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自由民権運動

自由民権運動の始まりと発展を西南戦争とからめて 中学生にわかるような説明するにはどうすればいいでしょうか?

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回答No.1

教科書に従えば、1873年に明治政府は富国強兵策の一環として徴兵令を発しました。 これは、これまで武士(士族)の仕事とされてきた戦をする権利(?)を奪うもので、多くの士族がこれに強い不満を抱きました。 そこで西郷隆盛は「征韓論」をとなえ、朝鮮との武力衝突を引き起こし士族に活躍の場を与えようとしました。 しかし、訪欧(岩倉使節団)から帰国した大久保利通らによって阻止されます。 そこで西郷は責任をとる形で職を辞し、板垣退助ら西郷を支持する人々もこれに従い政府を去ります。 板垣は翌年、明治政府は薩摩・長州の出身者による専制政治だと批判する内容の、民選議院設立の建白書を提出します。一部の地域出身者が勝手な政治をするのを防ぐため、全国から代表者を集め議会を作るべきだ、と訴えたのです。以後、板垣らは政府の専制政治を言論で批判することになります。これが自由民権運動の始まりとされます。 一方、西郷と共に政府を去った者の中には武力により政府に反抗する者もいました。これがいわゆる士族の反乱でその最後にして最大のものが、西郷隆盛を中心とした西南戦争です。 しかし、これも鎮圧され武力による抵抗は以後止むことになりました。そして板垣らの言論による批判が反政府運動の中心となります。 中学生のレベルでは「廃刀令」や「秩禄処分」などは習わないので、 徴兵令をきっかけに次々と特権を奪われた士族たちが政府への抵抗勢力になり、それが言論派と武闘派に分かれた、と説明するのがよいと思います。 以上の経緯は、裏に複雑な事情があるとされますが、自由民権運動の所は中学生には複雑で分かりづらいので、なるべくシンプルな形で示すのがよいでしょう。

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