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神は何故、人の性交時の感覚を剥奪しないのですか?
神は何故、人の性交時の感覚(脳内でのドーパミン・ベータエンドルフィンの分泌)を剥奪しないのですか? 人々は、理性を伴った親から生まれてきているだろうとは思うのですが。 さらに、神もそれを望んでいるだろうとは思うのですが。 剥奪の無い状況では、感覚の副次的に生まれて(来る)存在もあろうか(若しくは既にある)と思います。 また、そうではないというご意見もあろうと思います。 が、純粋に100%そうでない存在の人などいるのでしょうか? 人が生まれてくる理由や、自己の存在の理由や意義などを、 より理性的に考えたり、理解したり、その動機をその人なり人なりに良く確立するためには、あの感覚は何故必要といえるのでしょうか? 何故、神はそれを剥奪しない(しなかった)のでしょうか? それとも、神は、いないのでしょうか?
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- code1134
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(神がいると仮定してですが)人間が死んでしまう構造にしてしまったが故にでしょうか? もし、当初から未来永劫に不死身な構造であったなら、生殖機能は無用の長物と言えそうですけど、神がそれを怠ったから、寧ろ生殖機能並びに性交時の快感を人間に付与したって事でしょうね。
人の意志による自由な選択にまかせているからです。 すべてのことが ゆるされている。けれども すべてが 益にな るのではない。 性欲のない生殖は 実現すると夢想しますが 性交時の感覚は 残るかも知れません。自由意志は 存続すると考えるからです。 倫理規範や道徳(あるいは 律法 つまり 律法じたいは 聖であり霊ですが それは 理性による認識でもありますから 理性的な規範です)によって 自律すること あるいは そのような自律をおしえとして抱き その言わば模範の意識とそれの社会心理的な共同の中に共生すること これらは 自由意志による愛(=人間関係)の動態とは 別であるからです。 ひとことで言って 集団としての宗教と個人の信仰とは 別である こういう理由からだと思います。
お礼
ありがとうございます。 正直、難しくてよくわかりませんでした。 解りやすくするとどういうことですか?
- krtru
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逆に理性があるためではないでしょうか。 理性により性行為が減ると、子孫が増えなくなるし、性行為自体しなくなるかも。 また、女性の快楽の深さによって男子、女子の生まれる確率が変わるってどこかで聞くたことがあります。 浅い(初めのうち)は女子,深い(慣れると)、男子。(ほんとかどうかわかりませんが)
お礼
>理性により性行為が減ると、子孫が増えなくなるし、性行為自体しなくなるかも 快は、神が人間に仕込んだ罠なのかも知れないですね。 蛾が、夜の照明に自らも訳も無く集まり、ぶつかって、飛んで火にいる虫です。 蛾が、自らに仕組まれた習性に、なんでこうなるの?と、悩んでいるかどうかは知りませんが、 人間の存在の中にも、形態はかわれど全く似た様なジレンマがあるのは、目さえ瞑ってさえみれば、人間と蛾の心の在りかたが何処となく一様に見えてくる一面を感じています。 女性の快の深さと、選択される性との関係は初耳でした。
- simakawa
- ベストアンサー率20% (2834/13884)
神は折角作った人間を絶やさないよう,増やして繁栄をさせるべく,快楽を伴ったものにしたのだと思います. これに伴いいろんな犯罪が増えるとだけは想像もしなかったのだと思います.でも一度決めた事を覆す事はできません. 体の余りにも精密・精巧さを考えると,神以外では作れなかったと思っています.でも,人が未だ気が付かない理由が存在するのでしょう.神が創ったものは絶対でしょう.
お礼
快が無いと絶える予測は考慮中にあったという見解ですね。 それなんですけど、私も思ったのですが、人間の存在の精神的裏付けは、実に怪しい、というか、不可解というか、うやむやというか、欺瞞というか、脆く繊細儚いというか、強烈な恐れに覆い隠されやすいというか、人を取り巻く環境は人の望みの反対方向にあるというか、おもったんです。ね。 犯罪の件ですが、危惧しますよね。 未だ気が付かない理由とは、人が精神的にもっと成長できたときに腑に落ち、理解できる見解があろう。ということとして留めました。
- nagono
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神などいませんwwww と言ったら終わってしまいますね。 まずあなたの言う神はどこの神様なんでしょうか? 神道もあればユダヤ・ロシア正教・ヒンドゥー・・・・・・・ 数えたらきりがありせん たとえばほとんどの宗教に性に関する文言があったりします。 仏教・イスラム等のなら同性愛も乗っていたりします。 通常の性に対してもヒンドゥー等沢山乗っています。 神道に至っては近親婚の諸説もあります。 信仰する宗教で性の根幹は変わるのです。 自分は神道ですが性の喜びであったり死の恐怖であったり適当に考えてます。 何しろ死んだら神様になっちまうんですから(自己解釈では無に帰すもしくは生まれた時点に戻る原点回帰説)
お礼
神はいるのかもしれません。 神はいないのかもしれません。 いたとすると、多くの齟齬が現われます。 いないとすると、多くの通りが通ります。 がしかし、両方、ちゃんとした確信に至るまでには至りません。 これはいつもそうで、過去からもこれからもそうでしょう。 神は過去も現在も世界中の人の心の中にいっぱい登場しますね。 ご存知の神神様も紹介して下さりました。 いろんな神神様があられるものです。 私の言う神神様はどの? と申されましたが、そう申されますと、そこまで考えて質問はしなかったな。 というのが正直なところです。 ということは、人間をこしらえた(つくった)神神様はひとりじゃなく何人もいて、 作り出された人間のうち、形は似ていても、処出由来する家元の神神様は異なる結果の現在の人の存在がいることになりますね。 そんなこんなで、作り出された人間は、それぞれの神神様同士が、『最低限守るべきは、この規格で行こう!』ということで、会議でも開かれて、ということの運びの末の現在ということになっているということなのかな?
- mick32
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試練は克服するために存在するのではありませんか? 参考になれば幸いです。
お礼
仰られるとおり、神があえて残した機能なんでしょうかね。 克服することの中の一つためにわざと残されたと。 足かせのように。 始めから、そうしない事も出来たでしょうに。 しかし、やはり神はいないのでしょうか? いると考えることは、幼稚なのでしょうか? しかし、でもやはり神はいないのでしょうか?
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お礼
ということは、一種の神から人間へのメッセージとして存在するのですか?