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突出

例えば漢字を理解できる子がいたとして、周りがひらがなで会話している子ばかりだったとします。 その場合漢字を理解できる子の良さは、殺されてしまうと思います。 能力が上がった場合、周りの人も高いレベルの人に囲まれることになるようになっているのがこの世界ですが、あまりにもとびぬけて優れた場合、能力をうまく発揮できなくなると思います。 少数派になるため。 多数いてこそ、多様性や活躍の場、理解できる人が増える。実際の活動も力を持つ。ということです。 実際出会った人は、レベルが高いのに、その能力を持て余している人達ばかりでした。 世を嘆いているようでもありました。 自分はまだ恵まれているほうだと思うのですが、周りが漢字を理解できるようにすることが良い結果を表すことになると思いますか?

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回答No.1

趣味の世界であれば、自分のレベルに合った人たちと接するということは、とても一般的ですよね。 たとえば、将棋や囲碁でも、自分の実力が高くなれば、そのレベルに合った人たちと楽しむようになり、自分の実力に合わせて、ステージも上へと上って行きます。 スポーツでも、自分のレベルが向上すれば、それだけ強い相手のいる大会へと進んで行きます。 しかし、これが、一般の社会生活になりますと、なかなか思い通りには行きません。 社会生活では、協調性が重要視されるため、「周りに自分を合わせる」ということが基本になるからです。 突出した能力を持っていて、それを生かしたいのであれば、自ら、そうした場を探して、自分のほうが生活の場を移すしかないと思います。 ただ、ひとつだけ言わせていただくと、本当に素晴らしい能力を持った人のところには、同様のレベルの人たちが集まって来る、ということもあります。 レベルの低い人たちに囲まれているのは、その人の能力が、その程度でしかない、という見方もできると思います。

hosiboshi
質問者

お礼

そうですね。 漢字を全て覚えたとしても、必ず役に立つとは思えません。 またそういう人がいて、幸せに暮らしているというイメージに当てはまりません。 それよりも世渡りのほうが難しく、うまくいかないまでも突出していないほうが幸せに暮らせるような気がします。 突出した物を生かすために、人生の色々が犠牲になるのかもしれません。そんな気がしました。

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その他の回答 (5)

回答No.6

環境がよくなかったのでしょう。 そして、本人が何もしなかったのも原因と言えるでしょう。 能力が高いと自負しているのなら起業するなり、 何かしらの方法を用いてアピールする方法があったはずです。 しかし、それをせずに世を嘆いているのであれば、 元々その程度だった、ということでしょう。 例えそれが小学生だったとしても、起業はどうかとして、 何かしらの方法を思いついたはずです。 しなかった、も、できなかった、も、結果論ですから 過ぎてしまえば何とでも言えます。

hosiboshi
質問者

お礼

所詮変わった能力、といったところですね。 しかし大変勿体無いと感じました。

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  • acuna
  • ベストアンサー率14% (319/2259)
回答No.5

時には自然に、時には意識して、自分の能力に見合った場所を見つけ出すのも、能力の内です。 仮に、突出したレベルの人が2%だとすると、日本には、200万人。5%なら500万人も存在するわけです。 10万人の地方都市でも、2,000人いる計算ですから、結構な数存在しているわけです。

hosiboshi
質問者

お礼

運というか、 そういう人も居ますね。 ありがとうございました。 確かに同類が依っているように感じました。

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回答No.4

「突出したすぐれた能力」とはなにか。そもそも、能力とはなにか。 たとえばなしをします。 ひらがなしかない国にひとりだけ漢字を理解できる子がいても、それは社会に必要な能力としてはみなされず、変わった力をもつ子、どまりです。 しかし、ひらがなの国から漢字の国にみんなで旅行することになったときに、漢字を読める子は「すごい」みんなに頼りにされ、ひらがなしか読めない子たちの一部には頑張って漢字を理解しようとする子もでてくるでしょう。 ある個性やスキルや性質が「能力」とみなされることがあるのは、そこに大なり小なり社会のニーズが発生するからです。 その能力を持たないまでも、それに憧れてたり、利用したり、助けて欲しがる人が周囲に集まってきます。 結果的に、その能力のある人の周りには様々な人が集まり、その派生で同様の能力を持った仲間が集まります(情報交換やチームワークのため)。そこまでの人脈が発展するまでには、一朝一夕ではない場合もあるでしょうが。 一方で、社会のニーズが発生しない何らかの個性やスキルや性質は、どれだけそれに長けていた場合でも、なかなか能力とは呼ばれません。 その他大勢にとって必要がないから、それらを持つ人々のところに集まっていく必要がないからです。 ある能力があって、それがイコール「良さ」「価値」となるには、もう一段階のハードルがあるということですね。 質問者さまの具体的ケースは判りませんが、まずはその能力が周囲(=社会)にとってどのような位置づけのものなのかを分析されるところからスタートかなと思います。

hosiboshi
質問者

お礼

天才と呼べる能力があっても、それを受け入れ、活用する器が本人にない場合、本人はとても不幸だと感じると想像できます。 努力して得た場合は、その努力が礎となり、支えてくれるものと思います。 しかし最初からあった場合、器を作ることに努力を求められますが(社会にどう生かし、どう活用し、どう適応していくか考えること)、それを怠った場合、不幸の種になると思います。 天才という人種はまた難しいものだと思います。 本人が生かすのも、周りが彼らを活かすのも、どちらも大変難しいことだと思います。 まあ自然の成り行きに任せるしかないですね。

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  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (959/8938)
回答No.3

何がどの程度かはわかりませんが、自分だけが一歩先を行っていると周りの多数派の人には理解も支持もしてもらえないって事ですよね。 >周りが漢字を理解できるようにすることが良い結果を表すことになると思いますか? お互いに理解をしようと歩み寄るのならわかりますが、相手だけに合わせる事を望むのはやはりちょっと放漫かなぁ? 人に期待するのではなく、同じレベルの人に出会うためには自分も動かないと・・ もしその中でやっていくのであれば、ある程度は自分も多数派に合わせる事が必要になると思います。 同じレベルの者同士の方が居心地はいいのかもしれませんが、実際はそうやってバランスを取っていくしかないんじゃないですか?

hosiboshi
質問者

お礼

バランスをとっていくしかないですね。 ありがとうございました。

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  • lalulalun
  • ベストアンサー率21% (164/772)
回答No.2

>周りが漢字を理解できるようにすることが良い結果を表すことになると思いますか? 思いません。 質問者様のような考え方の人が、 突出した人間が多数いる場所を求めて どこかへ行けば良いと思います。 >あまりにもとびぬけて優れた場合、能力をうまく発揮できなくなると思います。 >実際出会った人は、レベルが高いのに、その能力を持て余している人達ばかりでした。世を嘆いているようでもありました。 自分以外はみんな馬鹿で、時代が、周りが、 自分に付いて来れないって嘆いているクチですか? 何かに於いて能力があるのかもしれませんが、 コミュニケーションスキルが低いのは困りものです。 プラマイゼロでただの人なのに、特別意識が捨てられない んですね…。 自分のためだけに周りを変えようとする 傲慢さが、どれだけ危険か。 漢字の前に理解されてはいかが?

hosiboshi
質問者

お礼

そうですね。 確かに賢すぎるほど幸せになれない場合もあると思います。 よくみれば、確かにプラマイゼロで、皆バランスが取れているようにも見えます。 回答ありがとうございました。

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