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「時間」って存在するんですか?
自分達がいる世界は3次元だといわれますが実際は時間軸にもプラスに移動しています。 かと言って時間を操作できるわけではないので4次元ではないでしょう。 そもそも人間や生き物の老化は酸化によって起こるもので時間とは関係ないとも言えます。 時間とは本当に存在するのでしょうか。あるいは、4次元を構成する要素として縦横高さに付加するのは本当に時間なのでしょうか。
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≪「時間」って存在するんですか?≫という意図された発問は応えられそうで応えられないものなのではないでしょうか? 存在する、存在しないということの意味が、私にはどうも不明確です。≪「時間」って存在するんですか?≫という発題では時間が、机という物体や台風という現象が眼前に存在するということと同じ意味の存在性をお問われているのではないですよね。 何らかの観念としてどうでしょうか?ということでもないですよね。 更にカントさんや認識論のアプリオリな観念や用具としてはどうなんですか?という問いでもないですよね。 ≪自分達がいる世界は3次元だといわれますが実際は時間軸にもプラスに移動しています。≫ このおことばで私が気付いたことは、画いた図形や頭に認識した3次元の世界やその中の物質存在、物現象には時間がなくても、存立しますね。確かに。 まぁ記憶の変化とか、薄れとかはこれは生理のこととすれば。 でも現実の3次元や3次元世界、そしてその中の物質や物象というのは時間がなくては存立しないでしょうね。 つまり現実の3次元ということには時間がもう、既には前提や包含がされているのだとはいえないでしょうか? それを時間を取り出して4次元だと次元を数えてもおかしいことはないのではないですか。 つまり3次元は、頭の中では存在するかもしれないが、実際は4次元世界として存在しているものなのだ。としても何もおかしなことではないし、3次元世界とは分析すれば4次元ともいえる、といっていいと存じますが。万物とその存在とは変化と流転であり、時間があるから変化・流転するわけではない(時間が原因でではなく)。その変化流転にも時間の一定の経過を一定的に認識できる。時間が変化させているわけではなく、存在が変化していくだけのことですよね。 万物の存在とは、当為だと存じますが、当為という次元をみると、存在には力とか、価値とか、理念とか、不変とか、いろんな次元があってのことだと判ってきます。 従って、4次元でwakefulに意識する物世界があり、それ以外の次元の存在世界もあっておかしくないと存じております。 それを宗教や信仰の世界に押しやり、閉じ込め、閉じ込められていてもあまり生産的ではないような気もしますが、まぁ世界やフラクタルな多様に見えて、単純なものですね。
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わたしたち人間は たとえば自分のことを《わたしは》と言って語り始めます。つまりことばによる表現の問題なのですが その限りで 漠然とでも――この体が朽ちるまでは―― わたしという意識があります。 このわたしが ここなる場所からあそこなる場所に行くと 空間を移動したと表現します。もし ここなる場所にいつづけた場合には どう表現するか。時間が経ったと言うはづです。 生きているあいだは この時空間に存在しています。そのとき 時だとか時間だとかという言葉を使って そのあり方を表わすことをします。という問題だと思っていますが どうでしょうか。この四次元を超えた世界を想像すること これは これも 人間にとって自由だと やはり表現の問題として 認識されています。
だから時間はないって・・・あるなら証明してみてよ? 時間が過去から未来へ流れていると思い込んでいるだけだよ・・・ 本当は過去も未来も現在も今ここに存在しているんだよ。
- ohisenai
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以下、独り言(戯言)です。(なんとなーく思ったことを書いてみます) 時間は、「大きな一括りの存在として、私たちを包みながらも、私たちが生を受けて、それを全うするために必要なものであるゆえに必然的に存在せしめられたものとして共にあるモノ」で、その「形」は、実際に見ることはできないけれども、あえて言葉でそれを表現するならば、「年輪のように」あるいは、「放射状に」、幾重にも(無限に近いが無限でもなく)広がっているモノ(存在)であり、それを形作っている「年輪」もしくは「放射状の線」の一つひとつの中に私たちそれぞれの「人生(あるいは空間?時間?)」が含まれているだけのことで、むろん、それらはそれぞれに「流れ」を成してはいるものの「必ずしも過去から未来へのみ一方向に、また、必ずしも同じ速度で流れるもの」ではなく、必要があるために、過去から未来へと流れているように感じているだけのことであり、また、時間の速さについても、「時間はいつも同じ速さで流れているのだ」と私たちが感じているだけで、一分、一秒の「時間」そのものは、その「必要性のある」瞬間瞬間、その場所場所によって、あるいは、その人の人生のその瞬間瞬間で時間の流れる速度は違う(某博士の宇宙論や相対性理論は、それはそれとして)・・にもかかわらず、「全体としては一定である(かのように)「うまく調整されているもの」。ついでに、個人の人生(時間の流れ)についても、過去も未来も現在も実際はまったく同じ場所ではないが、同時進行に近い場所にあり、(ただ、それを今、私たちが感知できないだけで)やるはずだったこと、それによって変わっていく人生も、自分の過去や未来と共に存在しており、たとえば、私が今現在、歩いている人生などは、生まれてから今日までの数え切れない「選択」の結果でたまたま?歩いている「多数のレールの中のひとつ」というだけで、ゆえに、今後、死ぬまで続く数多くの「選択」により、いかようにも変わっていく未来を含めた「幾つもの、同時に存在している私の人生」は、その一括りの「時間」の中にすべて含まれて存在しているもの。人の人生などは、あみだくじのように、一つのきっかけ(意志、選択ひとつ)で数多くあるその人の別の「人生のレール」へと移行できるものであり、(でもそれがなかなか難しいから苦しかったりするのですが)人生(あるいは、時間)の中で繰り広げられる出来事はそういう視点で見た場合はすべて些細なものでしかない。(だからといって軽々に生きていいものだと言っているのではない)・・ということで、「時間は『生を展開するために(100%人間の生のためだけにとは言わないが)確かに存在』しているモノ・・だと思ったり、思わなかったりしています。 ちなみに、「人間の老化や酸化の仕組み」などいついてはさっぱり分かりません・・。
- kobutanuki
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拡散が進行し質量が希薄化するにつれ 時間がゆっくり進むところの質量が 求心性を持ち始める ことによって収縮が始まる てことだろうか
だから時間はないって・・
宇宙の端っこは光速を超える速度で膨張しているらしいから 時間はどうなっているかややこしいね。 量子運動のエネルギー量と時間に比例関係があるなら、 宇宙の端っこのほうが時間は進み、 宇宙の中心部ではゆっくり進んでいるんだろう。。。 そしてまたいつか宇宙は縮小するらしいから、 そのときに何が起きるかはお楽しみ。。。
- kobutanuki
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諸々の現象から 光が振動であることも 宇宙はビッグバンであるより 拡散と収縮の振動系であることを思わせるよね ビッグバンが起こったであろうといわれている地点を中心として 何の中心だろ 質量の総和の重心だろうか?
- kobutanuki
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自然は真空を嫌うといったギリシャの哲学者がいたけど これとはどう整合性をとればいいと思う?
- kobutanuki
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いや真空間の無から突然物質が発生したにしないと矛盾するよね
- kobutanuki
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真空間に物質は有るのかな 真空間だけがあるとき物質が何もないのに時間はあるのかな 空間の変化が時間であるとすると 何も物質がない真空間の広がりだけがあるとき 時間の観念はどうやって生まれるのだろう ビッグバンは無から起こったのではなく 真空間で起こったのではないか? ビッグバン自体本当に有ったかどうかは疑問だけれども