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couldの起源について

I could tell he was only pretending to read, because his book was upside down. http://odn.okwave.jp/qa4077884.html こちらの質問なのですがご回答のように、この文を仮定法の帰結節、あるいは仮定法の断定を避けた婉曲用法のcouldと書いてある書籍があればご紹介願えないでしょうか。あるいはご意見があればお願いします。わたしの書籍にはif節の無い文の中でも、このような文の場合かなり仮定法の分類に近いところに書いてありますが仮定法であるという表現を避けています。「元々は仮定法」というのはかなりありえるとは思います。ただこの文の場合仮定法かどうかという論点とは別に#2さんのご意見も分かるような気がします。

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  • trgovec
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回答No.8

>まず過去の表現をする単語couldが先にあって、その後に仮定法という概念とその表現ができたと仮定、推定しておきたいと思います。この場合if節のついた仮定表現が事の起こりで、次に丁寧表現などif節の無いものが出てきたという経緯でしょうか。それともまず丁寧表現などが生まれ次にif節がついたものが出てきたという流れでしょうか。 ここまで来ると英語の枠に収まらなくなり「法」というものの根幹に触れることになり実用的な観点からは必要ない知識になります。また当初の質問からかけ離れてくるのですが 仮定表現が先か婉曲が先か、どちらが先かは分かりません。いくつかの婉曲表現は条件節の省略から発達したのかもしれません。また婉曲表現の多くは条件節を、こじつけ的であれ、付けることができます。 Could you...?:「(もしよければ)…してくれますか」 it might be...:「(もし可能性があるなら)…かもしれない」 また「直説法」「接続法(仮定法)」という「法」と「時制」のどちらが先かも分かりません。同時発生かもしれないしそうでないかもしれません。 ともかく時制と法の両方を手にしてから非常に長い時間が経っていることは確かで、その間様々な表現を作り事実をあからさまに言う以外の方法が蓄積されたのです。 これらのことはとてもここで書ききれることではないので興味があれば専門書なりに目を通してみるのもいいかもしれません。 参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E7%B6%9A%E6%B3%95 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E6%96%87%E6%B3%95)

pgdnpgup
質問者

お礼

>仮定表現が先か婉曲が先か、どちらが先かは分かりません。いくつかの婉曲表現は条件節の省略から発達したのかもしれません。 ありがとうございます。どちらか分からないというのが貴重でした。 >ここまで来ると英語の枠に収まらなくなり「法」というものの根幹に触れることになり実用的な観点からは必要ない知識になります。また当初の質問からかけ離れてくるのですが 私もそう感じるので踏み込める分野ではないのですが質問とその回答の中には一歩踏み込まないと検証できないものがあるのを感じます。何度もありがとうございます。分からないというご意見をお聞きして逆に納得しました。そろそろ締め切りたいと思います。

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その他の回答 (7)

  • trgovec
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回答No.7

#2です。 >>>「元々は仮定法」というのは元来おかしなことで..... これは質問文中の「このような文の場合かなり仮定法の分類に近いところに書いてありますが仮定法であるという表現を避けています」というところから「元々は仮定法」というのは「条件節を取り去ったもの」という意味で解釈されているのかなと勝手に推測して書いたものです。こちらの勘違いのようですのでお詫びします。 条件節があってもなくても(婉曲語法など)仮定法の動詞に変わりはないし、「できた」と過去の意味なら直説法であるということはお分かりになっていると思います。 >>canはもともと過去を示す動詞でそれが現在の能力?を表すようになり.... ここまで話が及ぶとは思っていませんでした。今回のご質問とは直接関係ないかもしれませんが参考のため以下に can の推移を書いておきます。 (pres.現在、pret.過去、part.分詞、ind.直説法、subj.接続法(仮定法)、sing.単数人称、pl.複数人称。人称変化は代表的なものだけ) ----------------------------------------------------------------- 古英語 <直説法> 不定詞 cunnan (pres.sing) cann / (pret.sing) cuthe / (pret.part) *cuth (pres.pl) cunnon / (pret.pl) cuthon <接続法> (pres.sing) cunne / (pret.sing) cuthe (pres.pl) cunnen / (pret.pl) cuthon これは過去現在動詞の一例で「知った・知ってしまった」という過去ないしは完了からその結果として「知っている・できる」という意味が生じたものと考えれています。同様の例は他言語にも多くの例が見られ現代の口語英語の (have) got = have 「手に入れた結果として持っている」と通ずるものです。 失われた(原形)不定詞や過去分詞からは cunning / uncouth などが派生しました。 過去現在動詞と言える証拠として現在時制において単数と複数の人称で a/ u と母音が違っていることが挙げられます。 強変化動詞(不規則動詞中、母音の変化のみで活用するもの)は現代の「現在(原形不定詞)・過去・過去分詞」という3基本形ではなく「現在(不定詞)・過去単数・過去複数・過去分詞」の4基本形で can の場合「u-a-u-u 型」であったことが推測されます(run と同じパターン)。 文献に記録がある以前の推定形 <直説法> (pres.sing) cunne / (pret.sing) cann / (pret.part) cunnen (pres.pl) cunnath / (pret.pl) cunnon <接続法> (pres.sing) cunne / (pret.sing) cunne / (pres.pl) cunnen / (pret.pl) cunnen この推定形の時制を一つずらしたものが古英語から現代までに至る形になったことが分かります。空いてしまった過去形を埋めるため *cunnede > cuthe という規則的な過去が作られたのは文証されないほど古い時代のことで(現代の could は would や should との類推で中期以降のもの)少なくとも英語として記録されている者では直説法過去、接続法過去ともに cuth- の形が使われています(直説法・仮定法の違いは人称語尾の小さな違いしかない)。

pgdnpgup
質問者

お礼

ありがとうございました。 >この推定形の時制を一つずらしたものが古英語から現代までに至る形になったことが分かります。空いてしまった過去形を埋めるため *cunnede > cuthe という規則的な過去が作られたのは文証されないほど古い時代のことで(現代の could は would や should との類推で中期以降のもの)少なくとも英語として記録されている者では直説法過去、接続法過去ともに cuth- の形が使われています 奥が深いですね。大変貴重ですがどこまで自分で踏み込めるかというような内容です。婉曲語法というのは知りませんでした。推定形の時制をひとつずらした形ということですね、分かりました。 いずれにしても、まず過去の表現をする単語couldが先にあって、その後に仮定法という概念とその表現ができたと仮定、推定しておきたいと思います。この場合if節のついた仮定表現が事の起こりで、次に丁寧表現などif節の無いものが出てきたという経緯でしょうか。それともまず丁寧表現などが生まれ次にif節がついたものが出てきたという流れでしょうか。 よろしくお願いします。

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回答No.6

Gです。 文法なしで外国語を習い、習得し、使えるようになることはまずないといって良いと思います。 それほど文法と言う物は大切であり有意義な「道具」であり、用語も同じように「共通理解」を持つ事で、回りくどい教え方をする必要なしに教える事が出来るわけですね。 品詞名を知らなくてどうやって教える事事が出来、どうやってその教え方を理解できると言うのでしょうか。  昔から習ってきた「日本式仮定法」を仮定法とする、と言う定義があればそれで十分なのではないかと私は思います。 そのレベルでは仮定法と言う観念と用語は必要なものでしょう。 これなしで、If I was a birdの表現方法を身につけることは出来ないと思います。 しかし、日本には今英語圏での学校文法の考え方を持ってきてそれを同じ仮定法と言う名前を使う人がいるからより難しくしてしまっているのではないかと思うのですね。 つまり、仮定法には二つの考え方がある、とするなり、幅の広い意味合いを定義としてしっかり学校文法として全国一貫して教えれば良いと私は思います。 この考え方はもう既にこの質問で書かれてきている文法と英語力をお持ちの方々には持たれていると私は考えています。 私が懸念しているところは、このようにすばらしい使える文法理解をなぜ学校でもっとしっかり教えないのか、と言う事なのです。 教えにばらつきがある、と言ってもいいのかもしれません。 文法は教えるための道具です。 これを有効に使う事で6年間の600時間の授業で十分とは言えないかも知れないけどかなりしっかりした土台を作る事はできると思います。 そして、上記の専門家の方々の教え方を受けてきた学生は十分伸ばすための英語力と向上への関心が高められてきていると信じて止みません。 しかし、今回のような英語表現を仮定法(の一部)と解釈する事が通用するのか、と言うと私には思えない、と私は言います。 そして、仮定法だから、と言うのであれば、なぜ、仮定法だと判断するのかを説明すべきものだと私は言うのです。 ただ単に仮定法ですからこうなります、と言う説明では学習者はどうやってその判断力がつくと言うのでしょうか。 仮定法にすると意味が通らなくなく、と言うはっきりした理解があることで、そしてその理由を教える事で、少なくとも今回は仮定法の表現方法を用いた文章ではない、と判断できる方法を教えた事になるわけです。 SVOCのことについても私はまったく問題のない文法であり、使える文法知識であると思います。 事実この知識によって英語力を挙げた人たちがたくさんいるわけですから。 そしてそれに「動詞の表現方法を知ることでこの観念をよりはっきり持つ事が出来、より効率が高まる」と言う事なのですね。 しかし、文型番号に関しては「何で必要なの?」と言うことになってしまうと私は感じるわけです。 SVOCを有意義に使えば十分なのになぜ文型番号とマッチさせて覚えなくてはならないのか?と言う事なのです。 SVだと分かればそれで十分であり、それをわざわざ第一文型である、と言う知識に費やす時間に本当に600時間に含める価値があるのだろうか、と私個人が思うわけです。 わざわざ第一文型と言う用語名を使わなくてもS+Vであるといえばすむ事なのでは? いろいろな解釈の方法を知ることは常託すればするほど有意義なものとなるでしょうし、いろいろな解釈方法の存在を知ることも英語力の一部として非常に大切だと思います。 一つの固定観念だけで、他にも解釈の方法がある事を知らなければ、言い換えるとその事への深い知識が無いと言う事ですが、初学者にその固定観念を植え付けることになるわけです。 ですから、いろいろな解釈の方法は十分価値のあることだと思います。 しかし明らかに間違った解釈、通用しない理解、一つの文法知識だけで断言するようであれば、初学者にとっては弊害となるはずです。 そして、明らかに通じない英語表現を一般的に使われています、と断言すのはやはりまずいと思うのですね。  今回のご質問では、リンク先のNo.2の方のご意見も分かるような気がします、とおっしゃっているからこそ、私もそう思います、と言う私からのコメントになるわけです。 なぜなら、私にはどうやっても広い意味での仮定法の理解を使っても意味が通らないし、私がこの表現を聞いたらNo. 2さんの解釈を自然に感じてしまうからです。 と言うことで、文法は非常に大切な事であり、無視する事はすなわち英語力とは無縁の自分に追い詰めることになると信じています。 そして、今回のように助動詞の過去形が来たらすぐさま仮定法に結びつける事はcouldと言うcanの過去形であると言う文法を無視すると言うことになってしまいます。 ですから、二つの解釈の可能性があればそれなりに各可能性をより現実的に持っていくようにするために今回のご質問を書かれたのだと思っているので私なりの回答をさせてもらいました。 もちろん他の回答者のご回答を批判するために書いたわけではありません。 違う考え方を尊重し結局は「同じになる違い(same differences)」である事を認識する私ですが、明らかに間違った事を自分なりに持つ事は自由だがそれを他人に鵜呑みにさせることへの嫌悪感を持っているGの個人主張を交えて書かせもらいました。

pgdnpgup
質問者

お礼

辞書の名前、内容もうろ覚えですが、couldは現在では直説法(過去時制)で使われることは少なくなり、もっぱら仮定法の機能だけを持つ語になってきている。と書いてありました。これなども私の場合実際に自分の目で見ないと納得しない性質です。しかし辞書の直説法、仮定法の分類というのも単に過去時制の表現とそれ以外(丁寧とか)の表現を分類しているだけのものに成り下がっているように思います。ネイティブに聞いたら「何のことだい」といわれるような内容ということですよね。そういう意味で英語の変革、歴史というものはこのサイトでの検証のためにやっているというところもあり、どこまで、いつまでできるかわかりません。実用英語とは反対の方向に時間を使っているところもあります。もちろん歴史には興味はありますが奥が深いです。しかしここでの反証にはそのくらいの奥深さが時には必要になるように思います。あまり検証をする方もいらっしゃらないようですし私もいつまでやるかわかりません。

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  • go_urn
  • ベストアンサー率57% (938/1643)
回答No.5

こんにちは!  前の No. 2 の回答をしたものです。個人的な中傷が多くなってきましたね。  No. 3 のお方がいつも力説されていることは、文法用語使って分かってもいないのに分かったふりをしているのは滑稽だということだと理解しています。その通りであり、英語は私などには、やはりよく分かりません。しかし、それはほとんど誰にも言えることであって、鳩首談合、ああでもない、こうでもないと言いあっているうちに、ちょっとよく見えるようになる態のことではないでしょうかね?そうであれば、あれこれ推断するのはやむを得ないことであり、もしご自分が、他の回答者と違う意見を持たれれば、1つのお考えとして提出すればいいだけです。文法が無意味だというのは、個人としてのお立場は尊重しますが、一般的には、現実的に無理な注文だと思います。私など、S,V,О,Cを教えてもらわなかったら、何も理解できていないでしょう。  ということで「仮定法」という用語をここで使わずに説明するのは、いささか無理ではないでしょうか。  ...前置きが長くなりましたが、  私の意見は、これを仮定法の could と取るのは無理があるのではないか、ということです。I could do it. と言えば、「やろうと思えばやれるだろう」という仮定法の意味になる確率が高いです。でもお尋ねの文章の場合は、過去のできごとについて言っていますので、仮定法過去(=現在のことを言う)とは相性が悪いのです。  It is so still I could hear a pin drop. というのは仮定法でしょうね。でも Last night I could hear a cricket chirping at the far end of the garden. だと、「聞えた」という事実を言っていますね。「昨晩...聞くことができるだろう」はヘンだからです。感覚動詞といっしょに使う場合は、could は、直説法の過去形として使い得るということです。これは少し詳しい文法書にはかならず書いてあることです。I could tell..も、場合によっては仮定法に解釈できるでしょうが、この場合は、感覚動詞に準ずるもののように思います。  もちろん、どうしてもこれは仮定法だと言われますと、はあ、そうですか、では考えが違いますね、となってしまいますね。でもそれはそれでいいと思いますよ。黒白決着をつけなければどうにかなるというような大問題ではないですし...誤解、曲解はあって当然で、私も歩留まり30%くらいを目標値にしてます。(=誤解、曲解70%の意味です。)  以上、文法用語の使用自体についての釈明も含めて、ご参考になれば幸いです!

pgdnpgup
質問者

お礼

>It is so still I could hear a pin drop. というのは仮定法でしょうね。でも Last night I could hear a cricket chirping at the far end of the garden. だと、「聞えた」という事実を言っていますね。「昨晩...聞くことができるだろう」はヘンだからです。感覚動詞といっしょに使う場合は、could は、直説法の過去形として使い得るということです。これは少し詳しい文法書にはかならず書いてあることです。 うろ覚えですが、研究社新英和大辞典には感覚動詞というような条件は無く、過去であることが分かる場合はcouldを使うことができるというようなおおざっばなまとめ方だったように思います。間違ってるかもしれません。 >もちろん、どうしてもこれは仮定法だと言われますと、はあ、そうですか、では考えが違いますね、となってしまいますね。でもそれはそれでいいと思いますよ。黒白決着をつけなければどうにかなるというような大問題ではないですし... そうかもしれませんが、同じような質問が幾度も出てきて同じような回答で同じような結末でという繰り返しがループしているように思うので研究してみましたが、このとおり検証には時間がかかるようです。こうしているうちにも新しい質問はどんどん投稿されいくようで、検証する時間も普通に回答していくぶんにはあまり無く到底私は優秀な回答者にはなれないようです。ただ今回の質問もそうかもしれませんが検証が充分でないままに埋もれていく文が多いように思いそこをどのようにお考えかと思います。私にはちょっとストレスなのであまり本格的に回答に参加しませんし、そういったポジションです。質問者のため、ということであれば中高生向け英語(宿題丸投げだめよ)と英語研究のカテゴリーを作るといいと思います。 ありがとうございます。

pgdnpgup
質問者

補足

ほかの回答者様、ただいま読ませていただいているのでお待ちください。以前も回答していただきましたがgo_urnさんの回答は誤解を招く表現が無いですし推断ですか、いわゆる断定表現を使う場所をわきまえていらっしゃるようです。私はともかくとして文法初学者に対し一般的になっていない文法解釈に断定表現を多用するのは首を傾げますがgo_urnさんはそうはなっていません。この質問ですがどうやら過去形のようです。

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  • googoo1956
  • ベストアンサー率47% (623/1316)
回答No.4

○ 手持ちの参考書には次のような内容のことが書かれています。  「仮定法過去には、仮想世界における可能性などを表す用法と、表現を丁寧にする用法の二つがある。 ~~~  条件節が表現されていることもあるが、それは不可欠なものではなく、重要なのは動詞が仮定法であることである。これだけで、現実世界とは異なる仮想世界が構築されるからである。」  (1) It could rain later this evening.(可能性)  (2) Could I ask you something?(丁寧) ○ ただ、ご提示の英文が「仮定法」を用いたものであるかどうかについては疑問も感じます。 ○ ここで用いられている「tell」は「~に・・・を告げる」と意味ではなく「~だと分かる」という意味でしょう。「could」を仮定法過去だと考えた場合、「過去の彼の様子から、~だったということが今分かる(だろう)。」という、少々不自然な意味ななってしまいます。特に、後半の「because ...」以下で明白な理由を述べているのですから、今になって「弱い可能性」を示す「could」を用いることはあり得ないでしょう。 ○ ここでの「could」は「仮定法過去」ではなく、現実の世界について述べる「直説法過去」を表し「~だと分かった。」という意味のほうが自然ではないでしょうか。リンク先のNo.2の方のご意見に賛同します。「see, understand, guess, tell」などの動詞には「1回限りの過去の行為」を表す時でも、「直説法過去」の「could」を用いることができるという理由でよいと思います。  「私は彼は本を読んでいるふりをしていただけであったのが分かった、それは本が逆さまだったからです。」 ○ なお、普通のNative speaker達は普段このようなことを意識することはないであろうと推察します。1日に何回、何十回となく「could」を使用する環境においては「習うより慣れろ」で、感覚で理解できるようになるのでしょう。しかし、日本人のように生の英語に触れる機会が限られた外国人の英語学習者にとっては、目にすること(または、耳にすること)のできるわずかな情報(英文)を「文法」という貴重な糸でしっかりと結びつながら、お互いを関連づけて理解することが必要です。それは、先人たちが苦労して考え出した知恵であり、また(機会を)持たざるものが(機会を)持つ者に対抗する、せめてもの手段なのではないでしょうか。そして、そのような地道な努力を重ねることが、いつか生の英語に日常的に触れる機会ができた時に自分の英語の実践力を大きく伸ばす礎になるのだと思います。 ○ 何かのご参考になれば・・・。

pgdnpgup
質問者

お礼

やはり過去時制のように思いますよね。思ったよりもためになる文でした。

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回答No.3

アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。 このカテで書き始めて8年目に入りました。  これは、助動詞の過去形が来るととたんに「仮定法」と言う単語が頭に浮かぶ事すらおかしいと私は感じます。 仮定法、婉曲用法なんていう用語がなんで必要なんでしょう。 もともと日本での「仮定法」と言う言われるものに関しての定義さえはっきりいていないのです。 I think, It seems, he looks likeは何用法なんでしょう。 断言しているわけではないので断言用法ではないのでしょう。 そしたら、推測用法と言うのでしょうかね。 (この二つはたった今私が作りました。 日本語の仮定法と言う用語は私が作らなかっただけの違いです。) ~用法だ、と言うと何か分かったような気を持たせる「話法」に過ぎません。 それも、これは~用法です、と断言しておきながら、なぜそう断言できるのかと言わないで、どうしたら自分にも自力でそのような判断ができるようになるのかも教えてくれない、なぜなんでしょうね。  仮定法とは、聞けば、いくつかのはっきり違う回答が返ってくると思います。 同じ事を説明方法が違うだけと言うことではなく、明らかに定義の違いがある、と言う事なのです。 (自分には分析できる能力があるしあの時もあったので、今回の場合はそれのほどの事でなくても、俺はそんなにバカじゃないので)あいつは読んでいる振りをしているだけだと分かった・分かっていた、といっているだけの文章だと私は感じますのでここになんで仮定法の、しかも婉曲用法なんていう解釈が出てくるか分かりません。 文法用語を使えば初学者は鵜呑みにしてしまうのは仕方ないのかもしれません。 しかし、文法用語と文法知識がこの文章の意味合いを感じることが出来るようになると断言するのであれば、なぜ、この文章を理解できないのでしょうか。 不思議です。 と言うことで、まったくの独りよがりのコメントを書かせてもらいました。 なお、私と違う考えを持っている方々の回答自体を指摘しているのではなく、この40年と言う日本の英語教育での文法・文法用語の押し付けからの弊害に関して強い意見を持っている私個人の考えであり仮定法と言う用語に関して疑念を持つようになるのに十分な文法説明を見てきた事による私個人の結論に過ぎません。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。

pgdnpgup
質問者

お礼

仮定法という言葉を使うのは単に字数を省略するぐらいの意味です。用語を使うことで300字でかかることを30字で済ますぐらいの意味しか私にはありません。たしかに省略することで意味論的な誤りが発生するという悲しい可能性があります。今までcouldの仮定法の質問をいろいろ見てきましたがいまひとつ釈然としなかったので、今回質問したのですがどうも思いがけない結果になったような気もします。

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  • trgovec
  • ベストアンサー率52% (2538/4879)
回答No.2

仮定法という言葉の捉え方によると思います。 リンク先の#2では could を過去時制と捉えています。これは「直説法」です。 can という助動詞(法動詞)の直説法過去という考え方です。 それ以外の「仮定法の帰結節」「仮定法の断定を避けた婉曲用法」はもちろんのこと、 could を「できた」のような過去の意味に使っていなければすべて「仮定法過去」です。 「元々は仮定法」というのは元来おかしなことで、could が仮定法でなくなるのなら過去の意味「できた」を持たなければなりません。 これでは現在のことが過去のことになってしまうので言いたいことが変わってしまいます。 ご存知かもしれませんが仮定法とは「仮定を表現する方法」や「構文」のことではなく「動詞の形」です。直説法が現実をありのままに描くのに対して仮定法は頭の中に描いたことを表現します。頭の中ですから時に事実に反することや自信のないことも言えるわけです。 「元々 if条件節+帰結節 の構文だったものが省略されて帰結節だけになった」と言うことはできます。しかし動詞の形は仮定法のままです。 手許の辞書(岩波大英和)でも過去時制(主節)、時制の一致による過去(従属節)以外の could の用法は全て「仮定法」の項目にまとめられています。 お持ちの本は仮定法を「仮定を表現する構文」と捉えているように思えます。ただ、本がそのような記述をしているのは初めてです。仮定法を構文と捉えるのは一種の便法として学習者や教える側には広く行われていますが、参考書がそのように書いているのは見たことがありません。それは便利な方法ではありますが間違いだからです。

pgdnpgup
質問者

お礼

>リンク先の#2では could を過去時制と捉えています。これは「直説法」です。 can という助動詞(法動詞)の直説法過去という考え方です。 おっしゃるとおりbecause以下で過去であることがはっきりしているので直説法過去だと思われます。 >それ以外の「仮定法の帰結節」「仮定法の断定を避けた婉曲用法」はもちろんのこと、 could を「できた」のような過去の意味に使っていなければすべて「仮定法過去」です。 手許の辞書(岩波大英和)でも過去時制(主節)、時制の一致による過去(従属節)以外の could の用法は全て「仮定法」の項目にまとめられています。 おっしゃるとおり研究社英和大辞典でも直説法と仮定法に大きく分かれていて見やすい感じでした。GENIUS、WISDOMはちょっと見にくい感じでした。 この婉曲用法という用法は書いてありませんが名前はご存知なのですね?断定を避けるという意味では婉曲表現であることは間違いないようにも思いますが。 >「元々は仮定法」というのは元来おかしなことで、could が仮定法でなくなるのなら過去の意味「できた」を持たなければなりません。 これでは現在のことが過去のことになってしまうので言いたいことが変わってしまいます。 こちらがよく分かりませんでした。 >canはもともと過去を示す動詞でそれが現在の能力?を表すようになりそれと区別する形でcouldが用いられることになりcanとcouldは時制(現在、過去)、法(直説法、仮定法)を区別するものになった。 というような辞書の説明を今日見てきましたが、おっしゃっている意味はcouldは最初過去としての意味を持ってうまれ、仮定法でも使われるようになったというある意味推定のようなものでしょうか? 私としましては「もともと」最初にif節のついた仮定法の表現方法があって、時間の経過と共にCould I use it?のような許可を意味する仮定法表現ができたという意味で書きました。今日参考書を調べてみるとCould I は許可を表すcanの仮定法からきているとありました。 >ご存知かもしれませんが仮定法とは「仮定を表現する方法」や「構文」のことではなく「動詞の形」です。 「元々 if条件節+帰結節 の構文だったものが省略されて帰結節だけになった」と言うことはできます。しかし動詞の形は仮定法のままです。 分かりやすいご説明でした。ありがとうございます。

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  • Oubli
  • ベストアンサー率31% (744/2384)
回答No.1

私は彼が単に読んでいるふりをしていることが解った、なぜなら本が逆さまだったから。 これは仮定法ではなく、can tell(~と言える、解る)が過去形になっただけです。前スレの#2さんの言っていることは、状態とか習慣的な行為については過去形couldを使えるが、一回だけの動作については使えないということでしょう(was/were able toになります)。

pgdnpgup
質問者

お礼

ありがとうございます。couldに目がとらわれこの文の文意を取ることに注意があまりなかったかもしれません。たしかに普通の過去形のようです。

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