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クリスチャンと欲
わたしは、クリスチャンです。 教派は、プロテスタントです。 信仰暦は1年ほどです。 聖書以外に、キリスト教に関する本を 読んで、信仰を深めたいと思っています。。 ところで、私の仕事は、営業で実績を残せば その分だけ、給料が入ります。 つまり、完全歩合制の営業職です。 「お金を持ちたい、出世したい 何か好きなものを買いたい」と毎日 思っています。 お金のためならなんでも やるぞ!!と思い仕事をやってます。 ただ、キリスト教徒は、物欲や金の欲を もったら罪なのでしょうか?? 時々、稼ぐと思い仕事をやっていると それに罪悪感すら覚えます。 どうなのでしょうか?? 信仰があってこそ 今の毎日があると思ってますし 礼拝は欠かさず行ってます!! しかし、欲求と信仰の葛藤があるのです。。 それってどうなのでしょうか?? 信仰者、クリスチャンとして どうなのでしょうか??
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- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
目的と手段が入れ替わっているからおかしくなります。 お金、出世を目的そのものにすると、どこぞの守銭奴に成り下がります。お金、出世は別の目的をもつ手段です。 物欲、金そのものに対して欲を持つと結局自滅するから 慈悲深く警告しているのです。真の目的を見つめ続けましょう。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
カトリックは、信者に聖貧を説いています。 したがって、信者は儲けたら、教会に捧げる。 神から与えられたものは、神に返すってわけですね。 プロテスタントは違います。 wikiだったか忘れましたが、こんなことが書いてあった。 儲かったのは、神がその人に祝福を与えたため。 したがって神の祝福なので、神の祝福の証である財産を自分のところにキープしておいてよい。 「神の祝福などいらん、ノシつけて返す」ってしなくていいってのが、プロテスタントの考え方。 だから、プロテスタントの人は株をやって貯蓄を増やしたりしています。 信仰は何も教会に儲けを与えることばかりじゃあないんですね。 例えばですね。 日本って儲かった人ほど、所得税を多く収めるというシステムですよね。 そのお金 国がポッケに入れているわけじゃない。 公共事業とか、病院代とか福祉とか、そんなことに使っている。 つまり、一度吸い上げたあと、国民に還元しているんですね。 ということは、あなたが前年度より多く稼いだ場合、あなたは前年度より多く税金を支払う羽目になるが、その分、そのお金は国民のために使われているわけで、あなたが一部恵まれない人とか、図書館作りとかに貢献して、人のために役立っているわけです。 だから、儲けて申し訳ないって小さくなる必要はない。 税金を多く納めるってことは、人助けを知らないうちにやることになる。 これが日本のシステムです。 儲けたお金でおいしーものを食べたり、家を買ったりして豪邸に住むのは申し輪無い? いえ、あなたが消費するってことは、誰かがそのお金によって生活費を得られているってわけです。 例えば家買ったとしますよね。 その家一軒建てるために、たくさんの人たちが関与しています。 電気一個すらも、それを提供する人が、あなたが家をたててくれたことで、仕事があることになる。 あなたがけちけちしてお金を使わなければ、売る人はお金がはいらないんです。 あなたが稼いで使ってくれることで、誰かが潤い、その人が「今月は儲かったから、豪勢な食事をしよう」とお金を使ってくれることで、レストランは儲かり、レストランに下ろしている業者も、得をするわけです。 その業者も得をしたから、他から買う。 グルグルグルグル。 公定歩合引き下げの効果の影響。 何故国は不景気になると、公定歩合を引き下げる操作をするのか。 銀行にあずけていても儲からないので、今がチャンスと商品を買うことに使ってくれたら、銀行にお金がなくて、市場のお金が出回るわけです。 逆にこの先どうなるかわからないから と銀行にあづけて使わない人ばかりになると、市場のお金が出回りません。 みんな 財布の紐を固くしていれば、レストランで食事もしなくなり、レストランの人はひあがり、レストランに納めている業者もひあがり、自分が営業で売ろうとしても、その人たちも買えないし、消費者も買ってくれないなら、あなたがいくら売ろうとしても、在庫がはけないから、買ってくれないじゃないですか。 ってことで、相手に無理な購買は強制的にさせるべきじゃないが、相手が投資するゆとりがあるのなら、売っちゃって儲けていいんです。 それが世の中のためになる。
- taco8ch
- ベストアンサー率7% (11/146)
貯蓄はプロテスタントの専売特許やで。
補足
お前キリスト教ばなめとんのか。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>将来のことを考えます。 今の内に、お金を蓄えておかないと 結婚もできないし、会社も終身雇用 の時代もなくなってますよね。。 そのとおりです。さらにイカサマ金融工学のおかげで、世界経済はパニック直前ですからね。 ただし、いくら信仰を正しく持ち続け、理想的なキリスト者であったとしても、オスカーワイルドの「幸福な王子」のように、この世では報われず、今風にいうなら、ホームレスとか、ネット難民のままで生涯を終える可能性もあります。 究極の選択として、「信仰者として生き、独身のままホームレスで生涯を終えるか、それとも、反社会的な行為をやりながらも幸福な家庭を築くか?」という問いがあると思います。 現実がどうであれ、信仰者なら前者の心意気でがんばって欲しいと希望します。現実には難しいと思いますが。 まあ、挫折し後者を選択しながら生きるのが「人間」らしいのかもしれませんけどね。
補足
後者は考えられないですね。。 ご意見まことにありがとうございます。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
難しいことは何もないと思うんですが。 なぜお金を稼ぐのかの理由が自分の中で明確ではないのではないですか。 それゆえ、欲のためにお金を稼いでいるのではないかと不安になるのでしょう。 足るを知るを頭に置いていれば迷うこともないと思います。 献金額が多いからといって神様が喜ぶとも思えませんし。
補足
理由のひとつに 将来のことを考えます。 今の内に、お金を蓄えておかないと 結婚もできないし、会社も終身雇用 の時代もなくなってますよね。。 そんなことを考えたりします。 もちろん、信仰をもっておりますので 明日の道は、主が与えていただけると 信じています。
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
キリスト教のプロテスタント、中でもカルビン派は 一般市民の信仰生活の中で世俗職業を天職(神の召命 )とみなして励むこと、生活は質素で禁欲的であること等を説いています。 それ故に、仕事に励むこと自体は教義的に問題ないと思います。ただ、仕事の動機の中心が「お金を持ちたい、出世したい、何か好きなものを買いたい」であるのなら、そこに何らかの問題があるように思います。 そういう気持ちは人間だから持つのは当然としても、クリスチャンとしては、それが第一の関心となってはよくないと思います。聖書には「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これれらのものは、全て添えて与えられるであろう」とあります。(マタイ6章33節)
お礼
日曜日でも、仕事入ったときは 礼拝終わったら駆け足で仕事 いったりするくらい 仕事人間なんです!! ご意見ありがとうございました。
ポール・マーシャルという方の「わが故郷、天にあらず」という 本をおすすめします、 (Amazon.co.jpでレヴュー見れます。URLは字数オーバーのために入れられませんでした)。 天と地とその中にあるすべてのものは創り主なる神のものですから、 クリスチャンがそれらを神に感謝しながら用いていくことは 正しいことだと信じます。 第一テモテ4:4では 「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」 と言われています(前後の文脈もお読みいただければと思います)。 この世の富や名誉に捕らわれてしまってはいけませんし、 それらを愛してはならないと聖書ではいわれています。 しかしそれらを求めたり用いること自体を聖書は禁じていません。 むしろキリストにあって感謝してうけとるときに、それらのものが 真に正しい意味で使用されているのだというのが聖書の教えと 考えます。 (実際そのためには様々な知恵や洞察が必要ですが、一般的な原則として) クリスチャンの持っているものはすべてキリストのものです。 どんなに慎ましい生活をしていても、自分のもっているものを 「たくさん献金しているのだから、残ったものは自分のものだ」 としてしまうことは罪です。 逆に、豊かな人は、全てが神のものであることを覚えて、 蓄えるにも使うにも、ただ神のためにそうするなら、神のみこころに かなうことと信じます。 第一コリント10:31 で言われているとおりです。 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」 詳細は上記の本をお読みいただければと思います。
- 参考URL:
- http://www.amazon.co.jp/
お礼
ありがとうございます。 感謝です。 信仰あっての、社会生活、私生活が あると私は思っております。 決して切り離しているわけではありません。 信仰って難しいですね。。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
どんなお仕事の営業職か存じませんが、そういう方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。 思想的活動やその団体におりながら、歩合の営業職という方もおおぜいらっっしゃるようです。 私は営業職のかたがきてくれて、相談したり、お知恵を頂いたり、注意を頂いたりして、大変助けていただきながら、46年の教育機関の事務職を続けられました。 力づけていただいたことも、いろんな情報なども頂いたりもしました。 ほめられたりもしました。 すばらしい営業職の方がご担当されると、人間としても懐かしく、暖かで、おいでになるとほっとするものです。 ご信仰とは時に背離することもありましょうが、やはり無邪気に、両方をお続けいただくことは、お客さんにもありがたいと存じます。 どのどんな職場、職種も人それぞれにつらいことや、矛盾を、或いは衝突を経験するものですね。 小才がきいて優秀な人は、わたしみたいに、46年も同じことをやっては居ませんでしたが、残る私が安楽であったのではありませんでした。 やはり、傷させながら、自分も転び、過ちしながら、ただ馬鹿みたいに我慢してきただけです。 利口な人は我慢がどうしても足りませんが、そういう優秀な人は、早世したか、どこでも移ってしまって、やはり、馬鹿で無能力な私より、今は恵まれてはいません。
お礼
ご意見に感謝します。 ありがとうございます。
- rabbit321
- ベストアンサー率25% (1/4)
お金に執着している人間は天の国に入ることはできません。 これはイエス様が何度も繰り返し戒めていらっしゃることです。 また旧約には 財産を多く持って恐れの日々を送るよりは、たとえ乏しく ても主をおそれる方がよいとも書かれています。財産への 欲は多く得ればますます欲しくなるものです。そして人生を 誤って過ごしていくのです。 それからクリスチャンの回答者の方でイエス様が >「家族のもとに戻り、福音をのべ伝えなさい。」 とおっしゃったと書いている方がありますが、聖書にはそ のようなことは書いてないと思います。マタイ伝の最後の 方のところを自由解釈していらっしゃるのでしょうか。 すくなくともそういう読み方は異端だと思います。 むしろイエス様は、家族や畑を捨てた者は多くの見返りが あるとおっしゃっているのです。 質問されている方がクリスチャンであり、お金に執着するこ とに罪悪感を感じていらっしゃるのはせめてもの救いです。
お礼
[質問されている方がクリスチャンであり、お金に執着するこ とに罪悪感を感じていらっしゃるのはせめてもの救いです。] ↑ ありがとうございます。 この葛藤から解放されたいです。
- Beckii
- ベストアンサー率42% (9/21)
私もプロテスタントのクリスチャンです。 敬虔なクリスチャンでも金持ちは多いですよ。 そういう彼らは「お金のために」ではなく、結果としてお金がついてきたということではないでしょうか。 資本主義国にいきる以上、利益を求めるのはごく自然なことです。 ただそれとは別に、何のために利益を求めるのか。 その利益をどうしたいのか。稼いだ金で何を買いたいのか。 それは何で買いたいのか。 何のために労働するのか、何のために貢献するのか。 そこが重要なのだと思います。 ただ単に「貧乏になれ」というのが聖書の教えではありません。 この世の中にあって、そういった葛藤との闘いを通して、教えられることはたくさんあります。 マタイの福音書だったかな。 金持ちの息子がイエスの弟子になりたいといったのを思い出して下さい。 ザアカイを思い出して下さい。 イエスは「すべてを捨てて、私についていきなさい。」といった時もあれば、「家族のもとに戻り、福音をのべ伝えなさい。」と言った時もあるのです。 ただ自分の財産や持つものが多くなればなるほど、捨てるのは難しいですよね。 財産も含め、すべてのものは神から預り物だという意識があれば、きっと簡単なのでしょうけど・・・・。
お礼
ご意見感謝します。 特に私は贅沢な生活を送りたいと思って いるわけではないんです。 まずは、自分の生活の土台をつくって お金を将来のために貯蓄して それとともに、教会に献金を誰以上にも したいのです。。
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お礼
ご意見まことにありがとうございます。