>大晦日と節分は一緒だったんでしょうか?
現在ある万年歴(旧暦)では、年の変わり目は節分と立春のさかいめにあります。
昔は、そうだったんでしょうか?
だとしたら、節分が大晦日だったことになるんでしょうか?
「福は内」豆まきと年越し蕎麦を同一日にしたんでしょうか?
2007、2008、2009年の旧暦の節分・立春・大晦日・元旦を新暦の日にちで表すと、
節分=2/3・2/3・2/3
立春=2/4・2/4・2/4
大晦日=2/17・2/6・1/25
元旦=2/18・2/7・1/26
です。
節分、立春がほとんど変化しないのに対して、大晦日・元旦は大幅に変化しています。
これは、大晦日・元旦が太陰太陽暦に基づくとはいえ、月の満ち欠けを基本としているからです。太陰太陽暦では一月の日数を29日(小の月)または30日(大の月)として、小と大を交互に繰り返し、1年を12ヶ月とすると1年が354日前後となり、実際に季節が循環する日数である約365日とずれることによります。このずれを補正するために閏月を作り、3年に一回程度に1年を13ヶ月にすることがありますが、どちらにしろ太陰太陽暦では季節と日付が変動します。
そこで、見かけ上太陽が1年で天球上を一回りする(実際は地球が太陽の周りを回っているわけですが)黄道を、2至2分(冬至・夏至と春分・秋分)と立春・立夏・立秋・立冬をあわせた8節をもとに24等分(円周を巡るので360度÷24で15度)した24の分点を設けて、太陽がその分点を通過したときの時候に名前をつけたものが立春などの24節気です。なお、節分は季節の変わり目を表し、立春・立夏・立秋・立冬の前日にあったのですが、立春の前日しか言われなくなったのです。ですから、24節気は太陽暦に近く、現在の暦上の日付とあまり変化しないのです。(1日程のずれです)
ただし、24節気には節と気(中とも言う)の別があり、24節気中に交互に割り振られています。立春は正月節であり、雨水は正月中のようにです。この内、○○中を含む月の名は、その○○となります。つまり、正月中である雨水を含む月は正月になるのです。そのため旧暦の元旦は現在の暦上では、おおよそ1月20日から2月20日の間を動くことになります。
太陰太陽暦では月の満ち欠けが基本ですから、大晦日の次の日である元旦は旧1月1日で朔日、つまり新月です。これは、現在の暦上では、おおよそ1月20日から2月20日の間を動くことになります。これに対して節分の次の日の立春は24節気で、太陽の見かけ上の運行がもとなので、現在の暦上では、おおよそ2月4日頃ということになります。ですから大晦日と節分は時には一致することもあるでしょうが、毎年一緒だったわけではないのです。なお、調べたところでは、次の旧暦の大晦日と節分が一致する新暦の月日は、2038年2月3日です。
参考に暦関係のURLをコピ-しておきました。
以上長々と書いてしまいましたが、参考まで。
お礼
とても分かりやすい解説をありがとうございます。 知らないことばかりで大変勉強になりました。