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映画「火垂の墓」と本当の終戦直後
好きな映画の一つに「火垂の墓」があります。 といっても、見るたびにぐしょぐしょに涙が出るので、見るのには結構気合いが必要で、なかなか見ないんですが。。 で、この映画の最初に、主人公の少年が駅の構内らしきところで息絶える場面がありますが、そこにはそのように息絶えている子どもたちがたくさん描かれています。 通り行く人は、異臭に鼻を押さえながらも黙々と通り過ぎていくようです。 もしどなたか、本当の終戦直後(映画ではGHQがくる前?)の様子をご存知でしたら、あの映画のように子どもたちが駅の構内や地下道で息絶えて屍をさらさざるを得なかったのかどうか、教えてもらえないでしょうか。 もう70年以上も前の事ですから、あの状況をご存知の方がたくさんいらっしゃるかどうかわかりませんが。。。 よろしくお願いします。
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町外れに死体置き場があったと聞きました。 ゴミはゴミ箱へ。 それに、戦争のために子どもを政府が子沢山命令をしていたので子どもの死体はありふれたものだったとか。 今のように食料保存なんてありません。衛生面も劣悪です。 大家族物語は戦争の名残だとか。 子沢山がお国の為で、子どもを産まない家族は非国民扱いが常識でした。 女を産む道具。という発言もここから来ていますね。 溢れる子供を養うほど日本は豊かではありませんでした。 戦争で物資も不足してましたからね。 753のように、この年齢の死亡はありふれたものだったと思います。
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- misa-on28
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48歳です。私の小学校の頃の先生は敗戦直後を知っておられましたが、映画や絵画でどんなにリアルに表現していても「あれには臭いがない」といっておられました。 また、死体はしばらくすると腐ってくるので指が落ちてしまい、5本そろったきれいな死体なんて珍しいもんだ、ともいっておられました。 映画で表現できることには限界がありますからあの映画以上にひどい光景だったのだと思います。
お礼
ありがとうございました。 教科書を読めば、戦争についての記述はたくさんありますが、そうした歴史的な流れではなくて、実際にどのような悲惨さがあったかという事を次の世代に伝える事がだんだんできなくなりましたね。 現に私も子どもがおりますが、戦争がどんなに悲惨なものなのか、経験していないので子どもに話しようがありません。 「たくさんの人が死んだ」としか。。。
小中学校のころ 国語の先生が 戦争体験者を招いて話をする会を毎年開いて…私は学生の側でした。 …映画やアニメって 見るに【耐える】程度にまで脚色してありますよ… アニメの状況はまだ「アニメらしさ」を残していますね いくら語っても 小説に書いても マンガに書いても あの酷さは再現できないし 放送もできない状況だから無理だそうです。
お礼
どうもありがとうございます。 えーと、という事はあんなもんじゃなかったという事でしょうか。 具体的にどんなお話が体験者からあったんでしょうか。
お礼
私たちの時代(私は39ですが)や、さらに若い世代は本当に恵まれているというのが、ご回答を読んでの感想です。とはいえ、世界中ではまだ戦争や貧困で命を落としている子どもたちがたくさんいるので、私たちの世代とひとくくりにするのは適切ではないですね。 子どもの死体がありふれていたという事ですが、素朴な疑問として、じゃ、親はどこにいたんだろうと。 そんなにたくさんの子どもたちが両親と親戚を失っていたんでしょうか。 大人が決めた戦争で、そんなにたくさんの子どもたちが餓えでひっそりと命を落とし、その遺体さえも尊厳を持って扱ってもらえなかったというのはただただ、不憫でなりません。