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ガルシア・ロルカはどうして殺されなければならなかったのか?
有名な28年世代の有名な詩人、ガルシア・ロルカはフランコ側の人間に殺されたと勉強したのですが、なぜそこまで殺されなくてはならなかったのかわかりません。当時のスペインの政治力と関係があるのでしょうか? もちろん彼のしたことに反対し非難したり嫌がらせをしたりすることはありえるとは思いますが、殺さなくてはならなかったのでしょうか? どなたか意見を聞かせてください。
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補足について。 98年世代や27年世代はスペインの文学史の中で使われる用語です。1820年前後に中南米の殆んどの植民地が独立してスペインは地盤沈下を起こしていました。 1898年キュバー独立運動に介入した米国と戦争の結果スペインはキューバとフイリッピンも失いました。スペインが駄目押しの植民地喪失で精神的にショックを受けたときにスペインの新しい道を模索したのが98年世代の人々です。 世紀が変って21世紀となりその運動は次の世代の人々に引き継がれた訳ですが、27年世代はヨーロッパにおける新しいスペインの位置付けを見出そうとした知的な文学界の人びとです。ロルカも27年世代の一人です。詳しくは図書館で「スペイン・ハンドブック」三省堂やロルカ関係の本を見て下さい。
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ガルシア・ロルカの死の原因は不明と言われます。1936年から二年間続いたスペイン内戦の初期に反乱軍(フランコ将軍派)に捕らえられ裁判もなく銃殺刑に処せられたため記録も残っていないようです。当時は多くの進歩的な文化人が捕らえられています。文化人は反体制派として政府に反抗する人が多く、映画『蝶の舌』では皆に慕われていた名もない老教師がフランコ側に連行され、映画の主人公の少年もその家族も先生を愛し尊敬していたにもかかわらず、先生を非難する言動をしなければならなかった当時の様子が描かれています。ロルカは有名な詩人だったのでフランコ側に要注意人物として逮捕され混乱の中で殺されたのでしょう。 フランコは叛乱に成功し1975年に亡くなるまで独裁体制を維持しました。スペイン内乱では当時の共和国政府を支援する義勇軍が世界中から集まり、その中に若い頃のヘミングウエイもいたといわれ、彼は後にその経験から『誰がために鐘は鳴る』という名作を書いています。映画化されレンタル・ビデオもあります。ロルカの作品は日本人にも好まれ『ガルシア・ロルカ選集』他たくさんの本があります。是非図書館で彼の詩のいくつかを読んでください。
補足
ロルカは1927年世代の詩人だと言われていますが、文学においてだけにしか「27年世代」は使われないのでしょうか?それともガウディなども27年世代と言えるのでしょうか?
- shibako74
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私はあまりガルシアロルカについては知らないので恐縮ですが、下記のようなサイトを見つけました。こちらは映画に過ぎず、真相は闇の中かもしれませんが、参考までにどうぞ。
お礼
いつもいつもありがとうございます。「スペイン・ハンドブック」とっても便利ですね!なぞが解けました。ほんとうにありがとうございました。