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戦国時代の乱取りについて

乱捕りされ売り払われた人々は、奴隷としてどのように使われたのでしょうか?よく戦国時代の乱捕りの話は聞くのですが、売り払われたその後の状況はあまり聞かないもので。男は雑兵になるのでしょうか?女の人は略奪婚させられるのでしょうか?子どもは?ここでは、海外に売り払われた人々ではなく、日本国内で売買された人々についてお願いします。

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回答No.3

武士あるいは戦闘要員以外の人は乱捕りの対象になります 拉致された後は人以下の家畜のごとくつかわれたそうです ルイス フロイスの日本史のなかに 島津と大友の耳川の戦いの後の捕虜の扱いにたいして ひどいものだと書いています 以下がそのないようです (島津は自国での戦いではなく 他国ですからね) (1) (薩摩軍が)実におびただしい数の人質、とりわけ婦人・少年・少女たちを拉致するのが目撃されたことである。これらの人質に対して、彼らは異常なばかりの残虐行為を(あえて)した。彼ら(被害者)のうちには大勢のキリシタンも混じっていた。 (2)薩摩軍が豊後で捕虜にした人々は、肥後の国に連行されて、売却された。その年、肥後の住民はひどい飢饉と労苦に悩まされ、己が身を養うことすらおぼつかない状態にあったから、買いとった連中まで養えるわけがなく、彼らをまるで家畜のように、高来(長崎県・島原半島)に連れて行って売り渡した。彼らは豊後の婦人や男女の子供を二束三文で売却した。(売られた)人々の数はおびただしかった。 (3)島津軍に捕虜となった人々は、薩摩や肥後に連行された後、羊の群のように、市場を歩かされ、売られていった。彼らの多くは1、2文の価で売却された (4)当地方に渡来するポルトガル人・シャム人・カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国・両親・子供・友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国ヘ連行している。 (5)豊後の国に跳梁していた最悪の海賊や盗賊は、とりわけこれら仙石の家来や兵士たちにほかならなかったからである.彼らは、なんら恥とか慈悲といった人間的感情を持ち合わせていない輩であり、当不当を問わず、できうる限り盗み取ること以外に目がなかった。 フロイスをして 島津軍は豊後南部の地を焼き払い打ち壊して侵攻し、捕虜とした人質に対して異常なほどの残虐行為を行っているが、大友方の応援の豊臣秀吉の武将仙石秀久の軍勢によっても略奪・乱妨行為が行われていたと 敵ばかりでなく、味方の軍勢によっても略奪された。  フロイスは 戦国期日本各地の戦場で繰り広げられた残虐・非道の行為は大同小異で見てきたでしょうが、捕虜を外国に売り飛ばすという暴挙の舞台となった豊後の悲惨さに立ち会って どう思ったでしょうか 秀吉はびっくりして すべてもとに返せ 外国への人身売買禁止を通達したそうです。  

noname#68004
noname#68004
回答No.2

男は金山、女や子供は宿場や遊廓に連行されました。 売春は世界最古の職業です。 縁起担ぎの略奪婚は身分の高い女性の場合ですね。 ほかには火薬輸入のため海外へ売却されたり。南蛮貿易のためキリスト教に改宗する大名も多かったようですね。 欧州と同様に。連行せず、親族が身代金を払えば開放したパターンもあったようです。 16.小岩嶽城落城  第二章 信玄の筑摩・安曇郡平定(8) >男女は生け取りにされ、ことごとく甲州へ連行 >親類のある人は二貫、三貫、五貫、十貫というお金を払って請け戻し http://www.shimintimes.co.jp/yomi/shingen/16.html

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

農業労働者 だっと記憶しております。 現在のような家内制農業が成立したのは江戸時代に入ってからしばらくしてであり、江戸時代初期は農業の生産単位には多くの作男や作女を必要としました。 http://www.maff.go.jp/chushi/a/kyoku/jigyou/suiri/yoshino/3/3.htm

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