ、これが私の自慢なんですよ」としゃあしゃあと言います。へーっと、こちらが戸惑ってしまいます。親しくない人から、Thank youと言われたときでも、Sure と応える人が一杯います。sureとは本来は「確かだ」とか「当然」という意味ですから、びっくりしてしまいます。辞書で引いてみると、これを敢えて「どういたしまして」と訳していますが、余りにもこの言葉を使う人が多いので、慣用句になってしまい、好意的に訳しているのだと思います。でもこれらは皆、単に習慣や文化の違いなのですから、そんなもんかと一々目くじらを立てないようにしています。 もし、雰囲気以外に実害がないなら、放っておくことをお薦めします。たとえば貴方がどんなに自分に自信を持って生きていても、どこかで貴方を変な奴だと思っている人間がいないともかぎりませんよ。もし気持ちが悪いという以上の実害があるのなら、それをもう少し具体的に書いて、皆様に相談することをお薦めします。
- kigurumi
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あの・・・ >GOODSとBADSを同じ感覚で販売している業者と同じ感覚を感じます わかるようで、わかりません。 goodは良いという意味がありますが、複数形になると <品物>って意味です。 品物という意味で使ったわけではないと思えますが、あなた独自の造語を使われると、他の人は何を言いたいのか、ピンとこず、答えに苦慮しますよ。 >個性化の課程ってそんなに悪いものなんでしょうか >壊れている成長は犯罪・犯罪に等しいこととかを学習するのでしょ も、いまいち 言っていることがわかりません。 もう少し 読み手にもわかるように質問された方が回答がつきやすいのではないでしょうか。 それと1=全部じゃないです。 ある人は浮気をして、回りからやめるように言われたら開き直った。 「みんな やってるじゃないか 俺ばかりが悪いわけじゃない」と。 「みんなとは誰ですか?」と聞くと「うちの会社の部長は浮気している」と答えた。 「他には?」 と聞くと「部長が・・・」とまた同じ答えをした。 「皆とは大勢という意味です。 部長一人は大勢とは言いません。部長が浮気をしているから全員やっている、だから自分も皆だから浮気をしていいとはなりません。あなたは皆ではない。」 本人はハッと気づいたようです。 一人でもいたら 全員だと都合よく捉えていたことに。 あなたの場合も、一つのサンプルを取り出し、それを全員だと思ってしまっているのではないかと。 自分の人生は他人の人生と同じにはなりません。 全員違う人生になります。 50年連れ添った夫婦でも、一つの人生ではなく二つの人生です。