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障害児向けの学級に通わせる事には抵抗がある?
タイトルの文字数の関係で語尾が上目線になってしまいましたが 障害学級?ろう学校?等に 自分の子供を通わせる事はやっぱり 障害児だと分かっていても抵抗があるのでしょうか? 私は19歳です。 今は小学校がすごく学級崩壊してるとかニュース等で見聞きしますが 私の小学校の時は全然そういう事はありませんでした。 多少のいじめだったり、ケンカ等があったりはしましたが 理不尽な要求をしてくるだとか、常識的におかしいというような事は無く、普通の学校でした。 通っていた小学校がたまたま、すごく良いところだったのかは分かりませんが 私が中1の時に、その小学校では一部学級崩壊が起こっていたようです。 (私が在学中にはその学年が荒れている等の話は聞こえてきませんでしたが) で、親しい知人が勤めている小学校は 学級崩壊まではいっていないそうですが 授業中騒がしかったり、授業を聞かない子、寝る子いるそうです。 (このぐらいは普通の範囲内だとは思いますが。私立の学校からしたらありえないのかもしれませんが) 障害は無いですが、問題を起こす子もいるそうです。 それに加えて、なぜか障害児の子も複数いるそうです。 大体いてもクラスに1人とかなのですが、2人いるクラスもいるそうで 要介助の子にも介助がついてなかったりします。 (学校全体を通すと4~5名いたりするので) 思い返せば私も小学校時代同じ学年に落ち着きのない、障害がある子はいました。 でも、介助の人がついていたし(学年に一人だったので) 時たま、授業中に廊下を歩いていたりしましたが、大きな騒ぎを起こしたり、授業の進行を妨げたりはありませんでした。 ですが、知人の学校では 落ち着きが無い子とかが教室内をうろうろしたりと、授業に影響が出ています。 どう見ても、端から見て障害があるんだなって分かるので家族が認知していない事は無いと思います。 それに、すぐ近くの小学校には障害児の専門学級があります。 親御さん的に障害児学級に抵抗があったり、世間体とかいろいろあるのかもしれませんが 障害児の対応になれている先生、 同じ境遇の親御さん 通常学級より、安心できる環境 等々絶対的に障害児学級のほうが良い気がします。 一人一人のペースに合わせて、勉強も教えてくれますから 通常学級で学ぶより、すごくペースは遅くても、学べる事は多いと思います。 知人の学校の状況を聞いて、すごく気になってしまいました。 お暇がありましたら、ご回答ください。 (毎日通える範囲に、そういう学級等が無い場合は除外します)
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- suzuko
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支援学校教員です。 >時たま、授業中に廊下を歩いていたりしましたが、大きな騒ぎを起こしたり、授業の進行を妨げたりはありませんでした。 >ですが、知人の学校では落ち着きが無い子とかが教室内をうろうろしたりと、授業に影響が出ています。 あなたの言うように「騒ぐ障害児=授業の妨げになる存在」として「障害児向けの学級へ」と発言する人が居る限り、世の中の親は支援学級や支援学校へ子どもを通わせることは嫌でしょうね。 それは「自分の子は排除された」と受け取れるから。 あなたの知人がすべきことは、まずその騒ぐ子の特性を知ることです。もし、その子に障害があるのならば(教師の勝手な思い込みでは駄目です。心理士や医師の助言が必要です)適切な配慮を行うべきで、親が「地域の学校での学習」を望む以上、介助員の配置を学校長を通じて市に申し出るのが筋でしょう。 確かに支援学級や支援学校は、障がい児の為に設置されていますが、その選択権はその子とその親に属します。教育委員会も障がい児に対して「○○学校へ」と指導はできても、強制はできません。 ご参考までに。
- bismarks0507
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質問者の年齢を加味して言及の是非・適否について悩んだのが、やはり言及するべきと判断したので、言及しておきたい 質問者は、”障害者”と質問文で記述しているが、推測するに”知的障害者”が適切な主語であろう。 現在、一般社会では、”障害者”という用語は『害』の文字の意味を問題視され”障がい者”と表記するのが一般的になっている。この表現の適否については意見は色々あるが、仔細は述べない ちなみに、教育臨床論という教育現場の視座を重視する学問では、知的障害者の範囲は広い いわゆる普通学校(学級)での指導では十分ではない子女は、重篤な知的障害者である 臨床心理学が発展した近年では、”学習障害”という軽度の知的障害の研究・学校教育現場のケアが発達している 昔なら知的障害者とは扱われない子女も、現代医学では”知的障害者”になりえる、として理解するのが適切なのである。 アインシュタインは代表例なのだが、特異な功績を持つ学習障害者は多い。 現実には、多くの人間が、程度の差異はあれ学習障害とも言えるらしいのが現実である。 あくまでも、”障がい者”という扱いではなく、学習到達度が著しく劣る子女が、特殊学校(教育)の対象である、という認識が適切であり、軽度の身体障害では普通学校の教育に十分耐えうるものとして理解するのが望ましいだろう。 と同時に思慮してほしいのが、社会にも程度の差異はあれど”障がい者”が潜在的に多く存在することである。 学校においては、合理的に障がい者を分離できるが、実社会では、程度の違いはあれど障がい者が相当数存在している。 学校では、学習到達度だけで区分されるが、社会はそのような区分はないのだから、必然的に普通よりも劣る人間がしばしば見られる。(そういう人間が社会では暗黙裡で排除されるのものではあるが) つまり、現実社会でも存在する何かの障がい者を想定して、ある程度の知的障がい者とは一般生徒(学生)は席を同じくすることも必要な措置であろう、と思う 質問者の、障がい者・非障がい者の双方にとって特殊学級が望ましいとする意見は、大枠では適切であるが、その区分の難しさを含めて、その分離が総合的に双方のためになる、とは言い切れないように思える。 つまり、現実社会と同じように玉石混合で学校運営される側面もあるべきように思うのである 著しい劣勢の子女は別にして、普通学校と特殊学校の境界線は低いほうがいいように思う 特に義務教育課程では、望ましい人間関係を培う能力(『心育』などというが)が問われるのであって、学力などを主眼にする必要性はない。 望ましい人間関係を培う上では、『人間の個体差を如何に受容するか?』という問題が大きいのであって、小生は特殊学校が相当な子女の判断は緩やかであるべきように思う。 つまり、義務教育課程においては、共存するに両者とも無理があることが明白な場合を除いては、同じ学校内で教育が行われるべきように思う。 質問者が指摘する特殊学級は、普通学校内に存在する場合の話であるから、上記の指摘は的外れではあるが、小生個人は、普通学校内にある特殊学級の充実という意味では、質問者の真意に賛同する。 なお、学習障害児は、日常生活においては大きな障害などが生じることは多くない。 しかし、特定分野における学習能力が欠如することから、障害児とされる。 もっと言えば、日常生活において著しい学習障害が生じる分野の障害児が、知的障害児とされるとも言える。 障害とカテゴライズするにその障害内容を精査しない表現が一般的になりつつあるが、 小生が思うに、障がい内容を理解することが重要だと思える。 特に学習障害児は、苦手な領域を除けば、特異な学習能力を発揮し、社会的利益を創出する傾向にあるのだから、”障害”と簡単に処断するのは適切ではないだろう。 なお、障がい者とは、 (1)当人が障害を抱えている のではなく、(2)社会の障害を受けざるを得ない人・・という視座もあるので、「障がい」「障害」区分けは難しいように最近は思えるのだが、暇があれば、是非、(1)か(2)か、という問題についても思慮した上で、質問を質問者自身で思慮してほしい・・と思う 小生は、抵抗はあるが、可能な限り、教育現場として全てが幸福になれるような状況を創造できるように研究面で助力し続けるつもりではある。 以上・・・回答としては、判然としないので申し訳ないのだが
- bismarks0507
- ベストアンサー率31% (192/605)
元教師・現役予備校講師が、教育臨床論の視座で回答したい >障害児向けの学級に通わせる事には抵抗がある? 結論からいえば、抵抗はある。 ちなみに、質問者が、障がい者と大きくカテゴライズしているが、小生は、あくまでも知的障害・学習障害などの義務教育学習課程上において、著しい未達分野などが存在する子女・・・と解することにする。 簡単にいえば、例えば軽度の身体障がい者は、普通学級教育に耐えうるものであるし、障がい者との共存社会を要請する教育視座からしても、軽度の身体障がい者はむしろ普通学級に在籍するほうが望ましいだろう。 もっと言えば、質問者が指摘するように、障がい認定の有無に関わらず、上記した「著しい未達分野が存在する」ことを問題にするべきであって、障がいの有無を問う必要性はない・・と認識する。 >タイトルの文字数の関係で語尾が上目線になってしまいましたが (中略) 通っていた小学校がたまたま、すごく良いところだったのかは分かりませんが 私が中1の時に、その小学校では一部学級崩壊が起こっていたようです。 (私が在学中にはその学年が荒れている等の話は聞こえてきませんでしたが) 小生が知る限りは、局所的には学級崩壊が生じている事例は多々見られるし、伝聞する では、それが近年急激に増えたのか?と言われれば、そう言い切れないという話もよく聞く ”昔は学級崩壊・授業破綻回避の学級運営が重視され、「取り残される生徒」が相当数存在した”だけである・・とも指摘する専門家もいる (専門家は、取り残される生徒を重視することの適否を問題にするわけであるが) 学校の荒廃は、家庭教育の荒廃との関係性が指摘できようし、その逆も指摘できる。 なにも教育は学校だけで為されるものではない、というのが正しく 適切な生育には、適切な家庭教育環境・社会教育環境なども総合的に要請されうるものだろう。 >で、親しい知人が勤めている小学校は学級崩壊まではいっていないそうですが (中略) 障害は無いですが、問題を起こす子もいるそうです。 障がいの有無で人間を判断することは合理性もあるが、いわゆる社会的な弊害を生じえない障がい者も相当存在する事実がある 問題を起こす子女は、障がいの有無に関わらず存在するものである むしろ、障がいが想定される子女の方が予防などの視座で大きな弊害が生じえないことも指摘できるだろう。 絶対数として障がい者が少ない現実からも、必然的に絶対数の多い非障がい者の方が問題になり得る傾向にあるだろう。 >それに加えて、なぜか障害児の子も複数いるそうです。 (中略) 思い返せば私も小学校時代同じ学年に落ち着きのない、障害がある子はいました。 でも、介助の人がついていたし(学年に一人だったので) 時たま、授業中に廊下を歩いていたりしましたが、大きな騒ぎを起こしたり、授業の進行を妨げたりはありませんでした。 特殊学級に対する偏見・蔑視があっても、それを露骨に表すような子女もいなかった、という牧歌的な背景が過去はあったように思う ある意味では、特殊学級と普通学級は、見えない壁があるにしても、その壁はあくまでも到達度の問題にすぎなくて、到達度が低ければ、いつでも特殊学級側に編入される、という部分でも過剰な差別・区別意識が芽生えなかった・・・と思う >どう見ても、端から見て障害があるんだなって分かるので家族が認知していない事は無いと思います。 それに、すぐ近くの小学校には障害児の専門学級があります。 (中略) 知人の学校の状況を聞いて、すごく気になってしまいました。 お暇がありましたら、ご回答ください。 保護者の世間体・贔屓目なども部分もあるのだろう 学校側としては、特殊学級が適当な子女がいるとしても、保護者の同意なしでは特殊学級教育を行うことが難しい背景がある もっと言えば、特殊学級が適切な子女は、むしろ家庭教育が重要なファクターでもあるのだが・・ 学校側は主体的に特殊学級編入などを実施できない背景もあるし、当人・保護者の意向前提である部分も強い 学校現場からすれば、”学校側ではどうもできない”などという言い訳もあるのだが、地道な説得を行うための教職員の時間的猶予もない・・など様々な障害があることも指摘できよう 特殊教育に編入することの”当人の幸福”については、判断が難しいものが大きい。保護者でも同じで判断が難しいものだろう 仮に第三者が基準策定するにしても、その基準の適否も疑わしくなるだろう 特殊学級に対する偏見などがむしろ大きくなっている現状からしても”抵抗観”は致し方ない。 問題は、障がいレベルに応じた特殊教育が実施されていないなどの問題を踏まえれば、普通教育と特殊教育の境界線上にある子女・その保護者としては、やはり普通教育に「こだわる」のは理解できる 小生からすれば、特殊教育の充実・充足によって偏見を希薄化することによって、望ましいクラス分け・学制などが樹立されれるのが望ましいとは思うが、予算にしろ、世間の理解にしろ、難しいだろう それをよく体現するのが、『七生養護学校事件』 だろう 本事件は、特殊な子女の教育が、一般常識では図れないことを司法が客観的事実を蓄積することを経て、被告行為を違法とした事例だが、仔細は小生の主観が内在してしまうので、ウィキペディアのリンクを紹介するに留めたい http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%94%9F%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6 http://kokokara.org/pdf/shoko/kokokara_kousai.pdf(高裁判決) もっとも上記事例に関しては、『教育の自由』の争点が注目される傾向にあるが、問題の根底には、特殊学級教育が、一般常識を逸脱し得るもの・・という想像力の欠如の問題も指摘できよう ・・・・・・・・・・・・ 要領を得ない文章だったと猛省しているが、小生が特殊学級に対する世間の偏見について感じることを言及した・・という回答と理解願いたい 以上
- minamiTAITAN
- ベストアンサー率8% (21/256)
まぁ言われることはわからんでもないと言うか・・。 何年か前ぐらいから小学校のクラス内で、学級崩壊のように騒ぎだすような おかしな子が多くなってると言うのは聞いてましたが・・。 障害児だと決めつけてしまえば理解もし易いですが、 実際にはそういった子でもなくて親の躾が悪いケースとして自分は聞いてましたね。 ただ実際ハンデがあると言う子でも親が無理してでも養護学校には通わせない話も よく聞きます。 そういったドキュメンタリーも何度か見たことありますけど、それもクラス内では その子を優先したりすることにもつながりどうなのかなと思うところではあります。 19歳ではなかなか思い描けないと思いますが、 実際に知能には問題ないが身体能力が遅れてるあるいは、不自由だとするお子さんがいれば 普通の学校に通わせたいと親なら思うと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございました。 子供を子どもと表記するように 障害者も障がい者と表記するんでしたね。 (質問を書いていた時には、忘れていました) それに障がい者といってもいろいろあり、 私の書いていた障がい者は、知的障がい者ですね。