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知的障害の子供の保護者の外出の付き添いについて
- 知的障害のある子供の保護者が外出する際に付き添いが必要かについて友人と議論しました。
- 障害の程度に関わらず、子供が自主性を発揮できるかどうか、偏見やトラブルのリスク、金銭的な問題などを考慮する必要があると話しました。
- 精神的な病を持つ友人の考え方は放任であるが、養護学校の先生との相談が必要ではないかとも助言しました。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんは質問者さんなりに、 たいへん真剣に考えておられることと思います。 ありがとうございます。 さて、今回は専門職かつ障害者(私も障害者です)としての立場で 申しあげますね。 まず、障害認定と要介護について。 障害認定における「要介護」というのは、 「いつ何どきでもそばにいて支援・介護し尽くさなければならない」、 ということではないんです。 実は、障害者自立支援法上の報酬請求上の一区分に過ぎません。 身体障害者手帳上にも 「要介護」というスタンプが押される場合がありますが、同様です。 (私の手帳にもこのスタンプが押されています。2級ですし。) 次に「親権」について。 親御さんがどこまで子を守る必要があるのか、ということですね。 子が20歳を迎えると、実は、子は親の手から離れて、 法的にも独立した存在になります。 知的障害者福祉法で言いますとさらに早く、18歳で成人扱いです。 独立した1人の存在として扱われますから、 たとえば、費用負担などでも、その人だけで1単位として扱います。 養護学校(いまは特別支援学校)の高等部を卒業したらすぐ、 ということになりますよね。 このような事実のほかに、たとえば、 刑法などでも「1人の独立した存在」として扱います。 どんなに障害が重くても、 法定後見(成年後見制度)の被後見者(以前の禁治産者)でない限り、 自分の起こしたトラブルは免責されませんし、 法に触れれば、その人はしっかりと罪を負わなければなりません。 また、お店が訴えられる、のではなく、むしろ実態は正反対で、 トラブルを起こした側、つまり障害者側が訴えられます。 障害者であろうがなかろうが、その責任の度合いは関係ないのです。 どんなに障害が重くても、 ただ単に障害が重いなどという理由で免責されてしまう、というのは、 私は賛成できません。 まずは周りがサポートするにしても、何もかもサポートする必要はなく、 また、そうしてしまうと、やはり、 障害者自身が本来持っているはずの「学ぼうとする力」や 「伸びてゆこうとする力」が失われてしまうと思います。 もちろん、その障害者の方の能力等によって、 おのおの適切なサポートがなされるべきだとは思います。 しかしながら、「やってあげる」という 「いわば、上からの押し付けのようなサポート」というのは、 適切なものだとは思いませんよ。 ほんとうの意味でのサポートというのは、 「これだけはどうしてもできないので、あなたの力を貸して下さい」と、 そのことを障害者本人が認識できたときに、 そこで初めて行なわれるべきものだと、私は考えています。 本人が望みもしないサポートまで行なわれるべきではない、と 言い替えれば良いでしょうか。 何ができないのか・何が自分にとって苦手なのか、 あるいは、どんなときに自分はトラブルを起こすのか‥‥ということを、 どんなに障害が重くても、 その障害者がその障害者なりに受け止めることが必要だと思うのです。 ですから、そういった意味で、 あえてトラブルに巻き込まれる機会というのは、 本人の成長のためにもあり得ることではないだろうか?、と 思っています。
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失礼な物言いを承知の上で、あえて申しあげますね。 何と言うのか、精神的な病気がどうのトラブルがどうのと、その言葉の裏側に障害を持つ人に対する質問者さんの無意識な見下しみたいなものがありませんか? 要介護だの何だのという言葉にも、障害者は周りから完全に守られるべき存在だ、という思い込みが出てるような気がしてしかたありませんでした。 それでいて、人のお子さんだから関係ない、とおっしゃっていますね。 これは、ずいぶん失礼な言い草だと思いますよ。 ほんとうにそう思っているなら、かかわらなければいいだけのことですよね? 余計な心配などするな、ということになってしまいます。 はっきり言いますけれど、質問者さんは、自分が面倒な思いに巻き込まれたくないから、ああだこうだともっともな理由を付けて、説明付けようとしてるのではありませんか? 私も#2さんの意見に賛成で、何が何でも守られるべき存在だとかトラブルがどうのこうのとか、障害者をマイナスのイメージでしか見てないかのような質問者さんの考え方には、ちょっとがっかりしました。
お礼
正直言って、私自身この問題はややこしくて判断がつかないから、ここに上げたのです。 細かい条件を考えていくと、法的に彼女の場合危ういのでは。人の子だ、私は保護者じゃない、といえばそれは真実ですが・・。 でも、やっぱり学校自体、地域社会に対して、理想があるとは思いますよ。それは一父兄としては、思うんですよ。 障害者に対する偏見とか、持っているようで、私自身も障害者なので、それはあまりないですね。それでも店のレジぐらいは打てるわけで、時々、私そういえば障害者だったわ、と思っている程度です。 マイナスのイメージで見ている、といえば、私はよくニュースを見るんですが、結構社会面の隅に葬り去られている事件をよく読むと、知的障害者の事件が時々あります。その社会的立場を考えると、こういう杞憂が出るからですね。 一昨日前、たまたま店で知っている軽い障害のある子供と親が買い物していて、その話を友達にしたところ、へー、うちは一人で買いに行かせるよ、と言ったところから出た話です。 親子が良いなら、それでよい話ですが・・。 彼女自身も、精神的な病で、体がだるいようだから、子供に付き添うように言ってもできないみたいですから、これ以上言うのは暗礁に乗り上げるでしょう。もうこれ以上言わないことです。 ありがとうございました。
#2さんの意見はたいへん的確に思います。 親も老いていきます。いつまでも子に付き添うわけにもいきません。 ヘルパーさんを頼むことも出来ますが、介護は障害者本人の「自立」を促すためのものです。できることはやらせる、が基本です。 言葉がなくても買い物はできます。 周りの人間が偏見を持つか、トラブルを心配するか、あるいはサポートしようとするかは人それぞれでしょうね。 あなたはどの立場をとられますか? 養護学校の先生に相談をとおっしゃいますが、私的な外出に教師は口出ししません。「こういうことが出来るといいですね」という目標を提示しても、よほど危険なことでない限り親の判断で子にやらせていることを「やめろ」とは言いません。 ちなみに「特殊学級」という呼称はかなり前から使われておりません。今は「支援級」と言います。 失礼ながら福祉にも学校にもあまり詳しくないかたが助言をなさっても、説得力がありません。
お礼
>失礼ながら福祉にも学校にもあまり詳しくないかたが助言をなさっても、説得力がありません。 養護学校の先生のお言葉のようですが、あまりに世間知らずな一言で驚きました。 なぜ、地域や社会に、障害のある子供の理解を求めようと活動なさらないのでしょう。学校で教えていれば、公務員としての仕事は終るのかもしれませんが、この程度の方が教鞭をとられているようでは、あまり期待できないでしょう。 私は、養護の教員の方に、地域社会や周囲がどの程度、理解や支援を周囲が持っているか、その度合いを彼女にきちんとお話できるだろうと思って、言葉を託したのです。とても教員自体、地域の母親とも連携が取れないぐらいの高飛車な態度をとっているようでは、お店屋さんでトラブルが起こったとき、解決もできないでしょう。 失礼なお言葉を言ったとしたら、申し訳ございませんでした。先生に期待しすぎだったかもしれません。 ありがとうございました。
補足
彼女のお子さんが通っている学校の先生は、そんなことはないかもしれませんが、やはりいろいろなテーマで父兄たちとも話し合う内容ではないでしょうか。 あなたの高飛車な言葉に、教員に対する幻滅を感じます。子供達の発展や幸せを祈るのが先生でしょう。 あなたには経験がないでしょうが、私たちには子育てした経験があるんですよ。PTAで活動した経験だってあります。子育ては苦役ではないです。教育も苦役ではないです。 少しでも、卒業していく子供たちが、地域に受け入れられ、愛されるように頑張っていくのがあなたたちの仕事ではありませんか。 二つの親の養育態度の違いに何か思うところもあるでしょう。その部分を先生として父兄に対してコメントしていくべきだと思います。 もう一度、先生として考えてみてください。仕事としては親の教育方針に口出しはできないかもしれませんが、あなた自身の教育者として考え方や判断は一応あるでしょう。 良い先生というのは、お小遣いの与え方や躾の仕方にも、アドバイスやサジェスションを父兄に与えます。あなたにはそういう微妙な丁寧さがないと思います。
- kurikuri_maroon
- ベストアンサー率85% (1980/2320)
こんにちは。 質問者さんの書かれた内容を、まずは整理してみました。 以下のとおりでよろしいですか? 質問者さん ● スーパーに勤め、レジをやっている ● 娘がいる ● Aさんの息子の買い物時に何かトラブルがないように、と心配してアドバイスした (障害者に対する偏見、金銭的なトラブル など) ● Aさんの育て方は一種の「放任」ではないか?、と思っている(?) ● Aさんに対し、「養護学校と相談してみては?」とアドバイスした 親御さん Aさん ● 息子が知的障害 (障害認定は要介護。養護学校高等部在籍中。) ● 息子の自主性を重んじて、ときどきコンビニに1人で買い物に行かせる ● 何らかの精神的疾患を持っている 親御さん Bさん ● お子さんが障害児 (障害の程度は軽い。質問者さんの娘さんと中学校が同じ。) ● お子さんのお財布のヒモは、親御さんが握っている ● お子さんの買い物には、ほとんど付き添う いろいろな意味で、それぞれが対照的ですよね。 どれが良い・どれが悪い、というのは決められないと思います。 ただ、どんなに障害が重くても、 住んでいる地域と何らかのつながりを持たないままで暮らしてゆく、ということは ありえませんよね? そういった意味では、私としては、Aさんの考え方のほうに賛成です。 もちろん、質問者さんが懸念しておられるように、 障害者に対する偏見に巻き込まれたり、あるいは、金銭的トラブルが生じやすいことは 容易に想像できます。 けれども、それはそれで良いと思うのです。 また、「放任」とは言い切れないような気がします。 社会で生きてゆくと、障害があろうとなかろうと、 あるいは、持っている障害が軽くても重くても、そういったものには関係なく、 誰しもが何らかのトラブルに巻き込まれる可能性が、常にありますよね? しかし、そのトラブルへの対処法については、 実際にトラブルに直面して学ぶ、という場合もありますよね? つまり、トラブルというのは、同時に、その人にとっての「学習」だとも思います。 そして、その「学習」によって、社会性が養われてゆくのではないか?、とも思います。 何でもかんでも周りが守ってしまう、 あるいは、トラブルが起こらないように未然に防いでしまう、ということは、 社会性が伸びる芽を摘んでしまうことになりはしないでしょうか? また、障害児・者がトラブルを起こさないように周りの健常者が守り過ぎてしまう、というのは、 裏を返せば、健常者側の勝手な都合から来ているのではないか?、という気もしますが。
お礼
Bさんのお子さんは付け加えるなら、言葉が話せます。大きな公立中学の中の♯3さんがおっしゃられるように(現在は支援級とおっしゃられるのですか、つい二年前は特殊学級という呼称だったと思いますが)支援級に所属していて、普通に歩いて一人で学校に通っていました。 それでも、店とトラブルにならないように、店のお客さんともトラブルにならないように、お母さんが昼間の時間についています。 私にはよくやっていてるお母さんだと思いましたが・・。 もう一人の彼女のお子さんは、言葉が話せません。義務教育期間中も支援級ではなく、養護学校そのものに通っていて、障害認定も要介護です。障害認定が要介護なのに、親がついていないということは、危険ではありませんか。もし何かが起こった場合、真っ先に要介護の障害認定だということが取り上げられるでしょう。そういった場合、証言も取れないし、障害者ということだけで、店側が訴えられたり、いろいろしたとき迷惑も掛かるでしょう。そのあたりは厳密にどうお考えになりますか。 お母さん自体、精神的な病気があって、ついていられないのかもしれませんが、なるべくついている方が良いのではありませんか。 保護者としての立場をよく理解している人と、していない人の違いでは。 障害の度合いにもよります。何かあったときは、人のお子さんですから私は関係ないですけれど・・。 ありがとうございました。
- nyara-1234
- ベストアンサー率25% (1/4)
介護度にもよるし、訓練も必要では? 放任している、とは思えません。専門家の意見を聞く、というのも間違ってはいないと思いますが。 地域の特性ですとか、お店の店員さんの理解にもよると思います。 お子さんが小さいうちは親御さんがつきっきりで面倒みることが出来ますが、いつかは親の方が先に亡くなります。 そうなった時に一人で生きていく力をつけさせることが親の仕事ではないでしょうか? 近所に障害者施設があるんですが、それで何かトラブルが起きたとかはなかったように思います。勝手に商品を持ってっちゃう子とかいましたが、 その施設に電話すれば良かったですし。
お礼
介護度にもよるし、訓練も必要。 私には、二人の親の態度に対照的なものを感じたのですが・・。 訓練すれば、買い物ぐらいできるようになるのは、前者の子でしょう。しかし、お店に迷惑をかけないように親が付き添っている。社会と戦っているようにさえ思えました。 私の友人の彼女の方は、ご主人に言われて、要介護だという障害認定を思い出す程度です。できないのに、命令口調で子供に言って、ご主人にたしなめられるような話をしていました。 あなたは親として、考え方が間違っていないか、とは問いましたが・・。ただ、彼女の住んでいる地域は、手を離したら、子供に何が起こるかわからない、という地域ではなく、学童も、高学年まで皆が続けているそうです。 知的障害のあるお子さんの場合、どういう自立の仕方が良いのでしょう。 もっと地域が歩み寄って、大人たちで見守るのが良いのか。 ただ、第三者から見たわが子についての客観性がある親と、そうでない親の違いのような気がします。 私は養護学校の先生に意見を聞くのが良い様に思います。社会への適応の仕方と、周囲の理解というものを一番わかっていらっしゃるでしょうから。 ありがとうございました。
お礼
大変わかりやすく教えていただいて有難うございます。 彼女のお子さんの法的な立場、要介護の意味、よくわかりました。 私が知らなかったことが、よくわかり、納得がいきました。 思うなら、最初のお母さんと買い物に来ていたお子さんには、ぜひ一人でパンを買いに来て欲しいですね。お母さんのガードに守られ続けなくても、お買い物を一人で楽しんで欲しいです。 パンの試食を勧めてあげると、にっこり笑って、ありがとうと言います。試食をごっそり食べてしまうので、管理者に、来たら隠せとか言われていますが・・。 本当の意味でのサポートという言葉に、ずっしりと来ました。自分はこれができない、だからほんの少し手助けをしてください、というところに人間的な成長がある、私たち大人にも、当てはまる言葉だと思います。 トラブルや人生から逃げてはいけない、という最後の示唆にも深い含蓄を感じました。