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江戸時代の不定時法の不思議
不定時法自体の構造や有用性は理解できるのですが、何より不思議なのが、あの独特の数え方です。9つ・8つ・7つ・6つ・5つ・4つと減算するように進み(ここまではまぁ、カウントダウンと考えられなくは無いですが)3つ・2つ・1つが無いのはなぜでしょうか? それ以前の十二支を刻に当てていた時代からなぜ、そのような奇妙な数え方になったのか不思議です。太陽太陰暦や二十四節季とのかかわりがあるのかも知れませんが、お判りの方がいらっしゃればお教え願いたいと思います。 歴史や風俗などまるで素人なのでよろしくお願いします。
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江戸時代の時刻制度は定時法(1日を12等分)と不定時法(日の出から日暮れまでを六等分、昼間も6等分)の併用だったと言われるので、9つ、8つという数え方は単なる便法だと思います。有力な説としては、時刻を太鼓と鐘で知らせたので庶民は時刻の代わりに(子の刻という代わりに)太鼓の数で明け6つという風に呼んだとあります。詳しくは添付URLを参考にしてください。なお、過去類似の質問があったように思います。 http://www10.u-page.so-net.ne.jp/ba2/koyama_h/sirabetakoto/mojiban.html http://www6.vis.ne.jp/~aichan/edo/nagaya/kihei/jikoku.html
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- jun95
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平凡社「世界大百科事典」によりますと、「延喜式」に 子午時 9回 丑未時 8回 寅申時 7回 卯酉時 6回 辰戌時 5回 巳亥時 4回 鐘を打つように定められていたため、それを流用したものだそうです。 ただ、「延喜式」は、読んだことがないので、確認はできませんが。。。
お礼
お答えありがとうございます。延喜式からの出典ですか・・・ただそれにしてもなぜ子午時が9つになるのか不思議ですね。9つ~4つと数える前には十二支に当てた刻の呼び方をしていたのですから、そのまま12~1まで数えても良さそうなものですし、昼夜を分けて考えるなら6つ~1つの方が自然な気がします。 延喜式自体に特別な意味があるのかもしれませんので、近々読んで(もちろん現代語訳ですが)みるつもりです。
- ymmasayan
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はっきりしたところは判りませんが、説が2つある様です。参考URL (1)9は「陽」でめでたいので9をベースに。 9に1倍、2倍を掛け、1の位を使う。 だから、9,8,7,6,5,4 (2)鐘や太鼓で時を知らせたので打つ数を少なく出来なかった。 (少ないと聞き違いがおきやすい) それにしても、1,2,3と10,11,12をはずしているのも意味ありげですね。
お礼
お答えありがとうございます。 私の調べた限りでは鐘や太鼓を打つ回数と言うのはあたらないかと思います。実際に刻を打つときには先に捨て鐘と称して3つ続けて打ち、間を置いて時刻に相当する数の鐘を打ったとの記録がありますので・・・ ただ(1)に付いては面白い発想ですね。洒落好きの江戸の人々ならやりそうな気もします。なにせ刻の鐘が個人経営で成り立っていたのですからね。
お礼
お答えありがとうございます。江戸時代の初期のおいては庶民も十二支になぞらえた呼び方をしていた(どうもこの十二支による呼び方は庶民のためのものであったようで、天文方など役所では最初から使っていなかったようですし、天文方では一日を100刻に分けた独自に時刻を使っていたようです。私が調べた限りでは一刻を争うの一刻はこちらの方の一刻のことのようです。 しかし、誰かが最初に9つから逆に4つまで進み、また9つに戻ると言う不思議な数え方をはじめたことは確かですし、それには何か理由があると思います。延喜式のことなどが出ているのでそちらを調べて見ることにします。洒落好きで信心深い江戸の人々のことなので、何かその辺に理由があるような気がします。