- ベストアンサー
自由民権運動を考える
昔自由民権運動というのがありました。 何度弾圧されてもたけのこのように復活し活動を続ける力、 今の日本にないものです。 なぜ当時の人はあんなに熱く自由民権運動ができちゃったのですか(?o?) なぜ団結できちゃったのですか? 鎖国が解かれてすぐだったのに、なぜ急に市民革命見たいのができたのでしょうか? 今の日本でそうした動きがあまりない、政治宗教活動は他行ってやってくださいという風潮が生まれているのはなぜでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
世の中が進歩して自由民権が確立されたからです。だから必要がなくなったのです。最近は民権ばかり強くなって政治がうまく動かなくなった。先日の秘密保護法がそうです。知る権利なんてアホなことを言って、国の外交力を弱めている。 板垣退助等が自由民権運動をやったのは、江戸時代の封建主義が終わったばかり。まだ憲法もろくに機能していない時代です。だから不平不満が沢山あった。諸外国に追いつこうとする明治政府はしばしば無理筋なこともやった。だからそれに反発する勢力も少なからずありました。 今は違うでしょう。世界に冠たる平和憲法があって、国民の権利がしっかり保証されている。最低生活が憲法で保障されているので、働かなくても生活保護が受け取れる。学校にも行けるし病院にも行ける。参政権も人権もしっかり保証されている。今さら自由民権運動などする必要がない。 それに明治の頃の民権運動はそれほど団結していませんでしたよ。革命にはほど遠かったですよ。不平不満分子が騒ぎまくっていただけ。板垣退助はその親分です。やることがなくなって暇になったら早稲田大学を作った。 唯一例外はソ連邦が出来た後の共産革命。これは国家を転覆して共産主義の政権を作ることが目的。つまり革命運動です。これはかなり団結していました。ソ連の後押しもありました。政府がこれを押さえるのは大変でしたよ。悪名高い治安維持法は共産革命を防ぐことが目的でした。でも共産革命は自由民権運動とはまったく異質です。今でも日本共産党は日本を共産主義国にするのが最終目標です。こんなものやってもらいたいですか?
その他の回答 (4)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”なぜ当時の人はあんなに熱く自由民権運動ができちゃったのですか” ↑ 当時は武士であったものがリストラされ 巷に溢れている状態でした。 武士はインテリです。 だから政治には敏感だったのです。 それに加えて、当時参政権を付与されていたのは 一部の特権階級だけでした。 そういう人達は、政治的関心が強いのです。 そうい武士とか特権階級の人達が、自由民権運動 をやったのです。 つまり、国民の選ばれた一部です。 その他の庶民は、それはお上のすることだ、と いうことで無関心だったでしょう。 ”鎖国が解かれてすぐだったのに、なぜ急に市民革命見たいのができたのでしょうか” ↑ これが日本人の特性です。 日本は、歴史上ず~と中国から学んできました。 だから外国に学ぶことには問題が無かったのです。 明治維新後は、中国が欧米に代わっただけです。 これに対して、中国などはず~と自分で文明を築いて きた、という自負があります。 だから、欧米に学ぶことが遅れたのです。 結果、日本にも遅れを取ったわけです。 ”今の日本でそうした動きがあまりない” ↑ 昔の日本では、一部のエリートだけが政治に 参加するような体制でした。 だから盛り上がることが出来たのです。 現代では民主制が広く行き渡っていて、 総理大臣の名前さえ言えないひとが、選挙権を 持っています。 どうしてって、無関心層が多くなる訳です。
- fullfill
- ベストアンサー率15% (54/345)
>昔自由民権運動というのがありました。何度弾圧されてもたけのこのように復活し活動を続ける力、今の日本にないものです。 自由民権運動は薩長藩閥が政権中枢を牛耳って、わがままな政治を行い、また、桂小五郎などは「三井の番頭」と言われるくらい財界との癒着が顕著であり、政府が莫大な税金を投入して造った工場、鉱山等の施設を、有力財閥に二束三文の値段で払い下げるなど、概して当時の政権が一部勢力のための政治を行っていたことが背景にあります。 当時の司法卿であった江藤新平は、そうした癒着を取り締まるべく孤軍奮闘したものの、大久保利通に抹殺されました。 >なぜ当時の人はあんなに熱く自由民権運動ができちゃったのですか(?o?)なぜ団結できちゃったのですか?鎖国が解かれてすぐだったのに、なぜ急に市民革命見たいのができたのでしょうか? 明治に変わる前の江戸時代は、武士は論外として、町人、農民に関係なく子供の時から寺小屋に通って読み書きソロバンを勉強しており、思慮分別がありましたので、幕末になって外国の軍艦が日本周辺に現れるようになると、日本の危機を肌身で感じるようになり、侵略されないような国作りが行われ、一気に国の体制が整備されることになりました。そうなれば、過激な運動をして権利を要求する必要性がなくなり、自由民権運動は下火になっているようですね。 因みに、そのように敏感に反応するところが、中韓の人間とは違う日本人の一番の優れたところです。そのため、西洋列強の植民地にならずに済んでいます。 また、今の日本が白人世界と伍していけるのは、そうした日本人のご先祖様が頑張ったお陰なのです。 白人の国と戦争をしていますが、その結果として、東南アジア諸国や、アフリカ諸国、中東なども西洋白人系国の植民地から解放されています。 余談ですが、No.1さんの「板垣退助はやることがなくなり早稲田大学を・・・」とありますが、早稲田大学を創設したのは大隈重信であり、板垣は暴漢に暗殺され、死に際に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったかどうかは判りませんがそのような噂もあったようです。
- abewainpo
- ベストアンサー率8% (53/611)
安倍が姑息に動いてもアメリカが頭を押さえている安心感があるからでは。
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
> なぜ当時の人はあんなに熱く自由民権運動ができちゃったのですか(?o?) 物凄く簡単にいえば、大久保らが中央政府を牛耳った後、中央での政争(特に征韓論)に敗れた土佐・板垣らは下野しました。彼らは最初は武力革命を考えていましたが、西南戦争後は武力革命路線から別の路線へと進化しました。 この武力以外の路線が自由民権運動です。 この運動が、税に異論がある人や色々な勢力を巻き込んで、最終的に帝国議会の成立に至りました。 > 今の日本でそうした動きがあまりない、政治宗教活動は他行ってやってくださいという風潮が生まれているのはなぜでしょうか? 質問者氏がそういう扱いを受けるなら、それはTPOを弁えていないからでしょう。