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インパール作戦の目的は何だったのでしょうか?

第二次世界大戦中のインパール作戦の目的は何でしょうか? ビルマからアラカン山脈を越えて、インドのインパール、コヒマを占領するのが目的でしょうが、 そんな出城のようなものを作ったとして補給がのぞめないので、巻き返しをはかる敵に包囲されてすぐに失ってしまうと思うのですが。 インパール、コヒマを占領したあと、どうする予定だったのでしょうか? さらに進撃をもくろんでいたのでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • caesar-x2
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回答No.1

まさにその通りです。作戦が成功できても 結局は破滅します。そういうダメダメな作戦なんで 何人も反対したのですが、派閥・人脈がものを言って 牟田口のバカアイデアが通っちゃったというものです。 基本的な目的は、援蒋ルートの遮断ということなんですが、 ま、糸じゃないんだから、切ったら終わりってわけにはいきません。 同地域を制圧し続けなければならず、 その後のベトナム戦争の経験から言えば、 現地民の100%の協力なくして全く不可能なので、 日本軍には援蒋ルートの遮断そのものが実現困難だったいえます。 妨害程度はできたとしても、道が変わるだけです。 ちなみ援蒋ルートってのは中国(国民政府)に対して アメリカ、イギリスら連合軍が物資(武器・食料・医薬品等々)援助するための輸送路のことです。 当時の日本軍には支配地域を広げる余裕は全く無くて、 むしろ狭めたいというのが本音だったのですが、 ”転進”を嫌ったので、薄くひろーい防衛線をはって、 結局は大半が壊滅してしまうわけです。ま、終戦まで戦っただけ驚異的ですが 連合軍のほうは飛び石作戦よろしく、大きな損害の出るような性急な攻撃をしなかっただけというのもありますが。 側面

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noname#51386
noname#51386
回答No.6

>第二次世界大戦中のインパール作戦の目的は何でしょうか? 目的はとくにありません。 インパールをとれば武名が上がるという牟田口閣下の功名心。 それに河辺と参謀本部が乗っかった。 >そんな出城のようなものを作ったとして補給が・・・。 仰せの通り。 >インパール、コヒマを占領したあと、どうする予定だったのでしょうか? 考えていません。 何とかなるでしょうという無責任な話。

noname#125540
noname#125540
回答No.5

インパール作戦についてはよく存じませんが、無謀な作戦だったということで有名ですから、「なんでこんなことを???」と言いたくなるのは分かります。 しかし日本の戦い方全般において、補給が弱い&軽視しがちでしたから・・・・ 陸軍だけでなく海軍も。 ちょっと本を読んだだけでも「なんでまた・・・」「これはちょっと・・・・」というのが多いです。 渦中にいないで、後から読むからそうなのかな????

回答No.4

中国国民党軍への補給(援蒋ルート)を断つこととチャンドラボース率いる インド独立運動勢力を巻き込むことの2つが目的だったと思いますが。

  • Yelm
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回答No.3

純軍事的に見ると、大河メコンに分断された平野であるビルマは守りに不適な地形のため、ビルマ=インド間の交通の要衝であるインパールを制圧・維持することでビルマを守るという、攻勢防御そのものは合理性が無いわけでもありません。 逆を言えばそれ故にこそ、実現可能性には疑問のある計画が通ってしまったと言えるわけです。 日本陸軍が組織面で参考にした帝政ドイツ軍の参謀総長であったシュリーフェンは「必要であることは実行可能だ」と説き、それで実現可能性の薄いシュリーフェンプランにのめり込み、結果的に国策を誤らせる一因となりましたが、日本陸軍はそういう帝政ドイツ陸軍の悪い部分も引き継いでしまったと言えるでしょう。 それとやはりインパール作戦の二年前、ビルマのイギリス軍があまりにあっけなく崩壊した「過去の経験」もあったでしょう。 勿論、ビルマ戦時とインパール作戦時のイギリス軍は全く別物ですが、やはり「華々しい成功体験」と言うものは、簡単には無くならないものであり、その再現を夢見てしまうものなのです。

  • misa-on28
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回答No.2

もともとの目的はビルマに最も近い連合軍根拠地のインパールを占領することでビルマの防衛をより安泰にすると言うものでした。 もちろん補給困難は作戦開始前から分かっていたことで、牟田口司令官は補給不能を理由に作戦に反対した参謀長小畑信良少将を罷免して作戦を進めました。 少なくともビルマ方面軍まではインパール占領までを目的とし、それ以上のインド侵攻はしないと言うことでしたが、第15軍の牟田口司令官だけはインパールからディマプールまで攻略のうえチャンドラボースのインド国民軍を進撃させると言う構想を持っていました。 補給計画も無く、運搬に困難として大口径の大砲も持たず、直接の司令官と上級司令部の目論みが乖離しており、しかも司令官が上級司令部の方針と異なった命令を平気で出すと言うとんでもない状態ですから、これで勝てる訳が無いと言うことになってしまいました。 と言う訳でインパール占領後は 大本営からビルマ方面軍まではインパール維持によってビルマ防衛を安泰にする。 第15軍牟田口司令官はさらに進撃をもくろむ。 という、ちゃんとした予定と言うか目論みがあったとは言えない作戦指導だったと言うことだったようです。