- 締切済み
「人生で一番大事なのは金である」を論破していただけないでしょうか?(するにはどうしたらよいでしょう?)
こんにちは。 「人性で最も尊ぶべきものは?」という議題において、持論の確立の為に金だという答えを論破したいのですが、どうもうまいことまとめられません。どうしたらよいか、皆様ならどうするか、お聞かせいただけないでしょうか? ただし、「金が一番大切ならば金は使えない」というのは無しでお願いします。 なぜなら、金の価値というのはそれがあれば多くのモノを手に入れることができる普遍性にあると考えるからで、つまり金とはなんらかのモノに使う前提があっての存在だと思うのです。 では、お願いします…
- みんなの回答 (24)
- 専門家の回答
みんなの回答
- o-sai
- ベストアンサー率19% (199/1001)
金は「商品券」ですからね。 紙だから金そのものに価値は無く、何かに交換できるということが価値です。 つまり、交換するモノの価値=金の価値 ということで、 そしてそのモノを快楽に変換し肉体で味わうことが最終目的となります。 太古の昔から権力者達はその財力を使って血眼で捜していたモノ、それは 永遠の命 です。 どんなに商品券をたくさん集めてあらゆるモノを手に入れても、健康でなければそれを自身の快楽に変換できないからです。 食欲が落ちれば美食も無意味、盲目になれば美術品も無価値になってしまいますよね。 というふうに、ショーペンハウアーという哲学家が言ってますよ。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
お金が人生にとって(おいて)いちばん大切です。 それは人生にととって(おいて)。だから、そのいうところの人生には信仰も奉仕もそして社会も歴史も人々みな入ります。 お金はいろんな活動などの結果、集積です。それはエネルギーです。 エネルギーの凝縮です。お金を馬鹿にする人は、人生の中の人の思いと、願い、活動を馬鹿にすることです。 それは大事なものなのです。 お金が独立で存在し歩いてはいなく、人生のために(とって)だいじなものです。人生を超越した限度において、お金は無用になっていきます。理論や理性で考えても当たり前です。お金は真の実在ではありません。人とその結果を額面で表示しているものです。
- SAYKA
- ベストアンサー率34% (944/2776)
ぼんやり考えていたら 良い物を発見 それは星。 できれば具体的に近い星。 極端には地球または太陽。 大切にしなければならない具合からすると直接人類が荒らしている地球。 「金が一番大切ならば金は使えない」 と似たような事だし「命の方が大事だ」っていうのと大して変らないんだけれど こればっかりはどう考えてもお金より大切。 しかもある意味命より大事。 家は無くてもしのげるけれど、地(略) お金が有っても地球(or地上の全ての土地)を手に入れるのはほぼ不可能。(これができたら現在の戦争のかなりの部分が無くなるのかも) 今の技術じゃどんな頑張ってお金を積んでも他の星に移住も無理。 酷い話だけれどどこかで戦争が起きてもお金があると生きていける人が一杯いるだろうけれど地(略) どんなにお金を大切にしても地球が無くなったら意味無し。 使える環境が有ってこそのお金。 その環境、地球。 地球を大切にね。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
1番は健康。2番は命の危険を感じずに安心していられる安全な環境にいること。 蛇足:何故安全が2番かと言うと、人によっては冒険や自動車レースなどのように危険を買って出る方もいるからです。でもその人達にとっても健康は必要条件ですから。
- dexi
- ベストアンサー率14% (318/2128)
#4です。 今の社会で、と枠をつけるなら 人生で~のくだりにも「今の社会で」とつけるべきです。 全員に当てはまらない時点で、持論として成立しません。
- dorirutink
- ベストアンサー率0% (0/1)
論破をしたいのなら、相手の論に矛盾を探すか、その論の論拠を 論理的に否定することでできます。 なのでまず「人生で最も尊ぶべきものはお金だ」と言っている人の 根拠を知る必要があります。
- QES
- ベストアンサー率29% (758/2561)
日本では餓死する人が毎年百人弱いるのに対し、毎年3万人以上の人が自殺していることをどう理解しますか。 お金があれば生きていく上において最低限必要な水と食糧は確保できます。 ところが度々発生する警察官の拳銃自殺を始め、現職の大臣や市長、有名女子アナ、ミュージシャンなど貧しいとは言えない人々の自殺が多いのはご承知のとおりです。 健康な人間からみたら、どうして腹一杯うまいもの食べて、財産使い切って無一文になってから死なないのかと思うところでしょう。 万能だと思っているお金では越えられない壁があります。 彼らの多くが精神疾患を患っており、過度のストレスや健康上の理由が大半を占めています。 人間には程程のお金と、健康な体と健全な精神が大切だと思います。 キリスト教徒ではありませんが、「人はパンのみにて生きるにあらず」とは名言だと思います。
- qzec
- ベストアンサー率41% (176/425)
まあ私は「人生で一番大事なのは金である」側の人間なので するにはどうしたらよいでしょう?という点の回答をします 色々論破する回答がでてますが大事な物が欠けています じゃあ何が一番なのか? 今までの回答はお金が一番という意見の粗を答えているだけです 「人生で一番大事なものは」が主題な訳だから お金が一番ではないを論破するにはお金以外の納得のいく回答を提示しない限りは論破したことにならないと私は考えます お金で買えない物もある お金は手段で目的ではない 確かに、お金が一番という意見に欠点があるかもしれません しかし、いくら一番の粗を探しても二番に追い抜かれない限りは一番なのです 「人生で一番大事なのは金である」を論破するなら 本当の一番の答えを提示し、 お金が一番という回答の粗を探し、 それがお金より上であるという納得のいく理由を答える必要があります ちなみに、 最初にも書きましたが私の持論は「人生で一番大事なのは金である」です 今までに出ている回答を見ても「人生で一番大事なのは金である」という考えは一切変わりません。 今までの回答に1つ1つ反論したい所ですけど批判することになるのでやめますが いくらお金という物の粗を突きつけられたところで他に1番になり得るものが無い限り お金が一番であることは変わりません お金は万能ではないかもしれませんが 現代においてはお金が一番万能です。お金より万能な物はありません 総合的に見ればお金が一番大事です …というのが私の意見です。ご参考までに もっと単純に、別の目線で考えるなら 「人性で最も尊ぶべきものは?」という議題は ものすごく主観的かつ定性的な位付けでしかないわけです 要は、一番は金だ!、一番は愛だ!、一番は○○だ!と言い争っても 次元の違う物を比べている上に基準がないから いくら理屈を並べても相手が納得しない限りは水掛け論にしかならないんですね これを打破するのは実は簡単です。定量的にしてしまえばいい 「人性で最も尊ぶべきものは?」というアンケートを公平に行えばはっきりと一番が決まります。 結果に納得しない人がいても、答えのない一番の理屈、理屈を言い合うよりも遙かに公平なので反論できません。 (反論しても説得力がありません) まあお金が一番って結果がでたらどうしようもない訳ですが 違う結果になれば完全に論破できます(質問者さんの持論が一番にならないと無意味でしょうけど) まあこっちはずれた回答だなと自分でも思います。
- arayata333
- ベストアンサー率30% (35/113)
へんな回答かもしれませんが、 今の経済社会の中では、まず、 お金が無ければたいへんなことになる人にとってはお金以上に大切なものがあるはずがなくなるとおもうし、 お金が適度にある以上の人にとっては、それ以上のお金は個人的にはいらないと思えるとおもうし、 そのへんは、論破もなにもどうしようもないと思うのですが^^。 * 私自身の体験では、 そのへんこんな事がありました。 見知らぬ地で お金もなく路頭に迷った体験です。 雨が降ってきても傘がありません。 コンビニはあっても傘も買えません。 食堂があっても、中に入れません。 ただ歩いて歩いてなぜか歩いていただけです。 夜が来ました。 公園があったので そのトイレに目がいきました。 あっ宿が見つかった^^。(笑い事じゃないですが。) 冬ですよ。 トイレでは 頭もガンガン痛くなってくるし、 だんだん、死の恐怖も忍び寄ってきます。 さて 私はその地にある勉強をしにきたのです。 そのため風呂敷に本がいっぱい包んで それを抱えて私は歩いていたのです。 しかし、それでは体力が持たないと悟った時、私はそっとその本をその公園のベンチに置き去りにしました。 ずぶぬれの見知らぬ男が歩いている。 周り中から視線を浴びせられてる感じです。 ううう お金が少しでもあれば、 こ こ コ コンビニに入れるのににに、 と、 ポケットに手をふと入れたら, コンビニでは意味がないお金でも めざす地への電車賃が あああああああああ あっったのです^^。 * こんなこと言う人がいます。 「好きなおそばを いっぺんに百パイ食べることが出きるなら、 そりゃお金もっと欲しいよ。 でも 出来ないだから^^、 お金なんて余分なぶんはいらねえんだよ。」 こんなことも聞きました。「 百枚の着物を着て町をあるけるだろうか? 百畳の家に住んでおもしろいだろうか?」 むむむ。 でも二人ともかなりのお金持ちなんですけど…。 * しかしながら、(たしかに生物である以上 基本は上記のとおりでしょうが。) でも私自身は、こんな体験もしています。 これは社会に出てからの話ですが、 今まで一番ねごこちよく練れた場所はというと、 信じられないことかもしれませんが、 新宿歌舞伎町のとある店の階段の上の屋上に通じる踊り場(普段人が通らないし、朝までは確実に誰もこない。)で、手足を縮めて寝た時です。 半年ほどです。 冬季なのですが寒さはコンクリの中なのでしのげましてしかもぐっすり眠れました。 若かったですし(お金で買えない)、健康だったですし(お金だけじゃ買えない)、何かちょうどふるさとを思い出すような感覚になり、コンクリートの冷たさが気持ちよかったのです(こいつは、たしかにお金ではどうしようもない^^)。 でも このとき、私は、喫茶店のチーフをしていて羽振りはよかったんですよ。 つまり その心の土台は、お金で買っていた^^。 * ここで、heygibeonさんに、補足要求質問です。 人生で最も尊ぶべきものは? 一番大事なものは? といえば人の命という答えは私の中にあったりしますが、 その命にとってかけがえのないものともなることのあるお金は、これはかなり重要です。 命の充実にとっても土台の要ともなることはたくさんあるかと思います。 (要というのはそれがなければ ばらばらで使い物にならなくなるようなことのたとえです。) これはわたしだけでなくて、大勢に人が体験上そう捕らえてもいるところでしょう。 もしよろしければ、その>持論の確立<の目的、 あるいは>論破<したい気持ちのあたりを何か教えていただけないでしょうか。 * お金至上主義のようなものは、けっこうまかり通っています。 お金がこの世で一番大事という思想にまで発展してるのじゃないかと思えてしまう論議です。 この場合 二通りに考えられます。 利己主義的に、どうぜ世の中不平等に出来てるんだからお金持ちと 貧乏人が二手に分かれようとそんなこと知ったことではなく自分がともかくお金持ちになればいいんだ。 そうして、自分だけは人に迷惑をかけない人と見られてればいいんだ。 といういわゆるご立派な善人金持ち(ちょっとひにくな言い方になってしまっていますが、 当人にとっては切実でもあるはず、なぜなら私たちは生物だからだ。)という感じの思想?です。 一方 人間の道義として、 お金をうまく使えば、世の中がベストの道でよくなってゆくという思想です。 人智とお金を融合せよという考えです。 サブプライムは知恵の浅さ、油断から来た問題。 それを克服していけば、やはり高度資本主義は間違っていない、という思想です。 後者の場合は、ほぼ完璧に「お金がこの世で一番大事である」という考えとなるかと思います。 道義としてですから、その過程に犠牲者が出ることも これもまたお金の力で防ごうというビジョンも含まれてのこととしてです。 もし、道義は5の次などというようなものならば、カッコはみせかけ、要は利己主義を認めよとうことであり、 最初の場合と実質おなじこととなるかと思います。 そちらの質問は 新しい何かの資本主義の理念のようなものを得たい考えのものでしょうか? (この道にて、現実に立脚したビジョンは不可能ではないと私は思っています。) * 自分にとってでもいいです。 >それがあれば多くのモノを手に入れることができる普遍性< それも確かに存在します。 これが、お金が無くても手に入れることができるならば その時にはお金はただの紙くずになるわけですが、 今の状況下には それがあれば、ハワイにもグアムにもアフリカにも ヨーロッパのバイオリン工房をまわるようなしゃれた旅にもゆけるでしょうし、 フランスの地元のワインをおいしいレストランでいただくことも出きるかもしれません。 すきな自転車で、オランダの自転車道をめぐることもできるでしょう。 いや世界中を走り回ることもできるでしょう。 片手には大好きなニコンの高級カメラを手に、大好きな丹頂ツルを写しにでかけることも出きるかもしれません。 これをお金持ちたちは「自己実現」と呼んだりします。 一度しかない命、そのための闘いが人生だ。 とも言うでしょう。 その闘いに敗れてもそれは お金のための戦士のほこりはまっとうできたのだ、などというへんな満足を持つ人もいたりしそうです。 プラス人への奉仕にも目をむけよう、というのが「自己実現」だそうです。 皮肉な言い方を貧乏人のほうからするならば、おこぼれを忘れないことがプラスされると「自己実現」にたどり着くというので笑か。(二極分化が進む中、笑い事やないすけどね。) その考えを 克服したいということでしょうか? * >(するにはどうしたらよいでしょう?)< 感性を深め、進化させるしかないと私は思っています。 なにも、それは、自宅の庭やパルコにーとかでふとくつろぐ安らぎ以上のものを どんな緑からもどんな草花からも雲の流れからも感じるほどの豊かで落ち着いた感性にまでは達しなくても それは可能かと思います。 世界中の道が自分のコンクリートの階段の寝床のアプローチとなり、世界中の森が木々が花が草が自分の庭となる^^という心境にまでたっしなくても、 愛し合う人がいたりして、ふつうに充実していたら、 お金にとらわれない生き方を模索する道はたくさんあるかと思います。 が、 貧しい国やいじめられてる国、 のことを考えると、お金は、いやこの場合は大事業ということでしょうが、 たぶん一番大事なのかもしれません。 これは私の反省点でもあるんですが…。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
おっしゃるように、「金とはなんらかのモノに使う前提があっての存在」ですから、素直に考えれば「なんらかのモノ」のほうが大事ということになります。 砂漠でお金を持っていても一滴の水の価値には遠く及ばないでしょう。 しかし、こう言ってしまっては言葉尻を捉えているだけになりそうです。 「人生で一番大事なのは金である」という主張の骨子は、 『人間の心は金で買えないと言われがちだが、金で人間の心を幸せにすることだってできる。 幸せにできない場合も確かにあるだろうが、殆どの場合(あるいは、どちらかと言うと)、幸せにできる確率のほうが高いと私は思う。』 といったようなことではないかと思われます。 「一番大事」という以上、二番目に大事なものがあることを否定しているわけではない点がミソでしょう。 そうすると、この「(金で)幸せにできる場合」とは、どういう場合を想定しているのか、ということが問題になってきます。 目先の金や利益で他人を裏切ったり、あるいは裏切られたりした経験を多く持つ人にとっては、人間とはそういうものだという思い込みに至っても止むを得ないかもしれません。 そういう目に会ったから必ずそう思い込むようになる、というわけではないでしょうが、確かに、そういった一面が人間にあるという事実は誰も否定できないでしょう。 生きていくうえで私たちは常になんらかの選択をし続けているわけですが、「人生で一番大事なのは金である」という信念が、ある選択の決定的な要因になってしまう人というのは、「金で買えないもの」を知らない(実際に経験したことが無い)、あるいは非常に稀である、ということになりそうです。 こういった認識を打破するには、論破というよりは、「金で買えないものがある」ことを証明するだけではなく、「金で買えないものこそ貴重である」ことを実感してもらうしかないように思います。 いくら理屈で論破しても、「私はどうしてもそう思えない」と言われる可能性が高いことでしょう。 積極的に作用していきたいのであれば、その人がそれを実感できるような対応(関わり方)をしていくことが最善の「打破方法」となるような気がします。
お礼
ありがとうございます。 確かにそうですね。「大切なモノ」は人それぞれとしておいて、「尊ぶべきものは?」と聞いた方が良いかも知れません。
補足
長文ありがとうございます 確かに大切なモノは人それぞれ…ですね >もしよろしければ、その>持論の確立<の目的、 あるいは>論破<したい気持ちのあたりを何か教えていただけないでしょうか。 特にこれといった理由はないのですよ^^; ただ単に「お金が一番大事」というのが嫌だと感じたから… でもお金が無い方々にとってはお金はとても欲しいものだし、ある程度満たされているのならば他の形の無いものが欲しくなる。 お金は大事じゃないなんて決め付けようとすることが一番野暮なのかもしれませんね・・・。