- ベストアンサー
「抜け駆け」について
日本史上「抜け駆け」は結構あるようです。 島原の乱の幕府軍が総攻撃時に一日早く抜け駆けしたらそれにしたがって予定より一日早く総攻撃に移ってしまったとか。 こういうのって、総大将にしてみれば (1)命令どおりに動いてもらいたい (2)戦闘意欲旺盛なのがよく伝わるので、本音を言うと抜け駆けは歓迎だ (3)命令出しても動かないよりいいから「抜け駆け」でも「命令通り突撃」でもどっちでもいい というような気持ちはあると思うのですが、どう考えているものなのでしょうか?
日本史上「抜け駆け」は結構あるようです。 島原の乱の幕府軍が総攻撃時に一日早く抜け駆けしたらそれにしたがって予定より一日早く総攻撃に移ってしまったとか。 こういうのって、総大将にしてみれば (1)命令どおりに動いてもらいたい (2)戦闘意欲旺盛なのがよく伝わるので、本音を言うと抜け駆けは歓迎だ (3)命令出しても動かないよりいいから「抜け駆け」でも「命令通り突撃」でもどっちでもいい というような気持ちはあると思うのですが、どう考えているものなのでしょうか?
お礼
ごもっともだと思います。 目が覚めた思いです。日本の軍隊体質だったのでしょうか。 烏合の衆が強いはずはないですからね。ましてや島原でも犠牲が増えたとすれば。 板倉は過酷な年貢を取り立てた上に、不要な城普請を強制工事させるなど、自らの矮小さをなんとか粉飾したかったのではないでしょうか。それが幕府にキリシタンに対して甘いのではとにらみを利かされると、強いものにはそれ迎合だといわんばかりに、すごい弾圧をしきました。こういうことが一揆の背景でもあります。一揆を起こさせるような支配者にはすなわち度量がないということの証明でもあります。 今回のご回答で、あらためて、抜け駆けはずるである、という至極当たり前のことを認識できました。