- ベストアンサー
学び方と教え方の違いは?
研修やセミナーなどで、話を聞いているような場合 「この先生は教え方が上手だな」と思う先生の話はその場で聞いていても 楽しいですし、理解もできるのですが、 よくあるのが、その場ではまったく理解できず、もらった資料を後日みなおしたら 「あれ?たったこれだけの(簡単な)ことだったの?」ということがあります。 やはり人に教えるというのは、 自分が学んで知っている、理解している、技術を持っているということとは、 別の能力(スキル)が必要なものなのでしょうか? 自分が学ぶのと、人に教えるので必要な能力(理解力、説得力、表現力等なんでも) の違いは何でしょうか?どちらが難しいものなのでしょうか? 私が聞いていてわからなかった研修の先生方は その技術面の分野ではすごく物知りで活躍もされているような方なのですが、 その方がされる説明会は、あまりわからなかったのです。 ご経験やご意見があれば教えてください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
野球(に限りませんが)などでよく言われている言葉に、 名選手かならずしも、名監督にあらず・・と言うのがあります。 自分が理解した・出来る事と、それを人に伝える事は全く別の才能でしょう。 野球の例をとりますと、出来てしまう人がいます。 例えば長嶋さん・・・自分は出来てしまうのですから、他人が何故出来ないのかが理解できません。 有名なお話に、ここへ球がきたなら、ぐわぁっと打つ・・とか、 擬音が多いのだと・・・ 長嶋さんほどの才能の無い人には、理解し難い様です。 一般論ですが、天才とか才能溢るる方は、できない人の心境が分からないので、どの様に説明して良いのを理解するのが難しい様です。 勿論例外もあります。
その他の回答 (2)
- tosa-bash
- ベストアンサー率48% (117/239)
小学校に勤務しています。 基本的に、これまでの回答者様と同意見です。 >自分が学ぶのと、人に教えるので必要な能力(理解力、説得力、表現力等なんでも) の違いは何でしょうか? 水道の蛇口から自分で容器に水を受けるのと、自分の容器から他人の容器に水を移すような違いでしょうか…。 「直観でわかる数学」の著者の畑村洋太郎さんは、「わかる技術」という本の最初に「わかるとはテンプレート(型紙)の一致」と述べられています。「要素の一致」「構造の一致」「新たなテンプレートの構築」等について書かれていますが、小学校現場にいるものとして、本当に納得することばかりでした。 教える側は「自分がどのように理解してきたか・どのようにできるようになってきたか」の道筋のみで教えてはいけません。相手の既習の知識や生活経験などの「容器」・「型紙」を考え、それに入りうる内容を基軸にしながら、「新たな型紙」ができるよう仕組んでいかなければいけないということでしょうね。それが子どもたちに「なるほど!」と納得してもらえる授業の基本ですから…。 子どもたちの前に立っている者として、本当に難しさを感じていることなのですが…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の容器から他人の容器に水を移すにも 方法を間違えてしまったら、本当に伝えたいことが、 たくさんこぼれてしまいますよね。 教育者の方々は大変なお役目を担っているとしみじみ思います。
- higekuman
- ベストアンサー率19% (195/979)
教わる人のレベルまで自分を落とせる、解らない人の気持ちを理解できる、そういう能力も必要なんでしょうね。 自分が解ることは、他の人も解って当然、という基本スタンスでは、解りやすく教えることは難しいでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに教わってきた方はご自身が優秀なだけに、 全くわからない人の状態が理解できなかったのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>有名なお話に、ここへ球がきたなら、ぐわぁっと打つ・・とか、 >>擬音が多いのだと・・・ わからないものの立場からしたら、 「ようはどういうことなのですか???」 になってしまいますよね。