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仏教のお経や、神道の祝詞はなぜ分かりにくいのか。
神道の祝詞は、上代日本語がもとになっていると思いますが、当時の発音に合わせるならは、ぱふぁぱふぇぱ(適当)みたいな発音で読むべきです。 仏教のお経も意味がわかりません。般若心経は、漢文のように読むなら理解できないことはありませんが、意味を理解して唱えているのかすら疑問です。まして聞いている人は意味を理解していないでしょう。 それなら現代語訳で唱えたほうが、分かりやすくて良いと思うのですが、そういう考え方のお寺や神社はないのでしょうか。
みんなの回答
- ichikawa2017
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>当時の発音に合わせるならは、ぱふぁぱふぇぱ(適当)みたいな発音で読むべきです。 「べき」と断定されておられますが論拠は何でしょうか。 別段現代の発音であっても差し支えはないのではないのでしょうか。 神官が唱える祝詞も種々様々です。 習慣として事前に定められているいわば決まり文句のようなものもあれば、その時々で神官が予め作文しているものもありますので古代の発音である必要性はないかと思います。 >仏教のお経も意味がわかりません。 お経の内容を学ばれましたでしょうか。 何の知識もなく聞いたのではお経であれ学術論文の発表であれ聞いただけでは理解できないのではありませんでしょうか。 >意味を理解して唱えているのかすら疑問です 読経している僧侶は理解しています。 僧侶になるにはそれ相応の知識を習得する必用があります。 >まして聞いている人は意味を理解していないでしょう。 熱心な信者さんでも無い限りはやむを得ないでしょう。 >それなら現代語訳で唱えたほうが、分かりやすくて良いと思うのですが、そういう考え方のお寺や神社はないのでしょうか。 曹洞宗では現代語で唱えるお経もあります。 参考 葬儀・お葬式で読まれるお経の種類 | 葬儀ナビ http://sogi-navi.com/tips/view_1819/ 抜粋 曹洞宗の葬儀は、どちらかというと、和語からなるお経の種類を中心に読まれることが多いことも特徴のひとつです。 和語のお経を読む目的は、遺族たちにより分かりやすく、世の無常を説くためといわれています。 蛇足 お経を聞いただけでは分かり難いのは日常的には漢音と言われる発音で使われている単語も呉音で発音しているためです。 さらに古代インド語であるサンスクリット語を漢訳しないで漢字の音だけを借用して表記した部分があることも一般人が理解できない原因になっています。 般若心経の中にある「摩訶般若波羅蜜多」「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」などがこれに相当します。 御質問で「漢文のように読むなら理解できないことはありませんが、」とされておられますが理解できますでしょうか。 漢訳されたものに基づいて理解した結果本来のサンスクリット語で表された意味とは違う解釈がされてしまっていることもあるのが現実です。 祝詞を古代の発音で唱えるべきだということであればそれこそお経はサンスクリット語で唱えるべきだということになります。 さらに単語が聞き取れても日常用語とは異なる仏教特有の定義や使い方がされていることも理解を妨げています。 聞いている人に分かり難いままで唱えられているのは唱えるだけで功徳があるという宗教哲学に基づいています。 宗教というものは信じるか信じないかということが最も重要視されますので理屈では理解できないのはやむを得ません。 禅宗などでは不立文字経外別伝として、禅の境地は言葉すなわち理屈では表せない、言葉で言い表していることと教えていることは違うことを理解しろと言っています。 この結果禅僧どうしの会話を側で聞いていても分かり難く禅問答などと言われています。
- Sakura2568
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般若波羅蜜多心経 はんにゃはらみったしんぎょう प्रज्ञापारमिताहृदय、 Prajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤ ウィキより これ、全部同じ物を指している言葉ですね お経はそれが作られた原語に日本語を当てはめているのですから そのまま聞いても分からないと思います。 प्रज्ञापारमिताहृदय、を見て分からないので発音で Prajñā-pāramitā-hṛdayaと聞き取る。しかし発音は表記できないので 般若波羅蜜多心経と表記し後の人は はんにゃはらみったしんぎょうと言葉に出せたのでは? プラジュニャーパーラミター・フリダヤ今ならこちらにするかもしれませんが。 当時は発音記号もありませんので。 もとはサンスクリットという古い言葉です。 インドの言葉です。 インドの言葉を口伝えで伝えるのが当時出来た唯一の方法でしょう。 それを音(はつおん)でつたえるために 音に見合う語(漢字)を当てはめています。 昔の暴走族が落書きに使った当て字をイメージすればわかりやすいかもですね。 すでにある漢字の読みを当てれば誰でも声に出すことができるようになったのだと思います。 詳しくは般若心経の意味を調べて見ては? そうそう、当然お経を唱える人はその言葉を、意味を勉強していますよ。 現代の日本語など移り変わりが早すぎて宗教家はついていけないのでは? 100年後にはいったいどんな日本語かも想像もつきませんからね。 わかっちゃったら勉強しないのも人ですよね。 分からないからこそ研究し、勉強し、自分なりの真理を探すのが宗教家の仕事ですから。
お礼
うちは神道ですが、昔、興味があって般若心経の解説本を買って読んだりしていました。 観自在菩薩とは、ものごとの本質を観察することを得意とする菩提薩埵ということで、音だけではなく、意味も、当時の中国語に翻訳されています。行 深ハンニャハラミッタ 時 など、これも昔の中国語です。 中国語に翻訳したのだから、日本語に翻訳してもいいのではないかと思いました。
- aubzvz
- ベストアンサー率33% (58/171)
お経は文書で見ればある程度の意味は分かりやすいですが読経を聞くとわかり難いのは発音や節回しが伝統に従った独特なものだからです。 読経するとわかり難くなるのは現代のロックやポップスでも日本語なら歌詞カードを見ればはっきりわかるのに歌ってるのを聞くと何を言ってるのかわからないものが少なからずあるのと同じようなことです。 お経や祝詞は原文にこそ意味があるので現代語訳することは邪道と考えられてるのでしょう。
お礼
そうですね。宮司さんによって読み方はかなり違いますが、我が家で依頼している宮司さんは、結構良い声をしています。カラオケもうまいです。 祝詞は万葉仮名で書かれます。我が家も経験しましたが、神葬祭(葬儀)や年祭(法事)では、宮司さんが故人のエピソードを祝詞に入れて、祝詞を作成されます。これも万葉仮名で書かれます。 万葉仮名が使われていた時代の日本語の発音を再現した動画です。画面を見ずに意味が分かるかどうか、試してみてください。 https://www.youtube.com/watch?v=5tV2av3ENAg&t=45s
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2711/13692)
意味が分からないからなんとなくありがたい教えに聞こえる。意味が分かるようにと現代語訳したら、キリスト教の牧師さんの説話のように説教臭くてありがたくも何とともない。ヒマラヤ奥地のチベット仏教のお寺でチベット語のお経を聞いたときそう思いました。意味がまったく分からないのに体がしびれました。
お礼
意味が分からないからなんとなくありがたい教えに聞こえる。 確かにごもっともですね(笑)
- sirasak
- ベストアンサー率27% (348/1287)
仏教のお経や、神道の祝詞はしゃべっている人も分からないのでは? 外国語で歌っているのと同じことで、意味が分からなくても良いと言う一方的で、考えがなくて、進歩がない人たちであって、習慣で行事が進行できれば良いと考えているから正しい現代日本語でしゃべる人がいないのでは? 現代の人に分かり易い教えで布教する目的を完全に無視しています。 神や仏を信じなくなってきて衰退している宗教に未来はありません。 昔は憲法や法律や常識が普及していなかったので宗教が重要でしたが、今では危害を加えたりするので宗教を完全に廃止するのが正しいと思います。 素直な私見です。
お礼
危害を加える集団は宗教と認められません。
- maiko04
- ベストアンサー率17% (345/1956)
>それなら現代語訳で唱えたほうが、分かりやすくて良いと思う どうしてでしょうか? お経は誰に唱えていますか? 参列した人ならば現代語がいいでしょうが、 お経は仏に唱えているのでは? ならば仏にわかる読み方をしなければ。
お礼
ありがとうございます。 仏様に分かる唱え方をするなら漢訳されたお経ではなく古代インドの言葉で唱える必要があるのでは?
- agehage
- ベストアンサー率22% (2752/12073)
お経に関しては、同じような考えをした人がいまして、浄土真宗の蓮如様などがお経を読みやすくして教えを説いたと思います ※和尚様から聞きかじった話なので真相はご自身でお確かめください
お礼
ありがとうございます。浄土真宗では日本語で唱える場合もありますね。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
わかりにくいのは、それについての、勉強していないから。 算数でも、国語でも、すべてが勉強しなければ、わからないでしょう。
お礼
お経の意味を習う機会はなかなかなさそうですね。
- nannkaiporks
- ベストアンサー率26% (466/1765)
本来古代日本人の言語は、中国から伝来した漢語ですから、お経はそれに則ったものです。 もし変えたなら、いかにも陳腐に聞こえるでしょうね。 一方祝詞の方はかなり現代的な言葉になってますよ。 現代では使わない言葉を使いますが、祝詞の締めの文言として格好がつくのでしょう。 この祝詞も現代的に訳してしまえば、葬礼の儀式としてなんとも頼りないものに聞こえますよ。 何でもかんでも現代訳にすればいいというものではありません。 それらを現代的に噛み砕いて教えるのが説法です。 その説法でも聞いてみたらいかがですか? 意味もわからない外国人でも、お経を聞いて何かを感じ取っています。 日本人なのですから何か感じ取りましょうよ。 それが宗教、精神世界ですよ。
お礼
ありがとうございます。 神道の祝詞に関しては、もともと神仏習合の思想が明治に解体?されてから、新しい国家宗教になってしまったという経緯がありますので、そのあたりは、かなり政治的な影響を受けているとは思います。 もともと日本にはなかった仏教の教義などは、はじめは分かりやすい言葉であったような気がします。経典に記されることで、英語の大母音推移のように固定化されてしまったのではないかと思います。そもそもは分かりやすい言葉であったのではないかと考えています。
- NAYAMINAKUNARE
- ベストアンサー率14% (307/2063)
ええ?すごく分かりやすいですが祝詞何てそのままですよ。~奉り候。と言うだけ 非常に現代的で古文なんて使う神社や、お経なんてございません。
お礼
ありがとうございます。 うちは神道ですので、冠婚葬祭すべて神社に依頼しておりますのでだいたいの祝詞の意味は理解しております。慶弔に関わらず穢れを払う意味で祓詞が唱えられますが、この意味を日本語を学んだだけの人が理解できるとは思えません。 掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す
補足
ちなみに「~奉り候」で終わる祝詞は聞いたことがありませんが、どこの祝詞でしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >「べき」と断定されておられますが論拠は何でしょうか。 >別段現代の発音であっても差し支えはないのではないのでしょうか。 断定ではなく提起です。(私の主張ではないことに注意してください) 現代語なら現代の発音で、昔の言葉を使うのなら昔の発音で唱えるのが適当ではと、問いかけているのです。 「般若波羅蜜多」や「羯諦羯諦」に代表されるサンスクリット語の音写はごく一部で、他は昔の中国語文法で、日本式には「五蘊、皆空なりと照見し一切の苦厄を度し給えり」などと読み下すことも出来ます。 般若心経は複数の人が昔の中国語に翻訳していますが、その中でも「観自在菩薩」は玄奘が考案した訳です。 もし仏教が英語圏を経由して日本に伝わってきたとしたら、日本で唱えるお経は英語版だったのかもしれませんが、それと同じことです。 >祝詞を古代の発音で唱えるべきだということであればそれこそお経はサンスクリット語で唱えるべきだということになります。 その通りです。他の回答者様へのコメントに書いている通りです。(ただし、これは私の主張ではないことに注意してください。) サンスクリット語を使わないのであれば、中国語ではなく日本語訳のお経を使うという考え方のお寺はないのかな?というのが質問です。 これに関しては他の回答者様からすでに回答を頂いています。
補足
↓こういう質問の仕方もあるかもしれません。 「昔の中国の人は、多大な労力をかけて、仏教の経典を母国語に翻訳したのに、なぜ日本ではしないのでしょうか。」