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日本に曜日が伝来したとき、週の初めだったのは日曜日?
はじめまして。 私は今、日本の暦について調べています。 日本に曜日が伝来したとき、今のように日曜日が週の初めだったのでしょうか? それとも、土曜日や月曜日が週の初めだったのでしょうか。 ご存知の方、教えてください。
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- Pomona_gc
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これって夏休みの宿題ですか? ま、でも、自分なりにもう一度真剣そのもので調べてきちゃいました。 >日本に曜日が伝来したとき、今のように日曜日が週の初めだったのでしょうか? 結論から言えば「日曜日」です。 まずは、その根拠ですが・・・日本に暦が伝来したのは604年、中国の僧を呼んで 元嘉暦を作成したのが始まり。でも多分このときには曜日は無かった。 以下年表式で 645 大化の改新 陰陽寮が暦の作成 689 具注暦作成(最古の木簡具注暦) 平安時代から暦は賀茂氏 天文は安部清明→安部氏一族 五行説 木火土金水 太陰太陽暦 長く朝廷のみが使用 806 空海の帰国(宿陽経) 『御堂関白記』と呼ばれる藤原道長の日記(998-1021) に七曜の記載あり 1010 宿陽道が独自の暦算 ←←空海の宿陽経? 1344 仮名暦でこよみが広く普及(曜日の記載なし) 1413 具注暦に日~土の記載あり 1685 貞享の改暦 その後改訂を重ね、 1844 天保の改暦 西洋の天文学を取り入れ、より精密な太陰太陽暦を作成 1873 太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦(曜日の記載あり) 以上は↓国立国会図書館からの引用も含む http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html 「宿陽経」について 不空金剛が759年に中国で訳出したとされる。ただし、原典があったかについては疑わしく、恐らく不空が自分の知っているインド占星術の知識を、弟子の史瑶や楊景風に口述筆記させた物と思われる。 一説には、下巻が史瑶による初訳本、上巻が楊景風による改定修注版であるともいい、実際、下巻の方がより元のインド占星術に近い内容である。 日本では空海がこの経をもたらし、曜日が知られるようになった。(wikipediaより一部引用) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E5%B8%AB%E5%88%A9%E8%8F%A9%E8%96%A9%E5%8F%8A%E8%AB%B8%E4%BB%99%E6%89%80%E8%AA%AC%E5%90%89%E5%87%B6%E6%99%82%E6%97%A5%E5%96%84%E6%82%AA%E5%AE%BF%E6%9B%9C%E7%B5%8C インド占星術 インド土着の月の位置と二十七宿との位置による占星術と、 ヘレニズム時代(紀元前300年ごろから300年間)にギリシャから伝えられた西洋占星術(曜日占いなども含む) とを二本柱とする。。(wikipediaより一部引用) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93 ヘレニズム時代と前後するけれど、それまでのローマ暦(太陰暦)に取って代わるのがユリウス暦=地球が太陽の周りをまわる周期を元にして作られた太陽暦の一種である暦法で、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)によって制定され、紀元前45年1月1日より実施された。その後、グレゴリオ暦=1582年にローマ教皇・グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦である。 ただ、聖書の影響は曜日の決定には多大なものがあって、、、 キリストが磔にされたのは、ユダヤの週の6日目とされていること。それは13日の金曜日であったこと。そして、キリストは三日目に復活。この救世主としての復活こそが、神の栄光を示す最高の日ということで、キリスト教がローマ帝国の国教とされた321年、皇帝コンスタンティヌスの勅令によりこの日を主の日として、又週の第一日として、全ての仕事を止め 神と共に過ごす公的な「安息日」となった。。 そうしてそれがインドへから中国へ、そして日本へと伝わって、最初は週という認識、七曜という認識は無かったと思うけれど、やがて太陽暦になってカレンダーが入って来てからは、広く国民にも「週の始まりは日曜日」と認識された。のでは?と思います。 それにしても古代バビロニアで始まった数理天文学が、やっと日本で認識されるまでに至るこの時間の長さは・・・気が遠くなるほどの悠久な時間が必要だったのですね。。。 以上デス。
- nene-k
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あくまで、一つの説ですが・・・ 古代バビロニア人は、厄日が7日に一度来ると考えました。 1ケタの素数の最大が7であるところから、7という数字にこだわったようです。 次に、ユダヤ人が、このバビロニアに習って、逆に7日目をサバト(安息日)と考えるようになりますが、この時点では他の日の呼び方はありませんでした。 やがて、ローマ人がキリスト教を信じるようになった時、聖書に「神は6日かけて天地を創造し、7日目に休んだ」とあるので、ユダヤの7日制を受け入れて、他の日に惑星の名前を配置しました(公式には325年の宗教会議で決定したとされています)。 ところが、ヨーロッパでは、その惑星の名前のままではマズイ事になってきます。 それは、その名前は惑星の名前であるとともに、ローマ神話の神の名前でもあるからで、「マルス」と聞くと、火星を思い出す前に「軍神」を思い出してしまうようになってしまい、マルスを北欧神話の軍神・トールの名前からサースデーと・・・ 同じように金曜であるヴィーナスの代わりに、北欧神話の美の女神・フレアの名前からフライデーという具合に変わったのです。 ただし、日と月はそのまま、また、農耕神サターンにあたる北欧の神がいないため、土曜はそのままサタデー。 日本の曜日が、惑星の名前のままなのは、、明治になって西洋の暦が取り入れられた時に、北欧神話の神の名前に変わる前の最初の宗教会議で決定した物を採用し、直訳したからです。 ちなみに、話題になってる「月月火火木金金」というのは、戦時中の海軍の軍歌の題名で、もともとは、「海軍は日曜なしでガンバレ」という歌でしたが、これが大ヒットした事で、戦時中のスローガンに掲げられたようです。 戦前生まれの祖母がよく歌ってましたが、戦争がらみのワリには暗くはなくけっこう楽しげな曲調でした
お礼
ありがとうございます。 曜日の呼び方に神話が関わっているのは知っていましたが、そこまで詳しくは知りませんでした。
No3の方がおっしゃっている「月月火水木金金」というのは、正式に曜日がその様に決められていたと言う類のものではありません。 戦時中には、総力戦態勢を築いていくために、いわゆる「お国のためにがんばろう」という機運が高められていきました。そんな中で、「今の大日本帝国には土曜も日曜も無い。休まず働かなきゃ駄目だ」とはっぱをかけるために使われた一種のスローガンというべきものです。
お礼
補足ありがとうございます。 それも日本の曜日の歴史の一つなのでしょう。
- ternais
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他の方のように理論的な回答でなくすみませんが私も以前日曜日が一週間のはじめと聞きました。そう話された方はかなり自信を持っておっしゃっていました。 あと私が学生のときに親戚の人から昔日本の曜日は『月、月、火、水、木、金、金』で休みがなかった、と聞いたこともあります。 その昔というのはいつごろなのか(戦争時代でしょうかね…)その曜日はどこから来たのか(暦とは関係がありそうではないですね)そういうことは全くわからず参考になるような回答ではなく申し訳ありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。
- wiz0621
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本来、聖書に記された7日目(世界を全部作り終わったので神が休んだ日)は土曜日とされます。 すなわち7日目が土曜日であり、ユダヤ教ではその日を「安息日」として一切の仕事を禁じました。 その後キリスト教の時代へと推移すると、人々はキリストの 復活した日である日曜日(新たな週の始まり)に教会へと集まるようになります。 結果的にキリスト教の安息日と日曜日(神に祈りをささげる日)は同一視されていくこととなります。 この経緯に関しては、ユダヤ教の模倣であったキリスト教の信徒が ユダヤとの差別化を明確にしたかったためとも考えられています。 日本においては七曜は弘法大師が唐より持ち帰ったのが最初ですが 実際には占いにしか使われておらず、六曜(大安・仏滅など)の方が 重視されてきました。 実際に七曜が活用され始めるのは、いわゆる文明開化以後となります。 つまり、キリスト教国的な「休みは日曜だが、週の最後は土曜」という考え方が当てはまると思われます。
お礼
七曜の起源まではわかったのですが、その後で詰まって困っていました。 ご丁寧な説明ありがとうございます。
- Pomona_gc
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答えは「日曜日」です。 以前、カレンダーの曜日が、太陽・月・火星・水星・木星・・と 並ぶことに、改めて不思議さを覚えて 調べたことがあったのです。 その時に、このサイト↓に巡りあってファンになりました。 (丸投げで申し訳ないのですが)久し振りにお気に入りからの 登場です。 良く書かれていると感心しきり!なんですよ~☆
お礼
とてもわかりやすい説明でした。 ありがとうございました。
お礼
とても詳しい説明ありがとうございます。 日本に七曜が伝来してから今のように使われるようになるまで、とても長い時間があったのですね。 わざわざ調べていただいて、本当にありがとうございました。