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万世一系を否定されて起こる奴ちょっと来いっ!
いつも歴史カテ楽しく拝見させてもらってます。 よろしくおねがいします。 私は高校2年生です。 私はクラスメイトと天皇家について話をしていたのですが、そこで彼は万世一系は嘘だ、そもそも日本書紀の記述はデタラメだと言い出したのです。 なんでだよと問質した所、彼は「日本書紀を編纂した舎人親王は自分の親の歳も解らないのに50年も前の事なんて解る分けない500年前なんて持っての他だ」「そんなボケたデタラメの奴が編纂したんだからデタラメに決まってる」「あれは天武天皇持統天皇の系統を正当化付ける為にでっちあげられた書物だ」「そもそも神なんているわけない今のご時世になにをボケた事を」と言い張るのです。 彼の言う事も一理あるのかな?とちょっと押されてしぶしぶ納得しましたが。私はある程度までは万世一系は正しいと思っているのでちょっと悔しいです。 実際の所どうなんでしょうか? もし彼の言っている事が正しいもしくは間違ってるなどがあれば根拠も一緒に教えてください。
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- outerlimit
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記紀を 「でたらめ」である と したいようですが 不正確な箇所はあっても、でたらめではありません 質問者の考えに立てば 今のTV・新聞・週刊誌全て「でたらめ」です (質問者が読むことができる 過去の資料を含む全ての資料もです) 特に 某学会の日刊紙など その最たるものです 100%虚偽・嘘はあっても 100%真実などはありえません (不正確な記載がいくつかあるからと言って、全てを否定するのは、ある意図に誘導しようとしているだけです、 自分の主張に都合の良い部分(自分の主張を補完し、反対の主張を否定する)だけを強調し、都合の悪い部分を黙殺するのは、学問ではありません、政治勢力のプロパガンダです) 記紀は それなりの神話と歴史の書物です 万世一系は その定義によって意味が異なります 質問者も 万世一系の子孫です(そうでなければ生まれてきません) その先祖を、客観的にどこまで辿れるかです 天皇家は 少なくとも1500年前までの祖先を辿れ、その祖先の名前・業績も記録されています そして 以降 歴史の表舞台に存在し続け、存在が公文書はじめ各種資料に記録されています
- opechorse
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まず古代の歴史書物は、政変が起こった際に 勝利した勢力が旧勢力を陥れるために書き直す もしくは勝利した勢力が政治の正当性を保つために創作したものです 日本においては大化の改新以降、制度としての天皇制は 保たれていたので(政治実験は摂関政治・幕府にあったとしても) それ以降の正当性は疑う余地が少ないですが 古事記・日本書紀のレベルでは、書き直しているものが多いと思います
お礼
回答ありがとうございました。 >勝利した勢力が政治の正当性を保つために創作 とありますが、これは私も理解できますが、ただこれだけを述べられると江戸時代以前も怪しいという事になってしまいますよね。 古事記・日本書紀は後世に改変された物ですか。なるほどです。
- moritan2
- ベストアンサー率25% (168/670)
まず万世一系をどう考えるのかが問題ですが、万世一系から受けるイメージは親子で相続を繰り返すことだと思います。そうなるともう明らかに万世一系ではありませんよね。もう少し規則を緩めて初代のY染色体を受け継いでいるのが万世一系であるということにすれば、26代継体天皇からは先は一応万世一系です。しかし継体天皇はそれ以前の25代の天皇とはつながりがはっきりしていません。とはいえそれでも継体天皇を初代と考えても1500年続いており、世界最古の現存の王家であることは間違いありません。
お礼
回答ありがとうございました。 一系の捉え方の違いによるものなんですね。 確かに継体天皇は私も怪しいと思っています。 日本書紀がデタラメだという事に一言も触れていませんがどういう意見をお持ちでしょうか?
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
天皇家が、万世一系であるというのは、明治初期に作られた幻想にすぎません。 万世一系であるとすると、南北朝時代をどう解釈すればよいのでしょうか? 現在の天皇家は、北朝系ですが、代は、南朝を正統として数えています。 この時期は、一系ではなく、二系でした。 また、称徳天皇から光仁天皇ほ経て桓武天皇への継承に関しても、日本以外の国では、傍系への相続であるとみなされ、一系とはされません。 また、後桃園天皇から光格天皇への継承も、世界一般では、傍系への相続とみなされるでしょう。 その他、弘文天皇から天武天皇への継承も、一系とはいえません。 さらに、仲恭天皇から後堀河天皇への皇位相続も、万世一系の原則からかけ離れています。 また、後堀河天皇の子四条天皇から後嵯峨天皇への皇位継承も、万世一系とはいえない面があります。 (但し後嵯峨天皇は、土御門天皇の子ですから、後嵯峨天皇自身の継承は、万世一系の原則に従っています。 ここでは、後堀河天皇、四条天皇の皇位継承が問題なのです。 これは、鎌倉幕府が、幕府に反乱を起こした後鳥羽天皇(当時は上皇)の子孫を天皇にしたくなかったために行ったためです。 これらは、記紀が書かれた後の出来事で、全て史実とみなしてかまわない事です。 まして記紀の時代においても、仲哀天皇から応神天皇への継承、武列天皇から継体天皇への継承などは、万世一系の点からは、問題が多すぎます。 さらに継体天皇から欽明天皇の間の安閑天皇、宣化天皇の位置づけもあいまいであり、並立して天皇になっていた可能性も指摘されています。 神話時代だけでなく、歴史が明確になっている時代においても、天皇の継承が万世一系とは言えない事は明白です。 もしも日本の天皇家を「一系である」とするならば、フランスのバロア家やブルボン家も、カペー家からの一系の家系である事になり、バロア朝とかブルボン朝などという言葉は、ありえない事になります。
お礼
回答ありがとうございました。 なるほど一系という意味の捉え方による違いなんですね。万世一系の件は理解できました。 日本書紀がデタラメだという事について一言も触れていませんがどうでしょうか?
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お礼
私はデタラメなんて言った覚えはありませんよ?