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” I ”の正体はなんでしょう?

英語の一人称のIとはそもそもなにを意味しているのでしょうか。 I am~と言いますが、My heart am とかMy body am とは言いません。 I をほかの単語で表すとそれにつづくbe動詞は必ず is(又はare)になってしまいます。 Iっていったい何者なのでしょうか。昔からずっと不思議に思ってました。 賢明などなたかエレガントなお答えをお待ちしております。よろしくお願いいたします。

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  • polozo
  • ベストアンサー率85% (6/7)
回答No.5

デカルトの話が出たので私なりの意見を。 「我思うゆえに我あり」の元になったラテン語は “cogito ergo sum”というのですが、 「思う」にあたるcogitoも、「あり」にあたるsumもどちらも1人称単数のかたち(sumはおそらく英語のamにつながるはず)なのに、主語にあたる「私」というのが言葉に表れていません。もともとラテン語は主語をあえて表現しなくても、動詞の形を見れば「私」のことなのか「あなた」のことなのかわかるという言語です。 どうしても「私」つまり「自分」ということを強調したいときには、ego=英語のI にあたる語を使いました。 エゴというのは心理学の術語でもありますし、「エゴイスト」につながる語です。だから、もともとは「他の誰かではなく『自分』が」ということを強調するための語だったはずが、いつの間にか英語では文法上必ず必要とされる語になってしまったのではないでしょうか。根拠のない、あくまでも個人的な想像による意見です。

y2a2
質問者

お礼

へーそうなんですか、ふーん。すごいことご存知ですね。そうかラテン語ってどこか日本語っぽいところもあるんですね。「あえて表現しなくても」なんてところは日本人好みの奥ゆかしさみたいなものを感じずにはいられません。  Iの正体はおっしゃるとおりエゴなのでしょうか。そんな気がしてきました。エゴ剥き出しのときの自分はそんな自分を客観的に見る(表現する)余裕なんかないので、三人称で言い表すことができない。どうもそんなところなんでしょうか。  またご意見をお聞かせください。大変為になりました。ありがとうございます。

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回答No.6

ずばり「私」という意味なんですが、それだけです(笑)。 なぜIにはamがつくかというと多分Iとamはコンビなんです。 考えてもみて下さい。ダウンといえばタウン、ウッチャンといえばナンチャンですよね。 真面目な話をすると、英語には1人称、2人称、3人称とあります。 1人称とは自分のこと、つまりIです。2人称とは相手をいいます。younokoyodesu.つまり私が友達と話ているとき、友達は2人称にあたります。3人称とは自分と相手以外の全てです。 My heartやMybodyは3人称なんです。 そしてbe動詞にも3種類あります。 Iにはamが、youにはareが、それ以外ではそのモノが1つだったらis,2つ以上だったらareをつけます。 こういうことってあまり深く考えないので私の説明でY2a2サンが納得するかどうかわかりませんが、こういうことです。

y2a2
質問者

お礼

またもやご親切にもご回答をいただき誠にありがとうございます。「I」についていろいろと考察しているとどんどんと新たな疑問が沸いてきます。「I」って本当にむずかしいですね。”Iis very difficult,isn't it.”あっ!is も使えました! ・・・・・・すみません。頭の中がIモードでちょっとおかしくなってきました。Iを鏡に写してみました。そこにはこちらの世界と全く同じ顔をしたIが微動だにせずこっちを見つめていました。

  • obelix
  • ベストアンサー率40% (27/66)
回答No.4

全くエレガントではない、回答を(^^)。 リーダーズ英和辞典によれば、Iの語源は OE ic=OS ik, OHG ih (G ich), ON ek, Goth. ik < Gmc. *eca, IE *ego だそうです。 これを解読可能な日本語に直すと、 「現代英語の一人称Iは古英語の一人称icが変化したものであり、icは古スコットランド語のik、古高地ドイツ語のih、(そして現代ドイツ語のich)、古ノルド語(北欧のあたり)のek、ゴート語のik等と同じくゲルマン基語(ゲルマン諸語が分岐する以前の推定上の共通語)の一人称ecaから派生した言葉だとされている。そのeca自体はインド・ヨーロッパ語のegoをルーツとしている。」 となります。しかし、印欧語のego自体が何を指していたのかはハッキリしていないのではないでしょうか。 もしかすると、「ことばの生活誌―インド・ヨーロッパ文化の原像へ」(風間喜代三著、平凡社選書)という本の第1章「人間(王・共同体・民衆;遊女;泥棒;友;人間)」で扱われているかもしれないです。私はこの本はまだ読んではいないのでなんとも言えないのですが(^_^;)。テーマ的には近いものがあると思います。下のリンクでこの本の簡単な説明を見ることが出来ます。

参考URL:
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%82%B1%82%C6%82%CE%82%CC%90%B6%8A%88%8E%8F
y2a2
質問者

お礼

とんでもない、とってもエレガントなご回答をいただき恐縮しています。皆さん本当に博識ですね。私のなかの私がとっても小さなものに思えてきました。どうもありがとうございました。

noname#1019
noname#1019
回答No.3

私は文法的なことは一切無視して全くの私見ですが、I は Identity の I ではないかと思います。まったく根拠のない説です。あしからず。

y2a2
質問者

お礼

ありがとうございます。私も実はそうではないかと思っていました。でもIdenntityにするとamがつかえなくなってしまいます。デカルトのいうところの「我思うゆえに我あり」と考えている最初の”我”はきっとamが使えると思うのですが、あとの”我”はたぶんamじゃないのではと思います。Iはそれを言葉で説明しようとするといきなりどこかに行ってしまうような、そんな気がします。

noname#118466
noname#118466
回答No.2

artis0さんが分かり易く解説されていますが、I が何者かという前に、人称に誤解があるような気がしました。My heart や My body は私に所属はしますが、人称では3人称単数です。従って一人称のI とは関係なくbe動詞ではisになり一般動詞では3人称単数の'sがつくわけです。これは英語に限らず欧米語に共通の規則です。 英語は他の欧米語より動詞の変化が簡素化された言葉ですが、発展が途中でストップしてしまった為、例外規則の多い言語でもあります。英語以上にシンプルな言語はエスペラント語(世界共通語として考案された言葉)です。エスペラント語では人称に関係なく動詞が常に同じ変化形で使用されます。文法に例外のない言葉だといわれます。

y2a2
質問者

お礼

ご造詣の深いご回答ありがとうございました。 言葉っておもしろいですね。初めに文法ありきではなかったはずなのに、ある程度きちんとルール化されていますよね。でも時たま例外があるところがまたなんともいえずいいと思います。大変為になりました。

  • artist0
  • ベストアンサー率24% (92/378)
回答No.1

I my me mine なんて言いますが、一人称単数の「私」を表す言葉は、 "I" と "me" だけです。 "my" は "my car" や "my hat" のように "my ~"という形で使い、 "my" の後に続く「~」を修飾する言葉です。 よって、"my ~" は「私」を表すのではなく、"my" の後に続く「~」の部分、 先の例でいうと「車」や「帽子」のことを表しています。 "My heart am" と言わないのは、"My heart" が「(私の)心」であって、「私」ではないからです。 "my heart" は私のものではありますが、一言で言えば、「心」なのです。 よって、"my heart" を代名詞で受けると、"it" になります。 "it" は主語になったとき、組み合わせるbe動詞は "is" です。 と言うことは、"my heart" も "My heart is" となります。 繰り返しますが、I と me は「私」ですが、 my と mine は「私」ではありません。 

y2a2
質問者

お礼

早速にご回答をいただきありがとうございました。「私」が何者かを考えはじめると洋の東西の分化の違いがどうだとか、なにやら哲学的な世界に迷い込みそうですね。大変為になりました。

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