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「偶然」とは何ですか?

「偶然とは何か」を定義しようと思ったのですが、うまくできなくて困っています。 例えば、「偶然とは、意図せずして起こったこと」と定義する、意図せずして動いている心臓の動きは「偶然」なのかと言うと、そうは言わないように思います。 また、「偶然とは、因果関係では説明できないこと」とすると、「因果関係では説明できない自然法則そのものは、偶然なのか」というと、これも、そうは言えないような気がします。 どうもうまく説明できません。一体、「偶然」とは何なんでしょうか?「偶然」についての適切な定義があったら教えてください。

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  • cyototu
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回答No.16

他の回答者の皆様はこの問題を人文科学的な視点から論じられておりますので、私はここでは自然科学という違った側面からこの問題を論じてみます。 この問題を自然科学的立場から真っ向から扱った文献として、J. モノー著「偶然と必然」、I. プリゴジン, I. スタンジェール共著「混沌からの秩序」、それにI. プリゴジン著「確実性の終焉」を挙げておきます。日本語で出ていますので、興味のある方は参考にして下さい。 自然科学では、言葉の定義そのものを分析するよりも、むしろ、この「偶然」という事象がこの自然界でどのような機能をもち、どのような現象としての帰結をもたらすのかを分析することに重点が置かれております。その立場から、始めに結論を述べてしまうと、 「『偶然』とは我々生命現象を含めた複雑な構造が物理学の法則に従ってこの宇宙の中に自発的に現出することを可能にしている、最も基本的な事象である」 と言うことができます。この言葉で何を意味しているのかを以下で説明します。 近年の非平衡熱力学の目覚ましい進歩の結果、この宇宙の中に生命現象をも含めた複雑な構造が自発的に現れてくる物理的根拠が判るようになりました。そのことを説明する理論のことを「散逸構造の理論」と言います。この理論によると、自発的に構造が出来上がってくる条件の一つとして、「熱力学第2法則」(別名、エントロピー増大の法則)という経験則が成り立っていることが必要であることが判るようになりました。この経験則は 「時間の流れは、全体としては系全体の無秩序さが増大する方向、あるいは情報が散逸するに向かっている」 ということを主張しています。そして、そのような散逸現象が起こる最も基本的な根拠を、ミクロなレベルで起こっている「偶然」、あるいは「確率的な事象」と呼ばれる現象が担っているのす。 この宇宙では、何らかの形で構造が出来上がった場合、その構造を壊そうとする邪魔な力が常に働いています。そこで、その邪魔が入ったことを、もしその系がづっと覚えていたら、その系は構造を保って存在できなくなってしまいます。そこで、この情報の散逸、すなわち邪魔が入ったと言う記憶を忘る機能がなければ、その複雑な系は安定してその構造を保っていられなくなります。この「記憶の喪失」を保証しているのが、確率的な「偶然」というな事象に根拠を置くエントロピー増大の法則なのだと言うことを、散逸構造の理論は明らかにしたのです。すなわち、偶然が役割を演じる場所がないと、我々を含めた複雑な構造がこの宇宙の中で存在できなくなってしまうということが判ったのです。 この理論は現在までに膨大な物理系や生物系に適用され、その理論の正しさが確認されております。それによって、上で挙げた本の著者の一人プリゴジンは1977年にノーベル賞を受賞しています。 ところが、物理学の基本法則をトコトン押し進めて行きますと、ニュートンの法則、マックスウエルの電磁気学方程式、アインシュタインの一般相対性理論、量子力学のシュレーディンガー方程式という全ての法則は、決定論的方程式と呼ばれる微分方程式で表されています。従って、物理学の最も基本的なレベルでは全てが、一見「決定論的」であり、「偶然」が本質的役割を演じる「確率」の概念がこの宇宙の中に入り込む余地がないように見えています。 そこで、エントロピー増大の法則と言う「経験則」で理解されているこの偶然なり確率的な事象が、物理学の決定論的な「基本法則」からどのような論理で導き出されるのかという、途轍もなく面白い問題が、まだ未解決の問題として物理学者の間で現在深刻に論じられています。 因に、この問題の回答のカギを握っているのが、非平衡統計力学や、最近話題になっている非線形力学形でのカオスの理論であろう、との印象を多くの物理学者達が抱いております。 別な言い方をすると、現在の科学では、「偶然」と言う概念で説明される現象が、この宇宙で何故起こり得るかという問いには、まだ答えられていない段階ですが、この概念で説明される事象が在るお陰で、我々をも含めた複雑な構造がこの宇宙に自発的に存在できるようになったのだ、と言うことは判るようになったのです。もっと詳しくは、上で挙げた著書を参考にして下さい。 (蛇足)量子力学の確率解釈の問題は、未だにその意味に関して論争の対象になっている「観測の理論」と呼ばれる、物理学的には未完成な理論との折衷で理解されている段階ですので、量子力学が出たから、確率の根拠も判るようになったという主張は、未だ物理学者達の共通意見には成っておりません。

kobarero
質問者

お礼

今まで知らなかった新しい分野についての知識でした。文献の紹介も含めて、ていねいなご説明をしていただき、ありがとうございました。 全然知識のない領域なので、理解するには程遠いので、単なる感想ですが、新鮮に感じたのは、エントロピーの増大が、自発的な構造の生成の必要条件という話です。今まで、生命体はエントロピーを減少する働きを持っているので、熱力学第2法則は、生命体のような構造物を破壊する方向に働くのかなと漠然と思っていたからです。時間があったら、ご紹介いただいた文献なども勉強してみたいと思います。

その他の回答 (34)

noname#140971
noname#140971
回答No.4

1、内的な本質的な関連が必然。 2、外的で副次的な関連が偶然。 3、偶然は必然の発現でもある。 偶然の定義の3つの柱はこのようだと思いますね。 >偶然とは、「意図せずして起こったこと」と定義する。 そんなに勝手に定義してもしゃーないでしょう。 >偶然とは、「因果関係では説明できないこと」と定義する。 そんなに勝手に定義してもしゃーないでしょう。 男性が女性に恋をするなんてのは男と女の内的な本質的な関連であって必然。 だが、何時何処でどういう男と女が出会って恋に陥るかってのは外的で副次的な関連で偶然。 しかし、その偶然も結局は、男と女の内的な本質的な関連の発現でしょう。 このように、偶然の3つの定義で男女の恋愛の必然と偶然も説明できると思いますが・・・。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 「偶然とは、○○○のことである」と言うような定義の形にするとどうなりますか? 例えば、ご回答いただいた「外的で副次的な関連が偶然」という表現から、「偶然とは、副次的な関連のことである」とした場合、「偶然」とは「○○な関連」であるということになりますが、ここで、「関連」とはどのよう意味になるのでしょうか? 「偶然」とは「関連」の一種なのでしょうか?

回答No.3

追記 定義を如何に定義付けるかによって、 「因果関係では説明できない自然法則そのものは、偶然なのか」 という回答も若干異なってきます。 先ほどの定義 【 一般人の観点から、 必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは 現実的には起こりえないことが現実に起きること 】 だと、ご質問の回答は 偶然 とも必然 ともいえます。 というのも、上記定義には「因果関係」についての記述が (ニュアンスは含まれてるかもしれませんが) 一切含まれていないからです。 仮に、「偶然とは、因果関係では説明できないこと」と 「因果関係」を定義に含めるとしても、 因果関係を 更に定義づけないと 定義上の「因果関係」が「広義の)因果関係」 なのか、「狭義の)因果関係」なのかを 明確にしないと、ご質問の回答は偶然か必然かは 分からないでしょう。  「広義の)因果関係」とは、極論して言えば、仏教的宗教的 ニュアンスで言えば、人知を超えた天変地異(因果関係では説明 できない自然法則)も「因果の法則」にあてはまり、 ご質問の回答は必然 となるでしょう。 つまり、この場合「神様的超マクロ的基準」でみている わけです。  逆に、 「狭義の)因果関係」といえども、人知の範囲内の天変地異 のケースでも、地震・台風 等 (気象学・地震学の範疇で) 予測できるのであれば ご質問の回答は必然 予測できないのであれば  ご質問の回答は偶然 となります。  つまり、気象学・地震学の予測力の進歩によって、偶然 も必然 となりうるわけです。  更に、専門学者を基準にすれば予測可能で 必然 一般的素人を基準にすれば予測不可能で 偶然 のケースも考えられはなく、やはり 定義上 基準主体を「一般人の観点から」ととりあえず 固定しないと、質問の回答が 偶然か必然か 分からないと と思います。   つまり、「偶然」を「因果関係」を加味して定義付けると 【一般人の観点から (相当)因果関係では説明できないこと】 となり 質問の回答は  因果関係では説明できない自然法則、すなわち、 一般人の観点から人知を超えた天変地異 となり 偶然となります。 「因果関係では説明できない」の前に その主体、 「一般人」「専門家」「神様」 のうちの誰を基準にする かによって 質問の回答は異なってくるわけです。  

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >予測できるのであれば ご質問の回答は必然 >予測できないのであれば  ご質問の回答は偶然 >となります。 この場合、予測可能かどうかは、人によって異なりますから、おっしゃる通り誰が予測するのかによって、必然か偶然かは変わって来ますね。そうすると、やはり、「偶然とは、予め予測できない出来事の発生を意味し、それは、個々人の予測能力によって異なる。」ということになるでしょうか? ところで、我々は、「街で、偶然、友人と出会った」という言い方をよくしますが、この場合、「友人と出会うこと」は予測不可能だったのでしょうか? そうではないような気がするのですが。友人が既に死んでいたとか、監獄に入っていたとか、何か街に出ることが不可能な状況があったのでなければ、街に出ている可能性は十分にあり、予測不可能とは言えないように思います。言える事は、友人も自分も共に同じときに街に出ている可能性は十分あったが、その確率は低かったということのように思います。 そうすると、「偶然とは、予測不可能なことが起きることではなく、予測は可能であるが、その発生確率の低いことが発生すること」と言った方が良いようにも思うのですが、どうなんでしょうか?

回答No.2

基本的には http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E7%84%B6 の 「最初の説明」 必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは起こ らないこともありえた出来事のことである。 ***「対語」の「必然」も含めている点では 評価できるのですが、「事前には予期しえないあるいは 起こらないこともありえた」が若干あいまいな感じですね。 「事前には予期しえないあるいは 現実的には起こりえないことが現実に起きること」と 言い換える方が分かりやすいかもしれません。 「概要」 の内容で 偶然という言葉は、事前に意図しない結果が生じた場合において 、「思いもよらなかった(思いがけず、図らず)」という意味や、 「~するつもりは無かったのに」という意味でも用いられる。 また、偶然は、必然性の欠如によって定義されることから、 必然性の解釈次第で、多様な意味をもつ。 偶然は限定的な条件での用法と、絶対的な条件での用法がある。 考えていた、あるいは知りえたなどの当面問題になっている 諸条件の範囲内で、そうした諸条件によって起きることが 予め決まってはいなかった、起こらないこともありえたと いう意味の場合は前者であり、そもそも事柄の本質として 起こらないこともありえた、というのが絶対的な用法である。 後者の意味の偶然がありうるかどうかが、あらゆる事象が 必然的に生起しているはず だとする決定論との関わりで 問題となる。この点、偶然であるように見えても、 少なくとも全知者に対しては偶然ではない場合も考えうる。 ここまで説明すると完璧ですが、若干 宗教・哲学めいた ニュアンスになってきますし、「偶然を感じる」当人の 主観面を極端に含めると、オカルトチックになりがち で常識的には行き過ぎた説明だと個人的には感じます。 ですので、ベストな定義は 「最初の説明」に、「偶然」を感じる基準者を「一般人」 と固定して加味し、次のように言い換えるのがベストでしょう。 【 一般人の観点から、 必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは 現実的には起こりえないことが現実に起きること 】 仮に、「一般人」を「特定の個人」に置き換えてしまうと、 「偶然の一致(シンクロニシティ)」というユング理論という オカルトめいた心理学の世界にまで拡大解釈しがちですので 注意が必要です。一般的定義に心理学的・宗教的ニュアンスを 加味するのはまずいと思います。ただ、「一般的定義」 ではなく「心理学的定義」「宗教的定義」だと事情が 異なってくるのは当然です。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 ふたつ疑問があります。 ひとつは、もし、「必然かどうか」や「事前に予期しえたかどうか」で判断するとすれば、それは、その判断する人の主観、知識、洞察力によって、「偶然」か「必然」かが決まるということでしょうか? 例えば、自動ドアというものを知らない人が、自動ドアの前に立ったら、勝手にドアが開いたのを見て、その現象を「偶然」と呼ぶのでしょうか? もし、そうだとすると、「偶然とは、客観的な現象ではなく、主観的現象であり、個々人の知的レベルの欠如の程度に応じて、その発生を予測しえないようなできごと」と定義して良いでしょうか? もう一つの疑問は、「現実的には起こりえないことが現実に起きる」とはどういうことでしょうか? 本当に現実的には起こりえないのであれば、現実に起きるはずはないのではないでしょうか?

  • x-nishi
  • ベストアンサー率36% (60/164)
回答No.1

すみません、質問させてください。 「因果関係では説明できない自然法則」とは、たとえばどのようなものを指すのでしょうか?

kobarero
質問者

補足

ご質問ありがとうございます。 >「因果関係では説明できない自然法則」とは、たとえばどのようなものを指すのでしょうか? 例えば、質量保存の法則とか、電荷のプラスとマイナスの間には、引力が発生し、プラス同士なら斥力が発生するとか、あるいは、その力は、電荷の大きさに比例し、距離の二乗に反比例するとか等等、自然科学の法則と言われるもの全てです。 これらは、数学の公理と同じで、因果関係では説明できず、「ただ、そういうものだ」ということで、理由なく認めるような性格のものではないかと思います。

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