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敬語
この間,「敬語回避のストラテジーについて──主として外国人場面の場合」 (J・V・ネウストプニー『日本語学』 1983・1 pp62-67 明治書院)という論文を読みましたが,ちょっと分からないところがあります。 ……高い敬語を要求する動詞から低い敬語のある動詞へ切り替える場合を入れていいかもしれない。(「お子さんは何人おありですか」→「お子さんは何人いらっしゃいますか」) 即ち,「おありですか」は「いらっしゃいますか」より敬語程度がもっと高いということですね。 皆さんに教えていただきたいと思います。 どうぞ宜しくお願いします。
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「敬語回避のストラテジーについて」を読んでみました。 何らかに事情で、敬語を回避する場合、どんな方策がとられるか ということを論じたもののようです。 ストラテジー2の、「多少意味が変わっても、敬語的なチョイスを必要としない述部を使う」の延長線上に、「高い敬語を要求する動詞から低い敬語のある動詞への切りかえ」が出てくるのですが、 高い敬語を要求する動詞 低い敬語のある動詞 というのが具体的にどのような動詞をさすのかはっきりしません。 ストラテジー3に、「敬語は使うが、同時に敬意のレベルを下げる表現を使うことがある」と続くわけですから、さきの「高い敬語を要求する動詞」「低い敬語のある動詞」というのは、敬意の高い低いには関係なさそうにも思えます。 「敬語的なチョイス」をキーワードにしますと、例えば、 「ある」には、「あります」「あられます」(?)「ございます」といったさまざまな敬語表現があるわけですから、「敬語的なチョイス」の幅が広いと考えられます。 一方、「いる」には、「いらっしゃいます」しかない(?)でしょうから、「敬語的なチョイス」の幅は狭いと考えられそうです。 このように考えますと、 「高い敬語を要求する動詞」というのは、「多くの敬語表現をもち、選択の幅の広いもの」、 「低い敬語のある動詞」というのは、「少数の敬語表現しかもっていない動詞で、選択の幅の狭いもの」、 ということなのかもしれません。 挙げられている例文がどうもピンとこないので、なんだかよく分からないのですが、私はこんなふうに理解しました。納得はしていませんが。 すでに一週間経っていますから、もう解決済みかもしれません。逆にお教えいただきたいと思っております。
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敬語は言葉だけの問題ではなく、その背後にある「上下関係」の感覚です。その感覚がないところに敬語はない、と私は思います。 古典的にいえば、最上級敬語は次のふたつです。「お○○になる」「○○なさる」 もともと「お○○になる」は「○○される」(いらっしゃるは「○○いされる(いておられる)」の音便)よりも上級敬語です。 「おありですか」はそういう意味ではちょっと気持ち悪い(違和感のある)用法なので、もう判断の基準の外にあるのですが、系列としては「いらっしゃる」より上位の敬語ではないかと思います。(根拠なし)
お礼
ありがとうございました。
- kawakawa
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その本は読んでいませんが,ご質問の意図というのは,「おありですか」は「いらっしゃいますか」より敬語程度がもっと高いのかどうかということなんですよネ? 現代の日常生活において,「おありですか」という表現は一般的ではないでしょう。 そして,年長者が若年者に対して,もっと言えば高齢者が若者に対して「おありかな?」といった表現をすることがある程度だと思います。 ということは自分の方が高い立場にある人が使うのであり,敬語として上位にあるようには思えません。 親しくしている外国の方から聞いたことを少し。 「ごめんなさい」は「すみません」「申し訳ありません」よりも上位に位置するので,公式の場では,或いは,自分よりも上位の者に対しては「ごめんなさい」という表現で謝罪するように習った。 というのです。 これは少なくとも3人の日本在住の外国の方から聞いています。それぞれが別の場所で日本語教育を受けてきたのにも関わらず。 ですから,ご質問の例についても,著者が習った時点ではそのように教えられていたということかもしれませんネ。 以上kawakawaでした
お礼
いろいろ説明してくださって,ありがとうございました。
お礼
論文の断片を引用しながら,詳しく説明してくださいました。本当にありがとうございました。
補足
確かに選択の幅が広いか狭いかは一種の理解し方ですね。 実はこの問題について私の担当先生にも聞きました。先生は日本人多数に尋ねて、どちらが待遇レベルが高いかを確認すると思っています。先生の内省によると,「いらっしゃいますか」のほうが待遇レベルが高いとのことです。