>黄門様のお膝元であった水戸藩。
しかし桜田門外の変の主犯は水戸の浪士だそうです。
水戸藩が幕府を裏切った理由を教えてください。
黄門様は「大日本史」の編纂に情熱を傾けますが(完成は明治になってから)、その根本思想が「水戸学」であり、分かり易く言うと「尊王」です。光圀は楠正成を評価し、「嗚呼忠臣楠氏之墓」の碑を湊川に建てているほどです。
裏面からこの思想を考えると、天皇の前には将軍も、水戸藩藩主も同格ということになります。御三家が将軍家・尾張家・紀伊家の三家であり、この三家は同格であるとの考え方がありました。水戸は御三家とは見られていなかったとの考えです。これに対して、水戸家では尊王を持ち出すことで、同格意識を持ったとの考えもあります。この水戸学が水戸藩士に根付くと共に、幕末には攘夷論と結びつき、尊王攘夷論となり、通商条約の違勅調印後には反幕運動のバックボーンになります。
桜田門外の変の原因について、まず、このような思想的は背景があったこと。
将軍継嗣を巡って、水戸家出身の慶喜を押す「一橋派」と、紀伊慶福(家茂)を押す「南紀派」の抗争があり、南紀派の井伊直弼の大老就任によって南紀派の勝利(慶福の将軍就任)に終わったこと。
井伊直弼が、日米修好通商条約を天皇の勅許を得ずに調印し、天皇を軽視したとされること。
そして最後に安政の大獄によって、本来江戸定府の水戸斉昭は永蟄居処分。一橋慶喜は隠居慎に処せられるなどの処分が行われたたこと。
これらにより水戸藩士が暴発し、浪人して井伊直弼を襲撃したと言われています。