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色の見え方は誰でも同じ?

「見える」「分かる」とはどういうことなのか、あれこれ考えている mori0309です。 【質問1】色盲・色弱の方には色はどのように見えているので  しょうか? 【質問2】生まれつき目の見えない方は、成人してから手術によって  目が見えるようになっても、まぶしいだけで色やものの輪郭を知覚  することはできず、人の顔を見分けるなど高度な識別はできないと  本で読みました。「見える」「分かる」ための機能が後天的に脳  のなかで形成されるのだとすると、同じ「赤」でも人によって見え  方が違うという可能性はあるでしょうか?  また、A君に見えている「赤」とB君に見えている「赤」が同じか  どうか確認する方法はあるでしょうか? よろしくお願いします。

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回答No.4

心理学を学習中の者です。私は軽度の色弱があります。一応すべての色はわかるように思うのですが、ただ、色の組み合わせによっては「認識できない」ことがあります。 たとえば、垣根の緑の葉っぱが集まっている中に、小さく赤い花が混じっていたりすると、その花を認識できません。不思議なことに、他の人に「ほらここ」と指で示されると、そこに意識が集まるのか、急に見えるようになります。 同じように、色盲・色弱の検査で「色つきの小さい丸」が集まってなんらかの文字を表すものがありますが、私の場合は、ほとんどわかりません。ところが誰かに指でその文字の上を辿ってもらったりすると、見えるようになるのです。 これは、一般の人なら特に意識しなくとも「認識のフィルター」に引っ掛かるような刺激が、何らかのトラブル(例えば目から入ってきた刺激を脳の色を認識する箇所に伝達するのに必要な化学物質が十分に分泌されていなかったり、あるいはその化学物質を受け止める箇所が故障していたり)のために、私の場合は引っ掛かりにくくなっているということなのでしょう。日常生活には特に支障がないので、気にはしていません。 さて、このように「見える」という認識の働きは、メカニズムとしての生物学的観点から一つの説明ができますが、同時に認識するということは「意味を解釈する」ということに必然的につながります。ここでは後天的な学習の意味が重要になってきます。 例えば、俗にエスキモーと呼ばれる「イヌイット」の人々の言葉には、「雪」を表すのに何十種類もの違う呼び名があるのだそうです。それだけ細かく見分けられるということなのでしょう。日本語にも「雪」を表す言葉はいろいろありますが(例:こな雪、ぼたん雪、細雪、みぞれ・・・)、イヌイットの人々の言葉ほど多くはありません。イヌイット人の赤ちゃんも日本人の子供も人間としての「基本性能」は大差ないはずなのですが、イヌイットの人々の方がより細かく雪を分類し、認識できるのはなぜか・・・。簡単に言うと「そうするように生活の中で自然に学んだからだ」ということになり、ここに「特定の文化内での後天的な学習が、認識にもたらす影響」を見ることができます。 このように、大きくは同じように「雪」とか、あるいはご質問の中で取りあげられた「赤」だとかの言葉で言い表されている「概念(意味)」が、さまざまな人の間で「完全に同一なもの」かどうかというと、そうとは限らないのです。シンボルと意味のつながりは、実は誰にとっても万国共通なものではありません。 ただ誰でも、毎日の生活の中では、シンボルの意味する範囲をかなりおおまかに捉えているので、一応は話が合うのです。A君とB君がともに「赤」と言うとき、実際に彼らが思い浮かべる色は若干違うかもしれません(例えばA君は朱色に近い赤で、B君は静脈血のような赤)が、普通に会話をするうえでは広く「赤」と言ってあまり問題ないわけです。これに対して、シンボルと意味の指すところが人によって異なっては困る場面もあります。例えば印刷工場などではデザイナーのイメージした色と実際の発色が異ならないように、コードのついた色見本を使って、互いに確認したりします。もっともそれでも厳密に言えば、ちょっとは違うかも知れませんが(工場の人かデザイナーのどちらかになんらかの色覚異常があったりしたら、全然違ってしまいますよね)。 最後に、A君に見えている「赤」とB君に見えている「赤」が同じかどうかを確認する方法ですが、例えば以下の実験が考えられるのではないでしょうか。  二人の被験者に、実験室にはいってもらう。  二人に、同一の画面を見せる。  画面上で、グラデーションのように、  徐々に色が変化する。  「赤い色が見えたら、ストップと言ってください」  とあらかじめ指示し、  それぞれの被験者が  「ストップ」と言ったときの色を比較する。 ぱっと思いついた実験ですが、興味深い結果が出るかもしれません。いろいろな国の人が参加すると、国ごとに微妙な変化が出るかもしれません。 いかがでしょうか。お役に立てれば幸いです。

mori0309
質問者

お礼

HTsumakuraさん、とてもていねいなご回答、ありがとうございます。 私は普通の会社員なのですが、素人哲学思索にはまっておりまして、この 「教えてgoo」にも質問を連発させていただいております。 ご回答の後半にある実験についてですが、この方法ですと「赤」という 言葉の意味の個人間差異は検出できると思うのですが、「赤」の見え方の 個人間差異は分からないと思います。 「トマトの色はA君にもB君にも同じ見え方をしているか」 これを調べる方法は、panchoさんのおっしゃるように、やはり、ないので しょうか。これを究明しても実社会の約にはたたないでしょうけど、ひとつの 哲学問題として、非常に興味があります。人間の主観にとって真に実在する のは「光の波長差異」ではなく「赤・青・黄などの色そのもの」だと思うのです。 認識主体やその知覚能力を想定しない客観的世界像などは存在しないと考えます から、主観が世界をどのように感じ取っているかということ、つまり個々人が どのような知覚世界(さらには心象世界)のなかで生きているかということこそ、 人間が物事の意味や価値を考える上での出発点にしなければならないと思います。 私たちは本当に「世界」を共有しているのでしょうか。 (発想が人間中心主義過ぎますでしょうか)

その他の回答 (10)

  • snowair
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回答No.11

補足です。 >snowairさんのような方もいらっしゃるのですね。新鮮な驚きです。 >(失礼な言い方で申し訳ありません) いえいえ、そのようには思っていません。わたしも気が付いたときに驚きましたので。 極端に左右の視力が異なるのです。 免許切り替えの時にあまりの視力の隔たりに、かならす視野検査をされる くらいです。 左がド近眼なので、 「じゃあ近くにある細かいものは左で見たほうがみやすいかな?」と思い、 小説をひらいてかためずつで文字の見えやすさを確認したら、 文字よりも本の紙の色が、左右で異なって見えたことに気付いて驚いたのでした。 ただ両目で見てるときは左右の色の違いは全く意識することはありません。 ほんとはきっと左右の色が、異なって脳に伝わっているはず、それがちゃんと 1色で認識できるのは、「白は白」という意識が働いてなのかどうか よくわかりませんが、カメラが写す映像と違い、人間の物の見え方にはきっと「白は白」という主観が入るのでしょうね。

mori0309
質問者

お礼

snowairさん、再回答ありがとうございます。 > カメラが写す映像と違い、人間の物の見え方にはきっと「白は白」という > 主観が入るのでしょうね。 カメラや現像のしくみはまったく知りませんが、紙の上に写した色を再現する というのは、考えてみるとすごいことですね。たとえば虹は人間(生物)しか その出現を知ることができない、本物のまぼろしと思っていましたが、カメラの 眼もそれをとらえることができるわけですよね。色(光)というものは不思議ですね。 主観が色を決めるというのも、人間の不思議な能力だと思います。後天的に自己 組織化された「分かる」ための能力が、今度は主導的に「現実」を「規定」する と言えるわけですよね。考えすぎでしょうか? 「複雑系」や「自己組織化」に魅了されているmori0309でした。

  • liru
  • ベストアンサー率6% (1/15)
回答No.10

皆様、分かりやすくすばらしいお答えなので、恥ずかしいのですが‥‥‥。 ちょっと質問から外れるかとも思いますが、『プリズム』というガラス?の三角柱がありますよね?太陽の光をあてると虹色に見えるあれです。 白い紙の上にあの虹を映して、たとえばその虹のどこからどこまでが『赤』に見えるか線をひいてもらうと、人によって違いがでるそうです。どの辺の色までを『赤』と定義するのかによって(心理的に)も違うのでしょうが、ときどきかなり違った場所、つまりほとんどの人が色がなく見える部分まで印をつける方がいるらしいです。その方には、赤外線にあたる部分が見えているのかな?それはどんな世界なのでしょう。他の色ではどうなのでしょう?出典を忘れてしまって正確なことか分からないのですが、他の方との違いを試してみるには面白いかもしれません。プリズムがどこで手に入るかが問題ですね。本当に、聞きかじりで参考までにてすみません。 また、心理的なものとして、『セピア色』などはイメージはあるのですが、正確にどんな色なのかと言われると幅があるように思います。でも、その言葉の表すイメージは各人が想像する実際の色は違っても、なんとなく共通の気持ちとして伝わる気がしますので、 『全く同じ色を見ているか』よりも色から(この場合は色名ですが)同じイメージを受けられるか、が大事な気もします。 とても興味深いご質問でした。この問題を考える機会を下さってありがとうございます。

mori0309
質問者

お礼

liruさん、回答ありがとうございます。 > どこからどこまでが『赤』に見えるか線をひいてもらうと、人によって > 違いがでるそうです。 やっぱり色の見え方は人によってかなり多様性があるのですね。 > 『全く同じ色を見ているか』よりも色から(この場合は色名ですが)同じ > イメージを受けられるか、が大事な気もします。 すごいご指摘だと思います。「見えている色」は違うかもしれないけど、「感じて いるイメージ」は同じなのではないかということですね。人々がイメージを 共有できるからこそ「詩」が可能なのですね。わたしたちが共有しているのは 物理世界や化学世界ではなくてイメージ世界なのですね。うーん、すばらしい!

  • tatimi
  • ベストアンサー率34% (19/55)
回答No.9

# すいません、かなりグチャグチャな文体になってます。 # しかも話題もばらばら、、、。もしわけないです。 会社に白いYシャツを着ていっていると思っていたある日、 同僚に「お前ってよくピンクのシャツ着てきて派手だよな」っと言われて ハッピーな気分になった事のある(専門医の判定で)赤緑色弱の者です。 (まぁ桜でもじっくり見なければ白にしか見えないのですけどね) しかし血の色は歴然と赤ですし、だれがなんと言おうと赤い夕日には 私の感情は高ぶり、殺伐とした信号機も明確に赤信号であり、 青い空は私にさわやかさを与えてくれるのです。 すべての意味は、あなたが青と見えている色は、 私には赤に見えているかもしれない(健常者同士でもしかり)。 そしてそれを証明する手段は無いという事ですよね。。。 色盲にしても明るさだけしか認識できないことは無いようです。 (↑ほとんど現在の迷信になっているような。。。) それは人間の脳が非常に良い色覚に対する近似情報を与えるから、です。 同じ色に見えていても、人間の形状認識の能力が 固定概念と結び合わせて色の概念を生成します。 (その機能が働くなるような人工的なパターンで検査するから 生活に支障の無いレベルまで敏感に引っかかるのです。) 色覚異常は、日本人(というかアジア人種)では約 5% の人に、 西欧人では約 10% に、黒人系統では約 2% になるそうです。 これって、色覚「異常」ですかねぇ? (いや、mori0309さんを責めてるわけではないですよ。) 日本人で言えば、成人で身長180cm以上の人、、っていうのと 同じくらいの感覚なはずなのですけどね。異常、、不思議なものです。 # 「身長180cm異常」ってですね?(^^; 身長180cmの人が困るような電車の扉や通路の設計はしないけど、 JRなんかは平気で色覚異常の人が困る色使いをしますね。 すべては、色覚が個人の感覚の上に成り立っている物であって、 身長のように客観的に他人を見れて「あの人はこうだから困る」という 判断ができないからでしょうね。。。 # デザイン部門だからと言って色覚異常者を採用しないおろかな経営者が # 居たのでしょうかね?おかげで300万人を敵にまわしましたか。 ところで、色覚異常の人にしか見えないものがあります (色覚の敏感な周波数が違うために)。 学校で使われる石原式(色の点々の絵)では、 青系色覚異常者には健常者には見えない線が見えるようです。 人類が文明を持ち始めた頃のシャーマンと言われる人たちは 実は色覚異常者であった率が、人種平均よりも高かったのでは無いかと 勝手な自論をもっています。 例えば青色の色覚が弱い人がいたとします。 その人は赤と緑に対して敏感になりますので、他の人が薬草と普通の草の 区別がつかなかったのに対して、すばやく薬草を見分けられる。。 そんなシーンがあったのかも知れません。 (平均的には赤緑をロストして暗闇がよく見える気がしますが、 小数の人が生存に重要な色覚を得て、得したという例えとして) 生物の色覚数(錐体)は、その活動場所にそれなりに相関が見られるように思います。 主に暗いところにいる生物ほど単色(青が多い)しか見えない。 そして明るいところに生きる生物ほど色の数が増え、 人間ではRGBの3色、サルより前(ねずみ類とか)までの先祖ではもうちょっと 暗いところにいたので、記憶失念ですが、青ともう一色で二色が多いです。 深海の魚には、明度もありませんね。。 そして日中行動を主とする生物では、人間には見えない色覚を持っています。 (例えばRGBに加え紫外線の色覚を持ち4色覚とか) 人種差別とか一切抜きにして、黒人、黄色人種、白人の 色覚異常の発生率を考えると、肌の色と暮らしていた地域の 太陽の明るさが奇妙に一致するんですよね。。。 # 統計取ったら、色覚異常者に夜型人間が多かったりして(^^; MSのサイトは、私も時々見に行っています。 このサイト、ネームバリューのあるMSがやっている意義が非常に大きく すばらしいと思うのですが、 (まぁ白人の国ですから、アジア的感覚でとらえると驚きになるだけで 向こうでは普通の事かも知れませんが。) それにしても、ディスプレイのRGBを人間の色覚と同じつもりで いじっていないか心配です。 人間の赤の錐体は色温度5000K(でしたっけ?)のRGBと同じという 誤解があったりすると、また話がややこしい方向へ行きそうな気配が。。。 戦争後は色覚に対して人種差別のような厳しいあつかいをされた時期が あったようですが、今は良い時代ですよね。。。 しかし部落周辺の部落でなかった集落にはこのような 感情は表に出ないまでも、依然残っているのでは無いでしょうか? (ここでは無いですが)ときどきそのような印象を感じる発言を見かけます。 個人的に、最近、色覚異常について哲学、認識、生物学まではみ出して 考えてみて、ちょっと楽しくなっています。

mori0309
質問者

お礼

tatimiさん、回答ありがとうございます。 私は色覚に関する知識はほとんど持っていませんでした。みなさんの ご回答によって、たいへん学ばせていただきました。感謝いたします。 「色は誰にも同じに見えているのだろうか?」「それを確かめる方法は あるだろうか?」という素朴な疑問からこの質問をたてさせていただき ました。実は、色だけでなく、音・味・匂いといったものについても 「はたして誰にも同じように感じられているのだろうか?」と、前から 思っていました。個人間の多様性がかなりあるような気がします。もし かしたら、この種の外界認識能力は、進化途上真っ只中なのでしょうか。 だから多様性の幅が広いのでしょうか。進化した人類は、色・音・味・ 匂いのほかに、何か新しいカテゴリの「知覚」の能力を体得することが できるでしょうか。獲得形質が遺伝することは本当にないのでしょうか。 意志や願望が遺伝子を変化させることは、絶対にありえないのでしょうか。 「外界を認識する」ということの本当の意味は何なのでしょう。なぜ 自然は美しいのでしょう。(すべて自分への問いです) いい年をしてこんなことばかり考えているmori0309でした。

回答No.8

 既に「質問2」の回答については、よく例に出される話が、分かりやすく載っているので、「質問1」についてのみ、回答します。  私も「赤緑色弱」(最近は「全色」とチェックされるコトもある。)です。 大体の実体験は以下の通りです。 (1) 幼少期に木の絵を描いたところ、葉っぱを「茶色」に木を「緑」に塗っていた。 (2)  高校の美術で描いた「水彩画」では、前週には「緑系の色」のつもりで   着色した部分が、次週見てみると「赤系の色」で着色されていた。 (3) 色鉛筆の「緑」を取ったつもりで、紙に着色すると「茶色」だった。   (しかし、両方が並んであれば、判断は付きます)  要するに「赤」と「緑」の中間色の判断が非常に曖昧で、体調や意識の仕方によって、見え方が異なってくる状態で、 比較的ハッキリした色であれば、「赤・緑」の識別はつくという感じです。

mori0309
質問者

お礼

passfinderさん、回答ありがとうございます。 ご自分の色彩知覚について話していただいて、恐縮です。 世界の見え方は、人によって微妙に違うのですね。見え方が違うのと同時に、 言葉の意味の「自分のなかでの定義」にも個人差があるという、二重のすれ ちがい要因があるため、「議論がかみ合わない」ということが、日常茶飯事 なのですね。「色・音・味・臭い」ですらそうなのですから、もっと抽象度の 高い事柄の知覚になると、文字通り百人百様なのでしょうね。 「見える」にしても「分かる」にしても、主体としての「自分」がいるから 可能なわけで、「見える」「分かる」ための目や脳のしくみそのものが 「自分」であるわけではないですよね。 どうしても質問をそっちのほうにもっていってしまうmori0309でした。

  • kokucho81
  • ベストアンサー率61% (157/255)
回答No.7

色覚に関する考察は http://www.sakuranet.or.jp/~tks/color/text/ とか WEB作成者の立場から書かれている http://www.microsoft.com/japan/developer/workshop/design/color/hess10092000.asp とかは、「え、そういう風に見える人もいるの?」って感じで言葉ではなく、直感的でわかりやすいです。

mori0309
質問者

お礼

kokucho81さん、回答ありがとうございます。 HP、たいへん勉強になりました。今まで知らなすぎでした。

  • pancho
  • ベストアンサー率35% (302/848)
回答No.6

色盲・色弱が差別用語に聞こえる方がいましたら、ご容赦ください。 【回答1】:色盲は特定の複数の色が判別できない(同じにみえる)ことを言い、色弱は色全体について判別しづらいこと(彩度が低い?)場合を言います。一番多い色盲は「赤緑色盲」だと聞いていますが、これは「赤」も「緑」も同じ色に見えるということで、では、何色に見えるのかというと(回答2で説明しますが)主観的に「赤」でも「緑」でも「他の色」でもあります。とにかく同じ色なのです。 【回答2】:では、「皆さん同じ色をみているのでしょうか」というと、ある人にとっては「赤」に見える周波数の範囲と別の人に「赤」に見える周波数の範囲が違います。ただし、別々の色をみているのではなく、後天的にこの範囲が異なって学習されているからです。ある人が「青緑」と表現している色を別の人が「緑青」だと言っている様なケースです。(この二つは別の色です。) もうひとつの問題として、(これは確認する手段がない問題なのですが)ふたりの人が共に「赤」として同じ物を見ているとしても、頭の中で赤を表現している意識が、もうひとりの人の頭の中で本当に同じ赤として意識されているかどうかはわからないということです。ちょっと解りづらい表現ですが、極端な例を言ってしまうと、私の頭の中の「赤」は、貴方の頭の中では(実は私の頭の中での)「青」が再現されている可能性もあるのです。言い直しても解りづらいですね。やめましょう。 A君に見えている「赤」とB君に見えている「赤」は、実体があるもの(例えば車の色)としてはほぼ同じにでしょうが、頭の中の色としては違っている可能性があります。が、それを確かめる手段は今のところありません。たぶん将来的にも無いでしょう。 以上。

mori0309
質問者

お礼

panchoさん、回答ありがとうございます。 私も質問文のなかに、panchoさんが冒頭で書いておられる一文を入れるべきでした。 色盲・色弱が差別用語に聞こえる方がいましたら、本当に、ご容赦ください。 ただ色覚異常や色覚障害という言葉が、いわゆる「差別」を免れているかと言えば、 そうとも思えないので、どうすればよいのか悩みます。 何らかの障害をもっていらっしゃる方への配慮はどうあるべきか。難しいです。 あんまり行過ぎると「障害を持つ方の前ではそれについては語るな」ということに なってしまいそうで、これはこれで、また不健全な社会だと思うのです。 みなさんのご回答を読んでいろいろと考えたのですが、色や音や味や臭いといった ものの知覚能力や知覚精度には、かなり個人差(というよりも多様性)があるので しょうね。言語文化や生活環境も相当影響するようですね。色も音も味も臭いも、 自然界に人間とは無関係に存在する客観尺度ではないし、「色・音・味・臭いの 正常な知覚精度」なども無いわけですよね。 「トマトの色はA君にもB君にも同じ見え方をしているか」という問題の答えは 絶対に得られないのですね。他人の肉体に入りこんで世界を眺めるのことはでき ないということですね。私がこだわって思索を続けている、意識の唯一性・意識の 自己同一性、そして意識の正体とも関連があるので、さらに考え続けたいと思って います。

  • snowair
  • ベストアンサー率29% (13/44)
回答No.5

質問の >A君に見えている「赤」とB君に見えている「赤」が同じか >どうか確認する方法はあるでしょうか? についてだけでごめんなさい。 実は私、右の目と左の目で見える色が違うんです。 右は全体的に黄味がかっていて、左は青が強いのです。 これは「白」をみた時に顕著です。 赤ではあまり違和感は感じていませんし、普段は両目でものを見てるので 赤は「赤」だけだと思ってるけど・・・ ためしに片目ずつで赤を見ていたら、右はオレンジ系、左はピンク系に 見えてきました。 一人の人間でもこうだから、別の人間同士で赤が同じじゃないことが ありうる気がします。

mori0309
質問者

お礼

snowairさん、回答ありがとうございます。 snowairさんのような方もいらっしゃるのですね。新鮮な驚きです。 (失礼な言い方で申し訳ありません) 目から入った情報を識別する脳機能が、右目と左目と、それぞれ別なの でしょうか。「どちらの目から見た色が真実だと思いますか?」 と聞かれてもsnowairさんとしては「両方とも真実だよ」と、お答えに なるしかないですよね。相対性理論では物質の「絶対位置」や「絶対速度」 がないといわれるように、世界像や宇宙像についても「絶対真実」はなく 認識者による「主観的真実」しか、この世にはないと言えるでしょうか。 (話が飛躍しすぎですね)

  • tnt
  • ベストアンサー率40% (1358/3355)
回答No.3

はじめの質問ですが、明るさだけ見えて、色が見えない状態 らしいです。 後の質問ですが、人によって異なるはずです。 色そのものを異なる色と判断するよりも、 ヨーロッパ人には日本人の顔が見分けにくが、日本人はすぐに見分ける のような感じで、異なる色を同じ色と判断する範囲が変わるということです。 ○○RED に言葉をくくる人たちと、 朱色、赤、紅、深紅(まだあるかな)と分ける国の言葉の差 ぐらいの感じ といったら言い過ぎでしょうか。 このため、映像を扱っている学会でのいろいろな実験では、 主観テスト(見た人が感じる感じ方で評価するテスト)が 大きな比重を占めています。

mori0309
質問者

お礼

tntさん、回答ありがとうございます。 みなさんの回答を読んでいて、色の見え方や色合いの識別能力は、人に よってかなり違うのかもしれないなあと思いはじめました。「絶対音感」 という言葉があるように「絶対色感」というのもあるのでしょうか。 絵を描いている方は、一般の人よりも色感が研ぎ澄まされているのかも しれないですね。

noname#1595
noname#1595
回答No.2

【質問1】色盲・色弱の方には色はどのように見えているのでしょうか? 私は、当事者ですが、多いとされる緑と赤の色覚障害の場合、それぞれ、個別では、それらが全く異なった色であると認知されて居るものと思われます。しかし、 緑の山にある紅葉部分は、赤いと認識されずに、その部分が立ち枯れしているような印象を持ちます。が、近づいて、その紅葉した木を見れば、赤いとわたしはいうでしょう。学習の結果です。わたしは、<FONT color="#ff0000">この色が赤</FONT>にみえますが、それは、これを赤と習ったからに他ありません。言い換えれば、一般の人は、この色がどのように見えているか知りたいと思っています。なお、わたしにとっては、信号機の黄色はもっとも判別しやすい色です。人によって異なります。たいていは、石原式色覚検査表のような模様は判別しづらいのですが、色がごちゃごちゃと混ざっているからでしょう。

参考URL:
http://www.nbj.co.jp/pastel/
mori0309
質問者

お礼

chihiさん、回答ありがとうございます。 画面全体をcolor="#ff0000"にしてみました。トマトジュースの色に 見えます。 > 一般の人は、この色がどのように見えているか知りたいと思っています。 それを何とかお伝えする方法はないものでしょうか。ものすごく興味と 関心がわきおこってきました。

  • yamagtsa
  • ベストアンサー率38% (19/50)
回答No.1

こんにちは。 【質問1】について。 私ではないんですが、友人が色弱でした。 その友人は「黄色」が見にくいらしく、 「信号とかどうやって判断するの?」と聞いたところ、 「赤でもない、青でもない、じゃあ黄色だ」と言ってました。 ということで、黄色というものは見えないそうです。 なんだか、あまり答えになってなくてごめんなさい。

mori0309
質問者

お礼

yamagtsaさん、回答ありがとうございます。 いままで知らなかったことを、みなさんのご回答や紹介していただいた HPによって、たくさん学びました。