- 締切済み
ドイツ戦車エース ヴィットマンについて
ドイツ戦車エース ミヒャエル・ヴィットマンはヴィレルボカージュの功績などで本国の戦車学校の教官になることを進められるが、前線に戻ったと聞いていますが。その詳しい理由を知っている方は是非教えてもらいたいです。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.2
ヴィッマンが転属の打診を受けた頃はドイツはすでに人的資源の不足から士官候補生の素質も低下していました。 年齢的にも若く、燃料不足で十分な訓練も出来ない状態でした。 そのような人達を即席訓練で前線に出すのには反対や躊躇があったのではないでしょうか? 戦車は5名ほどのクルーが協力して戦闘する密室空間です。 親密な人間関係が形成される場です。 彼は仲間を見捨てる事より共に戦う道を選んだのだとおもいます。
- KITAIKKI
- ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.1
ビットマンが昇進と同時に士官訓練学校の教官の任務を勧められていますが、これは勧められたというくらいですから、正確には命令ではなく呈示でした。つまり「こんな任務もあるけどどうかな?」といったかんじですね。これって師団側も本気で彼がこの呈示を受け入れるとは、思ってはいなかったような節もあるような気もしますが。 結局彼は自分の中隊にとどまって、部下達と共に戦うことを選んだということですね。つまり自分だけのうのうと本国で教官生活など出来ないということだったんでしょうね。これは戦友に強いシンパシーを感じる、戦場特有の感情の発露だったのではないかと思います。
補足
お礼がかなり遅くすみません。ヴィットマンは自伝を残していませんが彼の人柄をうかがい知ることができました。彼は本当に軍人だと思いました。