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亡くなるという言葉
いつも、この言葉を使う時ためらってしまうのですが、 近親者が死んだ時、例えば父の場合「父が亡くなりました」とか、 動物、猫などの場合、「猫が亡くなりました」というのは正しい使い方でしょうか?
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身内のことを言うには、「この度、女を亡くしました」というように表現します。自分のことだと内輪にいうことで、悲しみが伝わります。このような言葉使いが品格だと思います。歩き方、話し方、文字をみると、人間が分かりますね。
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ANo.8です。 >私は、「亡くなる」にも違和感を感じるんですが、「死にました」も少し、死者に対してぞんざいな感じがしてしまうのです。 「死にました」・・・死者に対してぞんざいな感じがする。 そうだと思います。身内の死ですから、ぞんざいに扱ったように見せて、へりくだった言い方にしているわけです。 自分(身内)を下げることによって、相対的に相手を持ち上げる謙譲的表現です。 お茶を出すときの「粗茶ですが」や、プレゼントするのに「つまらないものですが」などと理屈は同じです。西洋人には理解しにくいところです。 明治生まれの人が「父が身罷った(みまかった)」と言っていた謙譲表現と同じです。 しかし、そのような言い方をしたからといって、本当にぞんざいに扱ったとは誰も思わないと思います。 「亡くなる」は死ぬの婉曲表現です。婉曲語は一般的に身内にも使えると本には書いています。しかし、実際には、「亡くなる」は敬意を表したい相手にも使える言葉であるので、自分や身内に使うのには抵抗感を持つ人が多いわけです。本に書いていることが、全ての言葉に当てはまるわけではありません。 極言すれば、言葉の使い方については、何が正しくて何が間違いということはありません。 その時点の「大多数の日本人が使う言葉」が正しい日本語です。 その大多数の日本人の、そのまた大多数が知識人であれば、もうOKでしょうね。 今回沢山のご意見がでました。沢山出るということは決定版がないということです。 質問者さんがそれらを参考にして、エイヤッと決めて下さい。 ご自分がしゃべる言葉ですから誰にも迷惑はかかりません(^-^ )。
お礼
こんばんは そうですね!確かに絶対、こうでなければという決定版がないのかもしれませんね。 でも、今回質問して良かったと思います。 私と同じく感じておられる方が居たと分かりましたので。 ほんとうにありがとうございました。
> 神学や哲学にまで関係するとは考えませんでしたが、、、、。 おっと、すみません ( ^^; 得意の早とちりで、お尋ねの趣旨が「動物の死に対して人間と同等の表現を用いることの是非」であると勘違いしてしまいました。書き直します。 > 私は、「亡くなる」にも違和感を感じるんですが、「死にました」も > 少し、死者に対してぞんざいな感じがしてしまうのです。 日本に「死ぬ」と同義の言葉が複数存在するのは、愛情を注いだものや敬意を表すべき相手など、いわゆる「特別の存在」の死に対して、単に生命の終わりを意味する言葉である「死ぬ」を使うことへのためらいがあるからだろうと思います。「亡くなる」もその一つと考えて差支えないでしょう。 例えば殺虫スプレーを浴びたゴキブリが絶命した際に、「やった、死んだぞ!」とは言っても「やった、亡くなったぞ!」と言う人はかなり稀でしょうし、玄関前に見知らぬ人の死体があるのを見つけた場合、警察への通報時に「家の前で人が亡くなっています!」と言う人も少数派だろうと思います。それは、ゴキブリや軒先の死体がその人にとって愛情や敬意の対象ではないからです。ですから、少なくとも「亡くなる」が「死ぬ」と同等の言葉でないことだけは間違いないでしょう。 ただ、あるもの(動物を含む)の死が自分にとってどの程度の重さを持つかは、ケースによって個々に違います。ですから、時に「亡くなる」でも表現不足と感じることは当然あるでしょう。「亡くなる」は「死ぬ」よりワンランク上の言葉ではあるが、特別の思いを表わす程のものではなく、その意味において一般語の域を出ないと思います。
お礼
こんばんは とても面白く、説得力のある例を挙げてくださいましてありがとうございます。 確かにゴキブリに亡くなりました、とは言いませんね。 そういう意味で「死ぬ」と「亡くなる」とは違うという事、 しかし、「亡くなる」が特別考え込むような意味を持つものではない、ということですね。 良くわかりました。ほんとうにありがとうございました。
- ojisa
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No.7の方と同じ感覚を持つ者です。 No.3の方のおっしゃる通り「亡くなる」というのは遠まわしな言い方であって、なぜ遠まわしに言うかというと死者の近しい方の気持ちを慮るということがあるからです。 従って身内に対しては人間でも「亡くなる」を使うのは抵抗があり、もっぱら「他界した」と表現することにしています。 私は飼った経験が無いので実感では申し上げにくいですが、自分の飼っていたペットが死亡した場合も「他界した」と言うと思います。他界するというのは死亡の事実を客観的に表現した言い回しだと思うからで、そこに人間と動物の差異はあまり感じません。 一方、他人のペットが死亡した場合は「亡くなった」とは言わないと思います。私の場合はペットを失ったことによる相手の喪失感をそんなに大きくは受け止めない狭量な了見を反映しているのかもしれません。 但し、相手がペットを失ったことによって大きな喪失感を感じていることがわかる場合、相手に対しあからさまに「死んだ」という言葉は使いにくいかもしれません。まだそういう方にお会いしたことが無いのでわかりませんが、そういう場面であれば私も「亡くなる」を使うかもしれません。
お礼
狭量な了見とは思いません。 誰でも、ペットにしろ、子供にしろ、自分のものと他人のものでは喪失感の大きさに差があって当たり前ですもの。 実は私も「他界」については、これが良いかなと思った事があります。 それで広辞苑を調べましたらやはり、少し気になる記述がありまして使っておりません。 ご回答ありがとうございました。
猫が「亡くなった」らヘンだと思います。 (1)「亡くなる」は人が死ぬことをやや婉曲にいったもの。 (2)丁寧語なので、本来は身内にも使える言葉であるが、敬意を表したい相手にも使える言葉であるので、自分や身内に使うのには抵抗がある人が多い。 ・・・というのが、常識的なところだろうと思います(以上はNHKの「気になることば」を参考にしました)。 父の場合は「父が身罷りました。」というのが昔からの言い方ですが、現在では、サムライみたいで、恰好のつけ過ぎと言われるかもしれません。「父が死にました。」でいいんじゃないかな。 「猫が亡くなりました」と言う人の気持ちはわかりませんが、昔から「猫可愛がり」と言う言葉がありますように、きっと人以上に猫を可愛がられるのでしょう。 そういう方であれば、「猫が亡くなりました」と言ってもおかしくはないのかな(-^〇^-) 。
お礼
私は、「亡くなる」にも違和感を感じるんですが、「死にました」も少し、死者に対してぞんざいな感じがしてしまうのです。(すみません) それで、いつも困ってしまうのです。 やはり、婉曲語という事で自分を納得させるしかないのでしょうか? 何かすみません、皆さんにアドバイスいただきながら、すっきり出来なくて。 ありがとうございました。
最近のペットロス神経症の方達から言えば、「亡くなる」が正しいのでしょう。「亡失」という言葉もあり、この語はどの様な「物」にでも使えます。 私も最近「父を亡くしました」が、「父が亡くなりました」は身内に対する丁寧語で好きではありません。 他人なら「お父様を亡くされた」で良いのでしょうが。
お礼
そうですね、他人が言うのであれば「亡くされた」でも「お亡くなりに」でもかまわないと思いますが、身内に関しては本当にこれだけ回答をいただいてもどう考えて良いかわかりません。 私にもたいそう可愛がっている高齢のペットがおりまして、いずれペットロス症候群になるかもしれませんが、たぶん「亡くなった」は使わないと思います。 ご回答ありがとうございました。 お父様の事、お力落としになりませんように。
これは国語より寧ろ宗教や哲学に関わる問題のような気がしますが‥ それはともかく、作家で元NHKアナウンサーの下重暁子さんは、愛猫の生涯を綴った『ロミは鳥になった』(昭和62年 講談社)の中で次のように書いています。 「亡くなって間もなく、ロミと私との交流を本にしないかと、講談社の古屋信吾さんからお話があったが‥」(「あとがき」より) 私も、「猫がお亡くなりになりました」ならちょっと首を傾げますが、そうでなければ一向に差支えないと思います。動物を人と同等に扱ってはいけないという考え方は、多分キリスト教神学の影響でしょう。 ちなみに、以前わが家で飼っていた猫(平成元年没)の遺骨は、お寺に納められています ( ^^
お礼
作家の方がそのように使っているのなら、間違いではないのでしょうね。 神学や哲学にまで関係するとは考えませんでしたが、、、、。 ご回答ありがとうございました。
- tatsuoh
- ベストアンサー率33% (5/15)
敬意はどんな文化でもありますが、日本語の場合はそれを言葉で表現します。敬語表現は、対象を直接的に具体的にさすことを避けます。漢語にもあります。人の死を、【崩】【薨】【卒】【死】と使い分けます。日本語でも、帝の死は【崩御】といいますし、【卒去】というのも使われます。 和語では、【隠れる】【亡くなる】は、【みまかる】と同じように尊敬語と考えていいでしょう。【亡くなる】【隠れる】は、猫も杓子も使いますから、尊敬語ということなら【お亡くなりになる】【お隠れになる】というほうがいいでしょうね。 もちろん、猫に使うのはよろしくないでしょう。
お礼
やはり動物に使うのはおかしいというご意見ですね? では、肉親の妹や自分の子供はどうなんでしょうか? 例えば、「この度、私どもの息子のxxが亡くなりました]というような言い方は正しいでしょうか? やはり、少し違和感を覚えます。 ご回答ありがとうございました。
「亡くなる」(魂が亡くなる)と言う言葉は本来人間の 死に使うものです。 動物であれば「猫が死んでしまった」と言うべきです。 ただ、最近ではペットも家族の一員の考えから わが子として扱う人が「亡くなった」と使っていますが 正しい使い方ではありません、
お礼
私も、いくら可愛いペットでも、動物に「亡くなる」という言葉は少しおかしいなと思います。 ちなみに、私もペットを飼っていますが、その言葉は使わないと思います。 ありがとうございました。
- puni2
- ベストアンサー率57% (1002/1731)
どうせ広辞苑を引くなら,「なくなる【亡くなる】」という見出し語をひきましょう。 私が持っているのは1つ前の第5版ですが,こうなっています。 1《無》ないようになる。紛失する。尽きる。「時間が―・る」「自信が―・る」 2《亡》人が死ぬことを婉曲にいう語。「先生が―・る」 この2番の説明に注目してください。「婉曲にいう語」です。ストレートではなく,遠回しにいう語です。 例をあげると,便所のことを「化粧室」というのが婉曲語です。 場の雰囲気や,相手との関係などで,ストレートな言い回しをするのがはばかられるとき,遠回しな表現をするわけです。 さて,この婉曲語というのは,尊敬語ではありません(「死ぬ」に対して,亡くなった人を大切に思う気持ちが入っているのは確かでしょうから,広い意味で尊敬語の一種とは言えるかも知れませんが)。 したがって,たとえば身内について「父が亡くなる」という言い方はごく自然です。 「亡くなられる」とすれば尊敬語になります。 「猫が亡くなりました」は,私は許容範囲だと思いますが,言葉遣いにうるさい人はダメだと言うでしょうね。 「ペットにえさをあげる」「盆栽に水をあげる」は間違いで,「やる」と言うべきだ,というのが伝統的な言葉遣いですが,そう考えている人はたぶん「猫が亡くなる」を認めないのではないでしょうか。 もっとも,愛猫家同士の会話であれば,「うちのミケが亡くなってね」という言い回しも特に問題ないと思います。 あるいは,自分が大のネコ好きであるということをよく知っている人に向かって話すときも,たぶん使えると思います。 しかし,不特定多数に対して話す・書くときは,場合によっては要注意かも知れません。 かといって,「うちのミケが死んで」とは言いづらいのであれば,「死んでしまって」ぐらいにしておくのが無難かなあ。ちょっと自信ありませんが。
お礼
目からウロコでした。 尊敬語ではなく、婉曲語なんですね! では、親近の人にも使って良いという事ですね。 私は近親者や身内には尊敬語は使わないと思い込んでいたものですから、いつも考え込んでしまいました。 ご回答ありがとうございました。
- kappa1zoku
- ベストアンサー率29% (334/1137)
広辞苑では、(1)なくなること、ほろびること・・・「興亡・滅亡・亡国」、(2)逃げること・・・「逃亡・亡命」、(3)死ぬこと・・・「死亡・亡父・亡者」 あの~、死ねことだけに意味を限定しているからそう思われるのでしょうね。 躊躇う必要があるのかどうかは、あなたの個人的感覚なので理解できませんが、きっといやなイメージとその言葉が結びついているのでしょう。
お礼
はい、そうです。今は死ぬ事の意味に限定して質問しています。 物を無くした、紛失したという意味で聞いているのではありません。 死については何も特別他人と変わったイメージは持っていません。 普通、死は恐ろしいもの、避けられないものとしてのイメージが一般ではないかと思います。(すべてを達観した人は別でしょうけど) ご回答ありがとうございました。
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お礼
こんばんは 「亡くしました」 「亡くなりました」 なぜか、全然受ける感じがちがいますね。 こういう言い方もあるんですね!! ご回答ありがとうございました。