古墳の形と大きさ
図説日本史通覧に「古墳の形と規模」について、「権威」と「権力」の大きさと関係づけて、下図のような資料がありました。図の解説には、「古墳の形と規模は、各豪族のヤマト政権内での政治的地位を反映しているとする見解もある。」とあります。
教えていただきたいのは3点です。
1 図にある古墳時代の「権威」と「権力」はどのような尺度で決められていたのでしょうか???
2 「古墳の形と規模は、各豪族のヤマト政権内での政治的地位を反映しているとする見解もある。」という見解について、ご意見をお願いいたします。ヤマト政権に、「被葬者に応じて古墳の形と規模を指示するというか、まさに古墳に政治的地位を反映させるほどの実力があったのか???」、それとも「古墳の形と規模は被葬者の実力に応じて、被葬者自身で勝手に決めることができたのか???」という疑問です。
3 2とも関連するのですが、古墳は、関東以西の地域の豪族たちは、古墳を築造する土木技術を独自に持っていたと理解してもよいのでしょうか???それとも、ヤマト政権の持っていた技術が、ヤマト政権の「権威」と「権力」に基づいて「共有された」と理解すべきなのでしょうか???