- ベストアンサー
躓き、食い違い
心理学のカテゴリではなく、一つの観としてのお教えを賜りたく敢えて哲学を選ばせていただきました。 私たちの生活も世界も非常に多様でdiverseは日常茶飯事です。 願わくば自分との異質性や個別性のない、自分の思うことに食い違いのない常であってほしいと、願えないことを願うのが凡人のわたし(たち)だります。 でも仮に常に、順調で、何事も自分に支障や問題のない人生であったとしたら、つまり人や事柄が自分に齟齬し、摩擦的な世界を出会わせることがない日々であったら、人生はどんなに楽しいでしょうか。それとも面白くないでしょうか。 どうかお感じになられること、想像されることをお教えください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#96295
回答No.3
その他の回答 (2)
noname#80116
回答No.2
- hikaru0705
- ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.1
お礼
ありがとう御座いました。 同質の海から乖離することが、生命にそなわる智慧なのです。 やはり乖離は必ずしもいけないことではなく、いや寧ろ大事なことなのですね。 異端、変人、バルバロイ、オッズ、半端な私は何か力づけられる感じがします。 創造とは大いなる唯一の実在のディファレンシエイト、下降であるかも知れませんが、そういう私たちにとり、differentia必須不可欠な出会いなのでもあるのですね。 丁寧にきちんと対応していくことが必要ですね。 同質性は印刷術の発明からすでに人間の足もとを浸しています。 みんな一様にさせられて、なって、異なる人は居にくいので、角を矯め、丸く、円満、調子合わせになってきています。 ありがとう御座いました。 丁寧に異質とは、自分のためにも対応して生きたいと存じます。