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satanと demon

 satanとdemonですが、両者はどちらもSatan、そしてDemonとも表示されます。  キリスト教の聖書は小学生のときに、同級生の女子生徒のお父さまからお話されたくらいで、もちろん無知なのですが、イエスが脅されたとかいう、文章に今出会っていて、そこではSatanになっています。  イエスを脅したSatanと、いわゆるdemonや、Demonのことについて、或いはその違いについて、どうか何でもいいので、コメント・お教えを頂けませんでしょうか?お願い申しあげます。  悪魔と魔物くらいしか区別できないものですので。

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  • kigurumi
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回答No.1

サタンという意味は、怪物とか悪魔という意味ではなく、ヘブライ語で「妨げる者」という意味。 http://art.pro.tok2.com/Bible/CLater/04Temptation/04Temptation.htm 石を食べてに変える能力は無いことは自覚している。 その上で、自己正当化するためには、「人はパンにみに生きずにあらず」としたわけです。 神を信じているのなら、その証拠にここから飛べと言った。 高いところから飛べば死ぬことは、自覚している。 だから、飛ばない。 飛ばないなら、神を信じているということが嘘という証明になってしまう。 だから自己正当化するため、「神は人間を試してもいいが、人間は神を試してはいけない」とした。 自分はお前に地上の支配権を与えるとサタンが言うと、結局サタンの部下になるわけで、誰からも支配されたくないので、「神以外に奴隷にはならない」と言った。 イエスが自殺を予告すると、弟子のペトロは「そんなことしちゃいけません」と止めた。 するとイエスはペトロに向かって「退けサタン!!!」と怒鳴った。 イエスの自殺計画を妨げる者となるので、イエスはペトロに「計画を妨げる者」という意味で、ペトロをサタンと呼んだ。 キリスト教では、ペトロにサタンが入ってイエスを誘惑しようとしたと説明しているようです。 同じくキリスト教では、ユダにサタンが入って、イエスを売ったとしています。 他の福音書を読むと、イエスが計画を実行するにあたり、信頼できる唯一の人は、ユダだったので、ユダを説得して、自分が自殺できるように協力させたとなっております。 つまりイエスはユダを説得して、自殺幇助させたというわけです。 そういうわけで、古代にはいろいろな説があったわけですが、ある一派は、自分たちの考えこそ正しいとして、他の福音書を焼くように命令したので、数年前まで、イエスが自殺を計画していたという話があったことは知られていなかったんです。 数年前に、焚書事件の時に隠されたユダの福音書がでてきて、そういうストーリーもあったと、わかったわけです。 デーモンは、ギリシャ神話の守護霊 ダイモンが語源じゃないかと。 ライラの冒険でもダイモンが出てきます。 ライラの冒険では、人間はみなダイモンを持っていることになっています。 教権は、人が罪を犯すのは、ダイモンがあるからだとして、子供たちの守護霊ダイモンを切り離そうと計画するんです。 ダイモンを切り離された子供は教権に従順になる。 魂を抜かれてしまうから。 それを阻止する子供EVEが出現することが予言され、ライラがそのEVEになるので、ライラを殺そうとするわけですが、教権側のライラの母親は、ライラが教権の支配する世界を壊すとんでもない存在だと思うが、もう一方では自分のかわいい娘だとして、揺れ動くわけです。 どっちが真実なのかと、揺れ動くわけですね。 で、ダイモンはギリシャ語ですが、、、、 http://red.sakura.ne.jp/~co-wards/explain/term/daemon.html 片方の意味だけ採用されて、キリスト教はダイモン デーモンは悪霊だとして、人々からダイモンを切り離そうとするわけです。 キリスト教は、自分たちは絶対に正しいと確信しており、唯一信仰ですから、キリスト教以外の神は全部悪魔だとしたんです。 各地で信仰されている神々を、悪魔だとした。 キリスト教が言う悪魔は、もともと 土着の神で、人々の信仰対象で、人々を昔から守ってきた神々。 イエスのみを神とせよ と布教する際の妨げとなるので、悪魔だとしてしまったんです。 いわば、ライラの冒険の教権がキリスト教なわけです。 ただし、ライラの冒険を書いた人は、そういうちゃっちー 狭い考えじゃない としています。 キリスト教を教権として描いたのではなく、まやかしにだまされず、真理を追究せよ という意味で物語を書いたのではないか と。 心の中にある黄金の羅針盤で、真理を探せってことでしょうね。

krya1998
質問者

お礼

 kigurumiさん、早速に詳細な、深い学殖によるお教えをありがとう御座います。  既成のキリスト教のご信者さんは、善男善女さんは、多分こういうご解説に素直に耳を傾けることはないかも知れませんね。  私自身はやはり西洋的な慣習や思考の仕方に同調できないので、なるほどとは思いますが、西洋人向けの書物を読んでいるなかでは、著者はどういうイメージで、サタンやデーモンということばを使っているのか、これも知りたいな、と存じております。  ありがとう御座いました。

krya1998
質問者

補足

 ご回答くださったお教えを拝読すると、前半は応答者の何か周到なる配慮の口上だなと思えてきますね。当然に異なる解釈と理解で信仰をしている方々もおられるのでしょうが。いえ信仰だから、当然に信仰の解釈理解があるのでしょう。私たちヒンドゥの教えを学んでいるものも、異なる次元から対しております。  “サタン”が怪物とか悪魔という意味ではなく、ヘブライ語で「妨げる者」という、お教えで、その“怪物”とか“悪魔”というのが実は何なのだ、ということがわかりませんでした。国語か英語、歴史などのカテゴリーかと存じましたが、聖書ということで哲学を選択しました。  だから、“怪物”とか“悪魔”を「妨げる者」と理解しておいてもいいのでしょう。まぁ信仰やいわゆるイエスの教えを『妨げる者』ということなのでしょうね。  デーモンは、私たち東アジアの文化や日本の文化に育った者としては、アストラル的力、いわゆる孔子などの(鬼神に頼まず)いう、一種のアストラル(心理や感覚、感情など)の力、勢力をいうのかも知れませんね。そして一方のいうなれば、サタンは一種のファクターでしょうね。  ありがとう御座いました。