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古墳の形と大きさ

図説日本史通覧に「古墳の形と規模」について、「権威」と「権力」の大きさと関係づけて、下図のような資料がありました。図の解説には、「古墳の形と規模は、各豪族のヤマト政権内での政治的地位を反映しているとする見解もある。」とあります。 教えていただきたいのは3点です。 1  図にある古墳時代の「権威」と「権力」はどのような尺度で決められていたのでしょうか??? 2  「古墳の形と規模は、各豪族のヤマト政権内での政治的地位を反映しているとする見解もある。」という見解について、ご意見をお願いいたします。ヤマト政権に、「被葬者に応じて古墳の形と規模を指示するというか、まさに古墳に政治的地位を反映させるほどの実力があったのか???」、それとも「古墳の形と規模は被葬者の実力に応じて、被葬者自身で勝手に決めることができたのか???」という疑問です。 3  2とも関連するのですが、古墳は、関東以西の地域の豪族たちは、古墳を築造する土木技術を独自に持っていたと理解してもよいのでしょうか???それとも、ヤマト政権の持っていた技術が、ヤマト政権の「権威」と「権力」に基づいて「共有された」と理解すべきなのでしょうか???

みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2300/5115)
回答No.2

>古墳時代の「権威」と「権力」はどのような尺度で決められていたのでしょうか?? 誰にも、分かりません。 権力は、「他人を力で強制的に従わせる力」です。 権威は、「自らの意思で従おうとする力」です。 古代の事は、記録が残っていないので誰にも分かりません。 日本書紀・古事記も、天皇家・藤原家に都合に良い様に書かれているに過ぎませんからね。 >古墳の形と規模は、各豪族のヤマト政権内での政治的地位を反映しているとする見解もある。 文科省的な考えでは、ヤマト政権が他国を支配する時に「前方後円墳が伝播した」と考えていますよね。 曰く、前方後円墳が無い地域はヤマト政権の力が及んでいない。 が、当時の記録(神社仏閣の記録)では天皇家よりも旧い豪族が国として支配していました。 出雲では、四隅突出古墳。瀬戸内沿岸では、双方中円墳などなど。 今では、大王家(天皇家)よりも旧い王家が国を支配していた事が明らかになっています。 ※天武天皇までは、王のなかの王として大王と称していました。 ※それまで日本は、各地の王の連合体だったのです。 まぁ、見解だけで実際の事は分かりません。 入試問題では、見解が正解になりますがね。 逆説的に考えると、前方後円墳よりも多い円墳・方墳・双方中円墳・四隅突出墳が多い地域は「大和政権による侵略」が証明できるのです。 文科省の教科書には「ヤマト政権の勢力が広がった」と書いています。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 お二人のご回答から、私がボーと考えたこと。 「日本ではまだ文字で記録することがありませんでしたから。」、「日本書紀・古事記も、天皇家・藤原家に都合に良い様に書かれているに過ぎませんからね。」……今の社会は、「文字」であふれているというよりも、消化しきれませんし、「文字」以外の情報だっておぼれてしまいそうなくらい膨大です。でも文字の少ない、古代においてさえ、古事記・日本書紀に限らず、魏志倭人伝だとか漢書地理志だとか、日本に関する記述があるようですが、これさえも、「全く信用するに値しない」というような記述も読んだ記憶があります。「人類にとって」とか「歴史において」なんて大げさなことは分かりませんが、ふと、「私にとって」の文字ってなんだろう???、文字の意義ってなんだろう???と。 「証明されたわけではないと思います。」、「誰にも、分かりません。」……古代史に興味があるわけではないのですが、長続きしないものですから、何を読み始めても、古代から、せいぜい中世の初めくらいまでで終わってしまい、その先に進めません。(o´_`o)「絶対に挫折しない日本史」もタイトルに魅かれて買ってしまいましたが、悔しいけど、結局、挫折してしまいました。本屋には、古代史関係の本も決して少なくありません。もちろん出鱈目なことを書いているわけではないのでしょうが、「古代を考える」って、知識ばかりでなくて、想像力と創造力も必要なのかなっと。また、そういうものが含まれていることを前提に読まないといけないね、と。……でも、ふと、「歴史を学ぶ」って、時代に関係なく、そもそも、想像力と創造力が必要なのかも、とか。もし、そうだとしたら、私には3っとも欠けているので。┐(´~`;)┌ 古墳は北は北海道まで全国津々浦々に作られていますし、……そうですか(lll ̄□ ̄) もう10年以上昔のことですが、ばあさんと二人で、奈良の方を散策しながら、たしか、池のほとりに立っている看板を見て、「これ、古墳なんだって」という調子で、~~なんという古墳だったのかも覚えておらず、そのころはまったく興味も、知識もなくて。もったいないことしたなぁ。北海道にも古墳があるのですか。調べてみます。 権力は、「他人を力で強制的に従わせる力」です。 権威は、「自らの意思で従おうとする力」です。……直感的には、「なるほど、このように考えればよいのか」と目がさめるような印象を持ちました。ありがとうございます。でも、考えているうちに、「権力と権威」って1、2行で表現できても、私のような素人には、それだけで理解できるほど、浅いものでもないというか、この1、2行の中には、「喜怒哀楽」というような言葉では表現しきれないような人間の歴史が積み重なっているのだろうなぁ???と。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.1

1 「有力な説のひとつ」であって、証明されたわけではないと思います。なにせ当時は日本ではまだ文字で記録することがありませんでしたから。 2 おそらく前方後円墳は「ヤマト政権公認マーク」だったと思います。現代なら「®」みたいなものでしょうか。 ヤマト政権の誰かが「前方後円墳を作ってよい」と認められたら、作れたのだと思います。おそらく前方後円墳の設計職人集団がいて、その人たちがヤマト政権から派遣されてきて現地の人々を指導して前方後円墳を作ったのだと思います。 ただしこれも「説」のひとつであり、証明されたわけではありません。 3 古墳は北は北海道まで全国津々浦々に作られていますし、東北地方にも円墳や方墳が残っています。 また岩手県の遠野地方には「続石」と呼ばれる不思議な石があります。これはあの武蔵坊弁慶が持ち上げたという伝説が残っていますが、実際はおそらくは古代の建造物ではないかなと思います。巨石を持ち上げる権力と実力を持った人物がかつてこの地方に存在したのでしょう。 縄文時代にも巨大な建造物が作られたりしていますから、建築土木技術は各地に存在していたとは思います。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 お二人のご回答から、私がボーと考えたこと。 「日本ではまだ文字で記録することがありませんでしたから。」、「日本書紀・古事記も、天皇家・藤原家に都合に良い様に書かれているに過ぎませんからね。」……今の社会は、「文字」であふれているというよりも、消化しきれませんし、「文字」以外の情報だっておぼれてしまいそうなくらい膨大です。でも文字の少ない、古代においてさえ、古事記・日本書紀に限らず、魏志倭人伝だとか漢書地理志だとか、日本に関する記述があるようですが、これさえも、「全く信用するに値しない」というような記述も読んだ記憶があります。「人類にとって」とか「歴史において」なんて大げさなことは分かりませんが、ふと、「私にとって」の文字ってなんだろう???、文字の意義ってなんだろう???と。 「証明されたわけではないと思います。」、「誰にも、分かりません。」……古代史に興味があるわけではないのですが、長続きしないものですから、何を読み始めても、古代から、せいぜい中世の初めくらいまでで終わってしまい、その先に進めません。(o´_`o)「絶対に挫折しない日本史」もタイトルに魅かれて買ってしまいましたが、悔しいけど、結局、挫折してしまいました。本屋には、古代史関係の本も決して少なくありません。もちろん出鱈目なことを書いているわけではないのでしょうが、「古代を考える」って、知識ばかりでなくて、想像力と創造力も必要なのかなっと。また、そういうものが含まれていることを前提に読まないといけないね、と。……でも、ふと、「歴史を学ぶ」って、時代に関係なく、そもそも、想像力と創造力が必要なのかも、とか。もし、そうだとしたら、私には3っとも欠けているので。┐(´~`;)┌ 古墳は北は北海道まで全国津々浦々に作られていますし、……そうですか(lll ̄□ ̄) もう10年以上昔のことですが、ばあさんと二人で、奈良の方を散策しながら、たしか、池のほとりに立っている看板を見て、「これ、古墳なんだって」という調子で、~~なんという古墳だったのかも覚えておらず、そのころはまったく興味も、知識もなくて。もったいないことしたなぁ。北海道にも古墳があるのですか。調べてみます。 権力は、「他人を力で強制的に従わせる力」です。 権威は、「自らの意思で従おうとする力」です。……直感的には、「なるほど、このように考えればよいのか」と目がさめるような印象を持ちました。ありがとうございます。でも、考えているうちに、「権力と権威」って1、2行で表現できても、私のような素人には、それだけで理解できるほど、浅いものでもないというか、この1、2行の中には、「喜怒哀楽」というような言葉では表現しきれないような人間の歴史が積み重なっているのだろうなぁ???と。

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