現在は 科学はただしこと。 平等は当たり前のことですが、これは単位19世紀や
20世紀の価値観でであったそれ以前は、これらのことは全く認知さfれていませんでした。
科学について: 科学的に証明された事が正しいのではなく、宗教てきなことつまり キリスト教的な真理がただしことでであり、今われわれが習っている科学は邪悪な考え方でした。 ガリレオが「それでも地球はまわっている」といったように
キリスト敵世界観が支配していた時代がありました。(西洋)。 また東洋でも
今私たちが習っている西洋的科学が価値をもつことはなかったです。
自由・平等 : これは日本では 第二次世界大戦終結までは ありえない考え方ででした。 自由とはもともとは西洋的な考え方であり江戸時代にはなかったです。
まして明治や昭和初期までは、西洋から考え方は伝わりましたが本当の意味で実践されていなかったです。 身分制度が現存していました。 歴史的には 人間が平等であるとの考えは、極々短い歴史しかありません。身分制度が一般的です。
また現に アメリカ(今のアメリカです)やイギリスには建前は、平等ですが、社会的身分制が残っています。 白人-黒人 白人内での出身地による差、 黄色人種、ヒスパニック等の明確な差や、 社会構造に組み込まれた身分制度(学歴等)
があります。
しかし、今と昔の大きな差は、 今は自由平等が建前ですが、昔は身分制が建前でした。 したがって昔この建前を乱す人は、 世を乱す悪でした。
世の中の本質は歴史的言って身分制です。 現在でも当てはまります。
しかし今は、平等が建前です。 それに向かって人々は努力しています。
しかしそれは途上の状態です。 現在でも身分制が本質的に社会の中に
色濃く残っています。(もしそう思わないのであれば社会勉強が必要です。)
歴史の教科書
- 人権の歴史関連の書物
- キリスト教と科学
この辺りのタイトルで本を読めば理解できると思います。
お礼
なるほど。ガリレイの説があそこまで否定され続けたのはそういう背景があったんですね。納得です。 確かに小学校や中学校で習う歴史のほとんどは 身分なり上下関係などが記されていますよね。 今は平等が建前(=正義)になっているだけ……。 考えさせられます。 貴重なご意見ありがとうございました。