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悪法を守ることは善か悪か?
敢えて簡潔に質問します。 悪法も法なりといいます。 悪法であっても守るのが法的には正しいのでしょう。 しかし人としては悪法を守ることは善でしょうか?それとも悪でしょうか?
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私は 普通の肉体労働者で、法律学とかは知りません。 でも現代における悪法というのがピンときません。 何か例とかありますでしょうか? 現代では 法律はかなり弱いものの味方となる形に整備されているかと思います。 現代を問わずでしたら 滅茶苦茶な悪法とかがたくさんあったとは思います。 でも そのことの前に 少し「法とは どういうものか」を 私なりに考えてみました。 みんながおいしい魚をとるために握っている網を常識というものに例えるならば、 、その綱を手放さないように社会的な圧力(規制)を力づくの正義で守るもの というのがまず考えられます。 違反(手を勝手に離してしまった人、常識はずれな行為行動を慎まなかった人)は罰金なり、拘留なり、最悪は死刑。 が、その時に、その正義の網の目をくぐって、 一人一人のかけがえの無い命を無視し、弱くめだたない人をいじめる人がいたとします。 もっとも大切な真実が 常識の網の目からこぼれてしまった形の一例です。 いじめられてる人はするがしこ人の影にかくれて 大勢の人の目に触れないのですが、網の目がその辺複雑で あるいは雑で その弱者にはおいしい魚はとどきません。 するがしこい人はその分の魚をまんまと独り占めです。 これは資本主義社会のひずみを すべて否定的にとらえての例え話ではありません。 もし仮に、それよりも おいしい魚をより多くの人が食べるシステムがあるというなら、そしてそれを誰かが操作して隠しているというのならば、その人は確かに この例えの「ずるい人」の内に入るということは出来るでしょうが、 現実は、そのへんそういう状況ではないからです。 だからといって その全部を肯定するのでも、その中での理想の追求とかを諦めたりするというのでもないですけど、 この「例え話し」自体の意味あいは解っていただけることと思います。 網の雑な法は、いままでたくさんあったでしょう。 でも それは長い長い間に そうとう整備されてきた重みがある世界でもあるところと思います。 そこまで 言うと「敢えて簡潔」な質問とはならない。ということになるのかもしれませんが、 これは 私の知ってる人が 麻薬問題で裁判にかけられた時の感想で私の方からは 本気で確認しておきたい点となるのです。 その裁判では 私自身傍聴しましたが、 弁護側も検事側というのですか、ともかく犯罪を追及する側も、誠実な性格の弱者であるその人がどうして麻薬を所持し、多少吸うにもいたってしまったのかを追求し、かつ反省心を確かめ、ほんとに両側が結局 彼を味方していました。 最後はその何週間後無罪でした。 重みのある世界だと思いました。感動もしました。 このような 余韻にまだひたっている(一年はたちましたが)私の方からは 戦争中の日本のことを書いていいですか、 多少極端な話となってしまいます。 こうなると悪法は 悪法です。 「悪法も法なり」なんてとても言えたものじゃないです。 人を殺して法ですか? ほんとうの姿は 戦争を肯定する法なんて法じゃないです。 もし、生きている 同じように生きてるすべての人のかけがえの無い命を 真剣にというか あたりまえに考えるならば、 そんな悪法を守ることは 悪です。 でも そうしなければ殺される時はどうなのでしょう。 国の法であれば 自分だけじゃすまないかもしれません。 自分や 自分の周りの人達の命や生活を守るためには、悪法でも守らなければならない状況を作ったやつらが、悪です。 今 こうした時代だから 私は、この真実をえらそうに当然のこととして書いてます。 私なら 同時だったら怖くて 真実は知ってても言えなかったでしょう。 でも そんな時代にも命をかけて、 悪法は守っちゃいけないと叫んだ人達がいます。 今は亡くなられている ある私の知ってる方です。 その人は 死ぬ時には うなされたまま死んでいきました。 ああひどいことをした中国の人達の謝っても誤りきれない。 ああ悪いことをした 悪いことを 自分自身は命をかけて戦争を止めようとした人ですよ、実際殺されかかってもいますよ。 その人が、もう意識もうろうとしている時に、それでも これは、もう 言葉が無いですよね。 悪法は悪法だとほんとうは叫ぶべきなのでしょう。 そんなの守らない勇気が ほんとうは必要なのだと思います。 たぶん それは「善か悪か」という問題ではなくて、 私たちの善の心の意志や勇気が問われている 私たちの心の成長や修行と関わる問題なのだろうと思います。 わたしに、そう言う資格があるとは思いませんが、 でも、 その人のことを思うと 心はふるえ、涙が出てきます。 悪法は 悪法、 どんな時にもそう言えるような人間になりたいです。
その他の回答 (15)
そもそも、この質問。 「善」と「悪」の基準が曖昧過ぎます。 「悪法」→「法」なのだから、この場合「善」 と定義すれば、答えは簡単。 「悪法」なのだから、やっぱり「悪」 と定義しても、答えは簡単。 「悪法」の解釈次第です。
お礼
自分でもよく分からなくなりました。 回答ありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「人としては」と言っても、「人とは何か」ということの答えがない段階では、悪も善も絶対的な評価にはなり得ないのだと思います。 その意味では「悪法でない法」であっても、必ずしも「良い法」とは限りません。 実際的な問題としては、 「悪法」という評価が総意として固定しているのであれば、守るとか破るとかいうことではなく、改善することが文字通り善ということになるでしょう。 それまでは、守るのが善か悪かは個人の都合による評価でしかあり得ません。
お礼
自分でもよく分からなくなりました。 回答ありがとうございました。
- ecoshopQ
- ベストアンサー率10% (18/172)
善。 理由:悪は存在しないから。
お礼
自分でもよく分からなくなりました。 回答ありがとうございました。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
悪法で助かる人がいる以上、破ることは悪ではないかもしれないが、守ることは善行でしょう。
お礼
>破ることは悪ではないかもしれないが、 それは悪法を破ることは善かもしれないと捉えてもいいのでしょうか? しかし守ることが善ですか。
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
悪法も法なり 各人で判断すれば法にあらず
お礼
それは質問のうちです。 それで、それは善ですか悪ですか?
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お礼
法には雑さと複雑さ、それに重みがあって それ全部を肯定、否定できるものではないようですね。 悪法は守っちゃいけないと叫んで亡くなられた人達の話には心を打たれました。 >「善か悪か」という問題ではなくて、 私たちの善の心の意志や勇気が問われている 同感です。 回答ありがとうございました。