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歴史研究の方法について
歴史学を勉強している者です。 歴史研究の方法が現在に至るまでどのように変化したかを論述する場合には アナール派の事などを中心に書いたらいいのでしょうか? どなたか教えて下さい。よろしくお願いいたします。
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はじめまして。 私も歴史学を勉強しているものです。 そして、「歴史学の歴史」にも強い興味を持っています。 >アナール派の事などを中心に書いたらいいのでしょうか? アナール学派というのは、1929年にフランスのストラスブール大学教授で歴史家のリュシアン・フェーヴルとマルク・ブロックが創刊した歴史学雑誌『社会経済史年報(Annales d'histoire economique et sociale)』に始まります。 当然それ以前よりも「歴史」というのは、記述され続けてきました。 以下に簡単にまとめて見ます。 まず、一番最初に「歴史」を書いたのは、「歴史の父」とも呼ばれるヘロドトスですね。 しかし、彼の記述は「抒情詩的歴史」でした。 その後、ツキティディスなども出てきます。 ヘロドトスよりもツキティディスの方が、現在でいう「歴史」に近い感じはありますが、それでもやはり「詩的な」感じはありましたし「修辞学」を重んじるためにくる誤謬がありました、。 古代ギリシア・ローマでは「時間は円である」という観念が強く、結果「歴史は繰り返す」と考えました。 そして、同じ問題が起こったときに以前の教訓が生きるという観点から「歴史記述」が行われました。 しかし、その材料となるのは「伝聞」が中心でした。 中世になると、キリスト教神学の観点から「歴史」が捉えられていきます。 そして、「歴史」とは「神の摂理を反映した何か」でした。 また、キリスト教では「創生(絶対的な始まり)から最後の審判(絶対的な終わり)へ向かう」という思想から、「時間は直線」というイメージでした。 その影響から「歴史は一度きりである」という「概念」が生まれます。 そうした「観点(歴史観)」から「歴史記述」がなされていきます。 次に登場するのが、ルネサンス文化の歴史記述です。 ルネサンスは別名「人文主義」の時代でもあります。 (中世キリスト教では無視された)古代ギリシア・ローマの文化や思想と、キリスト教のそれとを融合しようという試みでもありました。 その結果、中世の神学的な歴史記述よりも、古典を引用した歴史記述がはやりました。 そして、「人間の社会」に目が向くようになり、「歴史から教訓を引き出す」目的の歴史記述が中心となります。 その次が、啓蒙主義の歴史です。 ここで、「歴史哲学」というのが生まれてきます。 つまり、「歴史を哲学的に捉えよう」という試みです。 そして、「真理は何か、またそれをどのように認識するのか」というのが問題の主題となります。 しかし、一方で「キリスト教の呪縛」からは開放されず、せいぜい「世俗化」だけでした。 次に出てきたのが、「実証主義」の歴史です。 ここが、「現代的な歴史学の原点」ともいえます。 「歴史哲学」に対して、「観念的で無意味」とし、「自然科学の技法・観点=観察」というのをやってこそ、「真実に近づく」と考えました。 特に、ボナフォルト・ランケによって、徹底的に「実証主義」が高められました。 彼は「史料をして語らしめよ」といい、徹底した「史料批判」に絶えられたものだけが「事実を語っている」と考えました。 その考えにより、以前の歴史記述には付きまとっていた「民族主義・国家主義」的な記述(つまり、自分たちを正当化するための歴史)から、ある程度解き放たれました。 その点で、彼は高く評価されています。 しかし、一方で「実証主義」に対する批判も出てくるようになりました。 「歴史」を「自然科学と同一視」したところに、大きな「誤謬」が生じると指摘されたのです。 つまり、歴史とは「主観的」であり、その時代その時代の必要によって「利用される」モノだということです。 そして、実証主義者たちもまた、このことを(無自覚的に)行っていると考えました。 また、これと平行して「社会学」という分野が徐々に形成されていきました。 アナール学派は、この後に生まれたといえます。 つまり、「歴史学」に「社会学の技法・観点・成果」を取り入れたのです。 それまでの歴史学は「国家・民族」の歴史が中心でした。 それを、「経済史」や「哲学史」のように、「社会学的なテーマ」から「歴史を捉えよう」という試みです。 そして現在は、「実証主義」と「アナール学派」を柱として、歴史が研究されています。(特に日本では) と、簡単に述べてみましたが、もちろんこれは表面を撫でた程度です。 しかし、「歴史学の歴史」には「歴史観」という重要な点が隠されていると思います。 「実証的な研究」に入る前には、学ぶべきことだと個人的には思っています。 蛇足ですが、上記は主にヨーロッパについて述べてきました。 これは、やはり「歴史学」というのは「西洋の学問」だからです。 もちろん、中国や日本にも「歴史学的なもの」はありました。 しかし、それは「国家・民族を正当化するための記述」(西洋で言えば古代と中世の間)から脱することなく、西洋の「歴史学」を輸入したと考えられています。 と、まぁ「歴史学の歴史」は膨大でそれを研究対象に選んでもいいくらいです。 しかし、「実証性」を重んじる「歴史学者」には少し冷たい目で見られる分野でもあります。 参考に、私が以前答えたQ&Aも乗せておきます。 参考になりましたら幸いです。 http://okwave.jp/qa3672975.html
お礼
ご丁寧な回答ありがとうございました! とても参考になりました。