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なぜ日本はアジアで最初に先進国入りできたのでしょうか??
レポートを書いていまして・・・・ 近代化を考えると明治維新やその前にある鎖国なども関係していると思うんですが・・・・・ みなさんの考えを詳しく知りたいです。 よろしくお願いします。
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- hekiyu
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中国や韓国と比較すると解りやすいと思います。 先進国てのは西欧の文化や経済を取り入れる、という 意味で理解します。 この経済や軍事は文化と密接に関係しています。 1,中国や韓国はいわゆる中華文明に骨の髄まで浸っていました。 西欧なんてのは南蛮にすぎません。 だから、西欧から進んだ文物を紹介されても、 そんなもの、という態度でした。 ところが日本は違います。 中国から文物を取り入れて来た歴史があります。 それが西欧に代わっただけですから、すんなりと 抵抗なく受け入れることができたのです。 2,日本は集団主義です。 皆で相談して決めていこう、というやりかたを 長い間とってきました。 これはつまり民主制のやりかたと同じです。 だから、西欧の国民国家を導入しやすかったのです。 これに対して中韓は君子の国です。 つまり一部エリートが支配する国です。 民主制とか国民国家てのはそう簡単に国民に根付きません。
- MOinTKY
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戦後、アメリカの庇護のもと、海外の先端技術や製品を上手くモノマネし、より高品質かつ安価な製品を生み出し、それを欧米など世界中の国々に販売することで大きな経済発展を遂げることができたからでしょう。 そのため、欧米人からよく、「日本は敗戦後、短い間にこれだけの大きな経済発展を遂げたことは非常に凄いと思うが、決して尊敬はできない」と言われたり、エコノミックアニマル(猿マネ)というような言い方もされたりするんだと思う。 自分たちが自ら発明・考案した技術や製品を売って経済大国になったわけではないため。 自動車もテレビも電話もすべて欧米で発明されたものなんで・・・
- gange
- ベストアンサー率4% (5/101)
一言云えば、島国で良い働きアリ(従順、忠義等)がいたと云う事でしでょう。 でも、それはたまたまであり、今の現実、バブルを経験し借金1000兆円をだかえて、もう、数年で崩壊する国である事を重要視した、物の考え方に立たなければダメでしょう。 要するに、明治維新から本日に向けてスタートした訳であり、国の骨格、システム、教育に欠陥があるのではないかと言う問題意識です。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
「人間は猿から進化したのだ。」と言われても日本人はふーん ( ´_ゝ`) だったから。 欧米の常識は地動説や進化論等に対して魔女裁判で狂乱して時間や人材をぶっ潰したからね。 外国でこんな事を言えばぶち殺されますよ。 人間は神が創ったとか言ってるからねw
- omeger
- ベストアンサー率66% (204/306)
経済成長の原因は何かというのは断定不可能なので、 議論は永久に出続けて止まらない。 アマチュア社会学と皮肉られることもあります。 ご冗談としては、 ・近代国民国家形成 明治維新の評価は、どこを捉えるかで異なるでしょうが、 世界の近代国民国家形成の一例と考えれば、 時期の問題であり、早い時期に成立したという恩恵があるものの、 結局のところ大抵の国は近代国民国家形成に向かったという点では、 必ずしも例外だとはいえないかもしれません。 日本の近代国民国家形成は、 アジアの国の中では早い時期だったとはいえます。 アジアの多くの国で近代国民国家形成に相当するものは、 事実上、1945年以降になったと考えていいかもしれません。 でも比較の対象次第で、ドイツやイタリアと政治的形成の時期は類似しますが、 経済発展の時期はドイツやイタリアよりも遅れているわけで、 アジアの枠組みの中だけで考えること自体に問題があるかもしれません。 この時期には、方言の抑圧など過酷な政策もあったものの、 ナショナリゼーションが戦前までにほぼ完成しており、 多くの途上国で経済成長を遮断した民族紛争は起こりにくくなり、 社会の安定性が保たれ、取引費用が低減されるようにはなっていました。 ・独自の文化? 日本に独自の文化があったのが日本がアジアで唯一の原因なのかというと、 例えばタイにも独自で非常に魅力的な文化があるかと思われます。 独自と訴えれば論証されるものなのかどうかはいま一つ曖昧。 日本より豊かな国はかなりの数ありますが、 それぞれの国の文化が日本よりも優れて(?)かつ独自である理由を 考えるというのもなかなか面倒です。 ・独自の技術? 中国はルネサンスの三大発明の重要部分を考案して、 世界の技術発明に非常に大きい貢献を行った国です。 しかし、鎖国(海禁策)を取って外来文化と 遮断されているうちに没落してしまいます。 経済成長に重要になるのは、技術の吸収と改良であって、 最先端の所にある技術・ノウハウを取り込む度合いに、 国によって非常に大きい違いが出てきます。 戦後、「モンテ詣で」のように、戦後の日本で海外からの 技術導入に奔走していた逸話は多く残っています。 でもアメリカやドイツでも発展の初期には、 イギリスから技術を導入していたようです。 独自開発を進めているうちに技術吸収が行われたり、 技術吸収が進むとやがて独自開発に繋がったりします。 初期の経済発展段階では、技術が外国由来だからといって、 価値は必ずしも下げられるものでもありません。 途上国ではなかなか技術が伝播しない構造に課題があります。 ・植民地をまぬがれたから? 植民地化をまぬがれたことが、 経済成長に決定的だったかどうかはちょっと微妙。 アジアで植民地経験なしのタイ・トルコは、 アジア屈指の工業国ではあるものの、 植民地経験があった香港・シンガポール・マレーシアは、 経済成長の最優良組となっています。 ネパールは独立を保ったものの最貧国のまま留まってしまいます。 ・教育の尺度 教育の問題は、測定の方法が難しいため再現性が問題となります。 ここ数十年で途上国の就学水準は非常に急速に高くなっており、 日本が特別というわけではなくなってきていますが、 この数字が経済成長にどの程度寄与しているかは議論が分かれています。 就学水準自体というよりも、教育にまつわる 微妙なモノにも結びつくかもしれず、 なかなか国の教育水準を確かめるのは難しいです。 1964年の国際数学調査(今のTIMSSに相当)で日本は12ヶ国中2位、 1970年の国際理科調査で日本は18ヶ国中1位となっており、 当時の日本の所得水準は調査国中下位にあったことを考慮すれば、 ペーパーテストでは所得水準の割に高得点ではありました。 韓国・台湾・香港・シンガポール・マレーシアも、 高得点・高成長の例にはあてはまります。 でもテストの点がよければ成長するというのも強引ではあります。 ・発展段階論と中世封建制 発展段階論的な見方で、日本の江戸時代の社会構造が、 西欧の中世封建制の構造に相当しているから、 アジアで日本だけが近代化に成功できたのだという議論もありました。 しかし、香港・シンガポール・韓国・台湾は中世封建制のような時期を経ずに、 近代化に成功していますし、最近の中国の経済的離陸は、 この議論をより成り立ちにくくしているかもしれません。 ・日清戦争と日露戦争の勝利? 日清戦争と日露戦争に勝利したことで 日本は欧米に追いついたという、軍事的に近代化を議論する人もいます。 しかし、先進国と途上国の違いは、政治的に大国かどうかではなくて、 所得水準が豊かで成熟した国という観点で分けます。 今日、ルクセンブルク、ノルウェーは先進国中の先進国ですが、 中国、インドは途上国中の途上国です。 日露戦争終了時の日本の所得水準はまだ、西欧に到底追いついていませんし、 産業構造で見ても先進国とは到底言い難いです。 日清戦争や日露戦争では相手国側に国内の分裂があり、 戦力の一部しか相手ではなかったはずですから、 経済的よりも政治的な面があったかもしれません。 ・そこまで豊かでなくても大国? 日本が「先進国入り」した頃の話題で「2位と20位」というのがあり、 1968年に日本のGNPは自由世界で2番目になったけれども、 日本の「1人当りのGNP」は自由世界で20番目位 (対象を多くしたらもっと下がる)という話がありました。 当時の日本の1億人という人口は、 ヨーロッパから見ると非常に大きい国であったため、 存在感が大きくなっていたというのもあります。 ・アメリカの恩恵? 日本の戦後の経済成長はアメリカのおかげかどうかというと、 元々から土台があるところへの支援は有効であるが、 土台が無いと支援の効果は乏しく、 効果は補助的なものだったと捉えるべきかもしれません。 アメリカの恩恵は、米国政府の思惑というよりも、 産業界の対米交流や実施面の効率に依存する面もあります。 ただし、戦後の処理がもっと手荒なものだったり、 関係の険悪な状況が続いていたりしたら、 発展は遅れていたでしょうから、要素が揃わなくても困ります。 ・戦争で不名誉だった国で経済が発展した? 第二次世界大戦で不名誉を被った日本、ドイツ・イタリアと、 戦勝国ではあるが不名誉な推移を辿ったフランスは、 早い時期に戦後復興を成し遂げて、さらに勢い余って、 戦後三十年くらい、世界で一番経済成長するグループとなります。 他方、名誉ある戦勝国であったはずのイギリスは、 戦後三十年、西欧で最も経済が低迷する国になってしまします。 戦争で既存のエリート層の権威が壊されて、 価値観の革新が生まれたのが原因だという人もいます。 でも再現性は全くありません。
- sudacyu
- ベストアンサー率35% (687/1961)
基本的に、江戸時代の日本の教育レベルが、ヨーロッパ列強と同等またはそれ以上だったことです。 例えば、高等数学の基本である微分は、3人の人物がほぼ同じ頃に、独自に体系化しました。 イギリスのニュートン、ドイツのライプニッツ、日本の関孝和がその3人です。 まだ産業革命が起こっていなかった日本の軍事力・工業生産力は、欧米に比べて劣っていましたが、文化レベルは遜色なかったのです。 また、明治維新ではそのような江戸時代の社会の基盤を破壊せずに、それをほぼそのまま温存し更に発展させたことが挙げられます。(内戦が激しく以前の社会レベルが大きく低下する可能性もあったわけです。)
お礼
寺子屋などの存在は大きかったのですね ありがとうございます 参考になります。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
ただ今レポートを書いているとのことで、緊急性があるようなので、貴方にこの問題を理解するために本質的な本をじっくり読んでいる時間がないのが残念です。 この問題は日本人である貴方とは何なのかと言う、日本人なら人生一生誰でも問い続けて行く問題に関して、重要な視点を与えてくれる問題ですので、レポートの提出とは無関係に、生きている間に機会があったら、いつか以下で紹介する本を読んで下さい。貴方の質問の答えが明快に論じられています。(貴方がもし外国人ならば、自国の発展に関する考察の参考にもなります。) 共に岩波文庫で手に入ります。 「日本における近代国家の成立」E.H. ノーマン著、大窪愿二訳 「徳川時代の宗教」R.N. ベラー著、池田昭訳 日本は、第2次世界大戦以前にすでに、国際連盟の常任理事国に任命されています。戦争で一旦ご破算にされた日本の経済力が、あんな短期間で驚異的に戦前のレベルを超えて復活した根拠が、戦後のアメリアによる改革に本質的な原因が在るなどとは,少しでも歴史を学んだことの在る方なら言い出すことができないことは、どなたにでも分かるでしょう。アメリカから援助を引き出しても、発展出来なかった国は幾らでもあるのですから。 上に挙げた本は、日本の驚異的な発展が直接には江戸時代から続く日本独特な歴史に根ざした文化によるものだと言うことを、教えてくれます。
お礼
ありがとうございます 夏休みにでも読んでみます♪
- omeger
- ベストアンサー率66% (204/306)
アメリカや西欧からの技術導入・改良熱が旺盛だったこと、 高い貯蓄熱に支えられた旺盛な投資、 インフレが低く景気サイクルの穏やかな良好なマクロ経済環境、 所得水準の割に早い時期から教育は重視されていたこと、 などは言及できます。 戦前までに重化学工業の蓄積がある程度あった点、 ガリオア・エロア基金や朝鮮特需などもあって経済復興が短期間で達成されたこと、 軍事費負担が減ったため成長のために投資する余剰ができたことも触れることはできます。 鎖国的な考え方自体は基本的に経済成長にマイナスです。 戦後、多くの途上国で鎖国ムードが蔓延して 輸入製品の排除に必死になっている時期に、 日本では(戦前の輸出の主力品であった)繊維・食品から、 鉄鋼・造船、電気、自動車と、より高度な輸出産業が次々に育っていきます。 他の国と比べると日本の人口が多くて市場規模が比較的大きかったのも、 工業化の手助けになったと思われます。 厳密にどれくらいかは誤差が大きいでしょうが、 昭和初頭の日本の所得水準は中南米の中くらいに相当するようです。 日本が先進国となった時期は1964年のOECD加盟と考えれば、 産油国以外のアジア諸国で、日本の1964年辺りの所得水準 (1人当たりのGDP(90年GKドルPPP)が5,668ドル)に達したのは、 イスラエルが同じ1964年、香港が1970年、シンガポールは1973年、 台湾が1979年、韓国が1986年、マレーシアが1992年、タイが1994年、 トルコが1995年辺りとなっているようです。 香港やシンガポールなどの事情を考慮すれば、 アジアで日本だけがそう特別というわけでもないとは思いますが。
お礼
イスラエルは意外に感じます ありがとうございました
- migimonza
- ベストアンサー率26% (44/166)
江戸時代が素晴らしかった結果だと思います。 明治時代の指導者たちは、江戸時代の教育で育った人達です。 明治時代の技能者たちは、江戸時代の徒弟制度で、育った人達です。 明治時代の資本家たちは、江戸時代の商人倫理を体現していた人達です。 戦後の民主教育では、日本の過去の全てが悪いことのように教えられたので、 戦前の優れた点の否定どころか、封建時代の良かった点までをも無視して しまっているように思えます。 具体的には次の点に集約出来ましょう。 1.江戸時代に既に人材が他のアジア諸国に比べ豊富だった。 朝鮮では、ハングルが、普及しておらず、公文書は漢文であるため 民衆レベルで、書面での意思伝達は不可能だったし、清国では 日本の寺子屋のような、庶民の教育機関が少なく全体に識字率は 日本よりはるかに低いものだった。 是に比べ、幕藩体制は、外交国防以外は完全地方分権だったので 武士階級の全てが、公務員兼軍人として文書を読み書きできた。 この外、早くから仮名文字と漢字の訓読みのお陰で、庄屋、商人、 更には、職人の親方なども日本語での読み書きが出来ていた。 明治になり外国の優れた文物を日本語に短期間で翻訳し、出版 出来た。 2.江戸時代に既に高度な経済の仕組みを作り出していた。 大阪が銀本位制、江戸が金本位制だったため、日々為替相場が立ち 公定歩合とは別に実体経済が、動いていた。 もう一つ、建前として幕藩体制は米本位制でもあったので、米の 先物市場が成立していた。 3.江戸時代に既に高度な技術が蓄積されていた。 大名時計に代表されるように、精密加工の技術が存在し、職人を 大事にする伝統文化が、何々の神様として優れた職人は、社会的 尊敬を払われていた。 4.江戸時代は、上のものは下のものの気持ちを汲んだ政治を行っていました。 戦後の民主教育で、学校が教えることは、例外的圧制を取り上げ 恰も、権力者は民衆を搾取できるだけ搾取すると、教えますが、 そんなことはありません。 だからこそ、支那大陸のように役人と民衆の相互不信でなく、 相互信頼の政治が行われていたわけです。 5.外国による侵掠の危機がせまっていた。 阿片戦争での、清国の敗北、ロシアの南進策による蝦夷地の緊張 などから、武士階級のみならず、インテリ層に危機感があった。 なので、日本を守るため、地方分権の藩体制から、中央集権制 へ、政体改変の必要性はあったが、これに都合よく、朝廷が存在 していたので、天皇を祭り上げることにより、正統性も正当性も 問題なくクリア出来、富国強兵、殖産興業に力を注ぐことができた。
お礼
参考になりました 本当に助かります♪
- oska
- ベストアンサー率48% (4105/8467)
>なぜ日本はアジアで最初に先進国入りできたのでしょうか?? 先ず、江戸時代は「教育水準が高かった」事ですね。 「読み・書き・そろばん」は、士農工商を問わず学んでいます。 TVドラマなどでは、庄屋までしか学問がないようになっていますが、農地を持たない農民でも「読み・書き・そろばん」が可能でした。 アジア特に極東では、極めて高い教育水準だったようです。 幕末1800年頃に来日した商人の日記から「極東の島国で、これ程文化が高い国だとは、想像もしなかった」との記述があります。 また、鎖国といいながら世界情勢について為政者が理解したいた事。 公式には、中国・オランダから国際情報を得ていました。 が、その他の国の商人からも、世界情勢を得ていたようです。 某国の歴史教科書には「朝鮮通信使が、鎖国の日本に世界情勢・最新文化・最新技術を教えてあげた」と記載しています。 が、当時の文書を見ると朝鮮通信使からの情報は「全く役に立たない旧い情報」だったようですね。 当時の朝鮮国は、中国の植民地で軍事・外交は宗主国中国が握っていました。(1895年、下関条約第1条で中国から独立) ですから、幕府も「朝鮮国は、中国の属国扱い」でした。 中国が作成し、アメリカの宣教師が使っていた世界地図には「清国属朝鮮国」との記載があります。(日本海の名称もあります) まぁ、教育水準の高さと、国際情勢に詳しかった事。及び新文化・技術導入に躊躇しなかった事が大きな原因でしようね。
お礼
ありがとうございます!! 教育についてレポートにも書きました
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お礼
詳しくありがとうございます