#2です。
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>コンプレックスを認識、対決を経て自我と統合する
:というのは、コンプレックスの源泉である過去の自分の精神的成り立ちを認識し、コンプレックスの要素となっているものを分析することで対決し、自らの責任において解決すべき自我の問題として取り込む。
というように私見では解釈します。
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#2でこのように述べたわけですが、「統合して自我の問題として取り組む」とはどういうことか、という点についてもう少し補足させてください。
コムプレックスの要因となっているものの本質は抑圧です。
禁制と言ってもよく、親の躾などが典型です。
一般的に言って、親にしてみれば抑圧しているという自覚は殆んど無いものです。
善悪を教えることにより、超自我性を育もうとする意識が働いているだけでしょう。
つまり、抑圧によってしか善悪などの超自我性は育まれないという点が、この問題の難しいところです。
適度な抑圧が必要とされているわけですが、過剰になると将来的なコムプレックスの芽となります。
ですから、これを解決しようとすれば、理性で本能を押さえ込もうとするのではなく、全く逆で、「超自我(=理性)によって抑圧されている自我なりエス(本能)なり」を解放してやらなければなりません。
端的に言うと、いい子であることをやめる勇気を持つことがコムプレックスから解放される基本的な姿勢ということができるでしょう。
だれに対してのいい子かというと、無論、自分の親に対してです。
これが清算できていないと、その矛先はコムプレックス、つまり錯綜の対象としての他人を求めて理不尽な発露をすることになるでしょう。