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「田舎者」の定義
今回も質問のカテに迷いました、「歴史」だろうか?はたまた「文学」か?「国語」か・・・? 本当は文化人類学とか社会学なんてカテがあればいいんですが、 それらも網羅すると考えていつものようにこちらに質問しました。 さて、「田舎モノ」の定義、ということですが、 先ず、これを差別用語として意識はしていません。 現に広辞苑、大辞林を調べたところ、「差別用語」とは書かれていません。 けれども紛れもなく「田舎モノ」とは蔑称です。 わたしの思う「田舎モノ」とは、必ずしも「都市に住んでいない」もののことではありません。 地方に住んでいても「田舎モノ」ではない人もいるし。 東京のど真ん中、永田町辺りには文字通りの田舎モノがうようよいるような気がします。 だとすると出身地や住まいなどの地理的な問題ではない。 (1)田舎モノとは何でしょう? (2)何故「田舎者」という言い方をするのでしょう? (3)この蔑称の起源は何処(誰?)でしょう? 尚質問者自身は東京で生まれ育っていますが、 自分が田舎者ではないという意識はありません。 なぜなら「田舎者」の定義が曖昧(不明)だからです。 あなたの思う田舎者観でもいいし、 歴史的な考察でも構いません。 幅広いご意見をお聞かせくだされば幸いです。 迅速にお礼が出来ないかもしれませんが、 ご容赦ください。 お暇な折、お考えください。
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(1)田舎モノとは何でしょう? ちょっと回答を見て、はっきりさせないといけないのは、田舎者と呼ばれるような差別そのものを問題にするのか、あるいは田舎者という言葉そのものを問題にするのかということ。日本での田舎者という言葉通りのことを捉えれば、おそらく明治以降でしょう。都市の発展とともに、田舎からの流動がはじまり、いわゆる二重構造ができあがります。 「田舎」の場合、対義語をよく考えないといけません。もちろん「都会」。ここには発展史観という人類が長らく取り憑かれ、今なお完全には手放せない歴史感覚に根があります。つまり田舎は遅れていて、都会は進んでいるという発想。別の表現でいえば、文明と野蛮。 田舎は「野蛮」だというのが古くから世界的にいくらか存在したネガティブな観念です。すべてではありません。でもやはりかなりあったと思います。でも、もちろん日本では必ずしもそういった「田舎」というふうに見たわけではなく、「ふるさと」という肯定的なとらえ方もしてきました。アメリカでも、country田舎というとき、それは必ずしもネガティブではありません。 日本の「田舎者」という言葉に独特な意味がこめられたのは、推測するに早くて1920年代くらい。おそらく定着したのは1950年代~1960年代のあいだではないかと思います。ちょうど高度成長あたりが決定的。もともと日本の中央は田舎の寄せ集めであるという矛盾があり、いわゆる貴族というものが確立していたとはいえません。財閥があったとはいえ、政治家だってその多くは「田舎者」で、エリートでもありません。ですから今の古い政治家でかなり田舎臭い人はかなりいます。 ですから、私が思うに日本では田舎者は差別用語であっても、そこまで大きく揶揄される存在ではなかったと思います。童謡にしたって、古くから演歌にしたって「故郷」を心から歌うというのが日本の強い底辺にある精神です。 放送禁止用語にもなり、一般に差別語として認知されるに至ったのは、推測ではありますが、むしろかつてのメディア自身の使い方にあったのではないかと思います。ドラマやバラエティなど。 ですから、今にしても鹿児島の山奥から来たといって「かっぺ」(田舎者)といって非難するなんてことはほとんどないでしょう。むしろほとんどは「良いところなんだろうね。特産物は?どんな観光地が?」といって非常に肯定的にとらえるほうが大多数だと思います。 (2)何故「田舎者」という言い方をするのでしょう? なぜ田舎者という「差別的言葉」を使うのか。それが必要なのか。それはさきほどいった野蛮と文明というような観念が我々に根づいているからです。それは様々な基準で勝手に判断されます。 a. 言語 やはり多いのは言葉です。方言ですね。人間は異質な存在にあうと、非常におもしろがるという好奇心を抱くか、危険人物であるという敵対心を抱くかということが多いと思います、でもこれは本来、人間自身に備わった防衛本能だと思うのですが、これが無駄にいきすぎて無意味な差別へとつながると考えます。 b. 性格 とくに総合的に見て、社交性がない。作法がなってなかったり、頑固だったり、うるさいなど。ようするに野蛮な人。こういう人を一般に田舎臭い、田舎のおやじと勝手に決めてかかる傾向があると思います。これは現代若者には、かなりドラマなどから刷り込まれた文化的イメージだと推測します。かつての人たちはそういった原体験をもっているわけですが。 c. 容姿 髪型や服装。田舎くさい髪型、服装・・・都会らしい髪型、服装。これは文化的な遅れている、進んでいるというイメージ。これもまた人間の表面的な差異からくる差別で、田舎者という言説が使われたと思われます。 (3)この蔑称の起源は何処(誰?)でしょう? 分かりません。田舎者という言葉に限っていえば、私はおそらく文学にルーツがあるのではないかと思います。でも大衆化という意味では50年代からの大衆文化(マスカルチャー)の台頭。つまりアメリカ的な文化が一気に流入してロック音楽などが入り、洋服が一気に浸透していく過程が大きく関わっていると思います。調べてみないと分かりませんが、この時期のテレビがおもしろおかしく「田舎者」というものをピックアップしていたのではないかと考えます。あくまで憶測です。 でも私はどちらかといえば、日本の場合、土着的な田舎者のほうがむしろ称賛されてきたようなところがあったと思います。故郷という美化されたイメージのほうが強かったということです。ですから、むしろ田舎臭さのない、「エリート集団」のほうが犬猿されるという雰囲気、出る杭は打たれるという風潮のほうが強いと見ます。 その意味で日本は共同体的排除が強い国であるといえます。企業にしても、今だに「田舎臭さ」がいいんだといった空気をもっています。大企業でさえです。つまり、泥まみれで、社交性はいらず、もくもくと文句を言わず仕事をやることこそ勤勉なりというような考えです。(かなりナンセンスだと私は思いますけど)
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- tyr134
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ANO5です。 参考になればと、「田舎」と付く言葉を集めてみました。 ・田舎チョキ じゃんけんにおいて、グー・チョキ・パーを全て含んだ形。親指と人差し指を突きだした形。「無敵モード」とも。 http://www.d2.dion.ne.jp/~hmurata/choki/choki.html ・田舎時間 都会に比べ田舎の人は時間におおらかな事から言われるようになった言葉。 通常は田舎の部分に地名が入る。 西日本の人は約束の時間から30分~2時間遅れ、東日本では逆に早く集まる傾向があるらしい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%99%82%E9%96%93 ==以下は手元の電子辞書所蔵の『大辞林』より== ・田舎夷 田舎出身者を軽蔑して言う語 ・田舎学問 時勢に遅れた見識の狭い学問 ・田舎稼ぎ 都会の商人が田舎に行って稼ぐ事 ・田舎気質 田舎の人の素朴・粗野・純情な気風・正確 ・田舎紳士 紳士を気取っているが、どこか洗練されていない所のある人 ・田舎侍 江戸や京坂などの都会に出てきた田舎の侍。また粗野な侍をあざけって言う言葉 ・田舎大尽 田舎の金持ち。特に田舎出身で遊里で豪遊する人 ・田舎言葉 田舎の言葉。方言。 ・・・etc ==以上== 蔑称というか、ちょっと否定的な言葉が多いですね。 で、以下はWikiの記述からの考察です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%88%8E#.E6.A6.82.E8.AA.AC 「田舎」という言葉は『日本書紀』や『万葉集』に既に出てきているようです。 その記述から、奈良時代や飛鳥時代に藤原京や平城京など都市ができ、そこに住む貴族層中心に優越感やアイデンティティーが形成され、結果都市以外の地域を「田舎」と認識するようになったそうですね。 で、明治以後からは東京に首都機能などが一極集中し、戦後は経済が特に集中したために、他の地域を「田舎」と呼んで否定的に捉える認識が生まれたそうです。 しかし、90年代以降は「田舎回帰」とも言える現象が起こっており、「田舎」を再評価する動きが見られます。 まぁ、「発展・発達」というのが良とされ、それが都市に集中するという事から、遅れた場所を「田舎」と捉えていたんでしょうね。 で、そこからイメージされ否定的な事と田舎が結びついたんでしょうね。 参考になれば幸いです。
お礼
前回の「きらいな言葉」に引き続き、おもしろい言葉を列挙していただきありがとうございました。 無敵のジャンケンですか(笑) なんでそれが「田舎チョキ」なんですかね(笑) なんでもアタマに「田舎」がつくとちょっとからかった感じになるようですね。 ・・・なんていうのか引っかかっているのは、 「都市」-「田舎」というのは対立の構図ではなくて、 田舎はあくまで都市への発展途上という感覚に違和感を覚えるのです。 つまり従属関係というか主従関係というか、 全然対概念になっていませんよね。 田舎と言う概念がとても曖昧に感じるのです。 おもしろく、参考になりました。ご回答ありがとうございました。
- gumbosoup
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No.2です。 何か話がディープに複雑化する様相見せておりますが、例によって「想像の域を出ない」予想を付け足させて頂きます。 先ず、私が「江戸弁ルーツ」と考えるのは、当時既に後の高度成長期と同じような「都に上がる」風潮があったからです。 自分の記憶している限りでは、「田舎もん」と言う言葉と「上方もん」と言う言葉あったように思います。 言うまでも無く「上方もん」とは関西から来たコテコテの商人の事を指していましたが、一部では「箱根の山を越えて来た」人全てを指す事もあったように思います。 それでこれもまた勝手な私の想像なのですが、西方から来た人を「上方もん」、北方から来た人を「田舎もん」と呼びがちだったのではないかと思うのです。 実際現代の東京でも、例えば福岡弁を喋っている人を「田舎者」と言うよりは、山形弁を喋っている人の方を「田舎者」と言う確率の方が高い気がするのです。 ここで「言葉」と「気質」の問題が出て来ます。 現代でも、関西系の方はどちらかと言えば「お喋り」で、東北系の方は「無口」なイメージがあるように思えます。(偏見かも知れませんが、差別している訳ではありません) 江戸時代の「江戸弁」は、恐らく関西や九州出身者の方よりも、東北や北関東出身者の方の方により「きつく」感じられたのではないでしょうか。 勿論津軽弁等、東北弁でも結構ハードな言葉を喋る地域は有りますが(海沿い地域の言葉はきついところが多い気がする)、当時の江戸弁は本当にきつい言葉であったと思います。 これは私自身、以前数人の江戸弁継承者の方と接して思った事でも有ります。 それで聞き慣れないきつい言葉に晒された地方の方が、例えば愛情を込めて言われた「田舎もん」と言う言葉を「差別されている」と誤解してしまった可能性も有ると思うのです。 これに似た事は、以前広島東洋カープの監督をなさっていた達川氏も仰ってました。 「広島出身以外の選手に普通に広島弁で喋ると、『怒られてる』と勘違いされる事が良くあった」と。 もう1つの可能性は・・・と言うか、ある意味これの延長上の事でもあるのですが、「文明開化」です。 No.6様も指摘なさっていらっしゃいますが、そもそも明治維新を遂行した方々は決して身分の高い人では無かった訳です。 その後に高い地位に着いた方々も、言ってしまえば「成り上がり」な訳ですね。 そうした方々が、要は「自分と他の地方出身者」を分ける意味で差別的な使い方を始めた、とも思える訳です。 現代となってはとんでもない話ですが、当時の「大日本帝国思想」ではむしろ当たり前の発想であったと思います。 逆に言うなら彼等も「地方出身者」である事に非常に強いコンプレックスを持っていたとも言えるでしょう。 そうしたファシズム的な思想が太平洋戦争終結まで続く訳ですが、戦争が終わって平和になったからと言って人々の常識が急変する訳ではありません。 ある意味思想的にはかなり似通った思想がその後の高度成長期を支える訳ですが、戦争と言う生死ぎりぎりのところを経験した人には余裕が有りません。 なので使えない人間をこっ酷く卑下する事もしばしばあった事と思います。 更に地方に疎開していた「都会人」達は戦時中「逆差別」を受けています。 そんな事も関係して差別用語化が更に進んだのかな、と思います。 それから暫くすると、それまでと違い親の働きの恩恵を受けて、非常に豊かに育った世代が蔓延し始めます。 いわゆる「太陽族」ですね。 彼等は若く、古い風潮を嘲笑うかのような行いを多数行って行く事になります。 そして戦後日本で初めて「ファッション」を前面に出した文化が生まれます。 ここで更に「身なり」「服装」が差別対象となって行きます。 若い彼等にある意味思い遣り等はありません。 言葉や礼儀も違い、身なりも「ダサイ」地方出身は絶好のカモになった事でしょう。 ・・・と、こんなところが私が「妄想」するところです。 参考になるかならないかは質問者様がお決め下さい。 では失礼します。
お礼
再度のお答えにまたゾロお礼が遅れましたことお詫びします。 とても細かく判り易い解説ですね。 言われてみれば、西日本に関しては田舎もんという意識は希薄なような気がします。京都の文化圏ということに限らず、四国や九州も確かにそうですね。 勿論文明開化=明治維新自体が鹿児島や山口、高知などの所謂地方出身者によって為されていますね、遡って徳川幕府にしたところで、家康(=徳川家)だって、三河の小大名だったわけですし、維新後の華族さまというのも、元を質せば戦国大名なわけです。(無論所謂「名門・名家」もありましたが) つまり田舎というものは初めからあって、都市というものは#6さんのご指摘のように、人為的に作られ、都市とは即ち田舎者によって形成されている。ということでしょうか。 太陽族に関するご意見はとてもおもしろいですね。 >戦後日本で初めて「ファッション」を前面に出した文化が生まれます。 >言葉や礼儀も違い、身なりも「ダサイ」地方出身は絶好のカモになった事でしょう。 つまり文化的な格差ということでしょうか・・・ 勿論とても参考になりました。 また何か思いつきましたら些細なことでも教えてください。 ありがとうございました。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
======引用====== いなか-もの ゐなか― 0 【《田舎》者】 (1)田舎の人。田舎育ちの人。 (2)礼儀作法を知らず、やぼで気の利かない人をののしっていう語。また、自分をへりくだっていう語。 提供:三省堂(infoseekマルチ辞書)http://dictionary.www.infoseek.co.jp/ ============== 1)の意味は、そのまま田舎の人をさして言う言葉ですね。 ただ、通常使われるのは(2)の意味ですね。 で、この意味では「侮蔑語」と言えますね。さらに言えば、別に「田舎生まれの田舎育ち」で無くても言い訳です。 取り合えず、「礼儀作法を知らず、やぼで気の利かない人」を「田舎者」と罵るわけですから。 で、似た言葉に「垢抜けない」というのがありますね。 これは、「田舎臭い」とか「素人臭い」という言葉の「臭い」を「垢」に見立てた言葉だそうです。 もう一つ、「野暮ったい」という言葉もありますね。 こちらは、世情に疎かったり周りの空気が読めない人を指す言葉ですね。 今風に言えば「K.Y」でしょうか(笑) つまり、「田舎育ち=垢抜けない=野暮ったい=都会の生活に慣れていない」というイメージなんだろうと思います。 高度成長期に、大量に田舎から都会へ人が流れていきました。 言ってみれば、「オラ東京さ行くだ~」です。 で、この時に田舎から出てきた人は田舎臭さが抜けず都会の生活に着いていけない人とかもいた。 それを、まぁ上目線で「田舎者」と嘲ったんでしょうね。 或いは、自分が「田舎出」であることを謙って言ったり。 まぁ、「差別語」には違いありませんが、他の差別語に比べ社会的弱者を排除する意味で使われたワケではないというのが、差別語指定されてない理由ではとおもいますね。 参考になれば幸いです。
お礼
>「差別語」には違いありませんが、他の差別語に比べ社会的弱者を排除する意味で使われたワケではないというのが、差別語指定されてない理由ではとおもいますね。 なるほど。 でも >「田舎育ち=垢抜けない=野暮ったい=都会の生活に慣れていない」というイメージなんだろうと思います。 だとしたら、 >別に「田舎生まれの田舎育ち」で無くても言い訳です。 という言い方はできないわけですよね? やはり地理的な問題でしょうか・・・ 詳細なお答えありがとうございました。
- boke-chan
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九州の山奥で育ち、都会の真ん中(の端っこ)で生活しています。 「おまえは田舎モン」だと言われても、そんなに気にしないでしょう。 田舎出身なのは事実ですから・・・。 田舎モノに含まれる侮蔑の意味が分からないと、気にならないものです。 田舎モノを侮蔑の意味で考えると、 1)山奥の猿が出そうな所から出てきた、何も分からない地方出身者が、 2)スマートでない(オシャレでない、野暮ったい)格好で、 3)常識の無い(視野が狭い)事を言ったり、 4)わけの分らない言語を発したり(方言)、 5)ずけずけと、他人のテリトリーに入り込む。(他人との距離感の違い) たしかに、近づきたくない人物像ですね・・・ よそ者を警戒し、受け入れるまでに時間がかかるのは、 もしかしたら人間なら当然の感情、だとすれば、 田舎モノとは、自分のテリトリーを荒らしに来た外敵の事では ないでしょうか? 昔、都会から来た子を、意味も無く からかっていたのを思い出しました。 (今、考えると都会でも何でもなかったけど・・・ごめんねH君)
お礼
>よそ者を警戒し、受け入れるまでに時間がかかるのは、 もしかしたら人間なら当然の感情、だとすれば、 田舎モノとは、自分のテリトリーを荒らしに来た外敵の事では ないでしょうか? 昔、都会から来た子を、意味も無く からかっていたのを思い出しました。 なるほど。 とても興味深い見方ですね。 上記の1~5番までで、 5番はよくわかります。 1・2・4はちょっと賛成しかねます。 >3)常識の無い(視野が狭い)事を言ったり、 う~ん、これが田舎者とどのように結びつくのかがわからないのですが・・・ おもしろいお答えありがとうございました。
- cabin504
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個人的な意見で述べさせて頂きます。 田舎から上京してきた人たちは 都会の事を知らなかったのが 始まりだと思います。 今では、物事に対して知らない人を 田舎者という表現をしてると思います。 田舎者=知らない人でしょうね。 多分、歴史的には参勤交代の時期か 集団就職のどちらかでは?
お礼
>歴史的には参勤交代の時期か 集団就職のどちらかでは? 参勤交代か。 なるほど、鋭い着眼点ですね。 ご回答有難うございました。
- gumbosoup
- ベストアンサー率38% (106/273)
全然哲学的じゃない極一般人なんですがよろしいですかね?w (1)最近使われなくなりつつある差別用語 (2)差別化したいから。 (3)恐らく戦後の高度成長期の東京集中時に1番蔓延ったと思われます。 後は明治時代~のファシズム的な東京集中時にも多く使われた事と思われますが、恐らく資料は残っていないものと思われます。この言葉が蔑称化されたのは恐らくこの辺りでしょう。それ以前は必ずしも罵倒の言葉では無かった筈です。 ただ、それ以前から使われてはいたでしょう。文学とかの世界なら相当古いものがある筈。 (私は)人は特定出来ません。 私はそもそもが「江戸弁」起源なのではないかと思っています。 それを蔑称にしてしまったのは「文明開化」ではなかろうかと考えていますが、調べた事は有りません。 尚、うろ覚えではありますが、横溝正史氏の「金田一耕助」シリーズで人気の高い「岡山編」では、特に差別用語としてでは無く使われていたような気がします。 それを考えても、特にこの言葉を「蔑称」としたのは、東京近辺を中心に拡がった気がします。 とは言えちゃんと調べた訳でも無いですし、何分素人故、外していたとしてもご容赦願います。
お礼
>全然哲学的じゃない極一般人なんですがよろしいですかね?w 勿論構いません。 仰る通り『差別用語』ではあるでしょうね。 差別化したいというのもそうでしょう。 でも人を差別する、差別化の欲求ということ自体が卑しいことで、 それこそが田舎者マインドと呼べるのではないでしょうか? >私はそもそもが「江戸弁」起源なのではないかと思っています。 そうでしょうね、江戸っ子気質とでも言うのか、 江戸っ子はなんというか江戸以外を見下していたところはありますからね。 「将軍様のお膝元」という意識で。 全然根拠はないんですが「イナカモノ」って漱石あたりが言いそうな気がします。(「坊ちゃん」あたり) 東京って、戦後地方から人が集まって出来た都市ですよね。 だから東京人もイナカモノなんですが、 これは300年栄えた都市である江戸と決定的に異質ですね。 そして戦前は帝都でした。 わたしは田舎者は差別というか軽蔑しても良いとさえ思います。 その根性です。 ただ#1さんの仰る通り、その基準は出身地や生活圏のことではありません。 イナカモノマインドとはなんでしょうか? 興味深い視点をありがとうございました。
- E-gis_hc
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「田舎者」とは村落共同体的な生活志向を持つ人のことだと思います。 村落共同体では、共同生活なしでは生活が成り立たない部分があるので、 人間関係は地縁が中心になっています。 一方、都市では、インフラが整っていることで、地域の共同生活の必要はほとんどないので、 地縁の人間関係をあまり重視せず、人間関係は自分の価値観や趣味に合う人が中心になってきます。 以下の話は、地方出身者=田舎者、都市部出身者=都会っ子ではありませんので、あしからず。 大学などで地方出身者と都市出身者が入り混じるときが分かりやすいと思います。 いわゆる都会っ子は、同じ学科の学生であっても、 性格が合わない思えば、無理に仲良くなろうとはせずに、 距離を置いて付き合い、サークルなどの趣味の場所で、 友人を探していきます。 一方で、田舎者は、同じ学科や同じ実習のグループといった縁を大切にし、 学科の親睦会的な飲み会やスポーツ会を企画したりして、 価値観が違っても、同じ行動をとらせようとします。 そんな、都会っ子は田舎者をうざったく感じます。 その結果、田舎者は田舎者同士で群れて行動し、 都会っ子は都会っ子同士でクールに人付き合いをするんだと思います。
お礼
なるほど、人間関係の様式からの視点ですね。 生存に関わる関係性に比重があるか、 もっと文化的というか、上部構造の部分でのつながりを優先するかですね。 >価値観が違っても、同じ行動をとらせようとします。 これもなるほどねって感じです。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 わたしは実は田舎者がきらいです、田舎者とは何かわからないけどきらいです。 できればこき下ろしたい。 ただそこで肝心なのは >地方出身者=田舎者、都市部出身者=都会っ子ではありませんので という点です。 要は田舎者根性というか精神性の問題ですね。 例えば 無闇に都会風を好む。 新しいものは古いものよりも無条件でいいものだと思っている。 田舎より都会が上だと思っている。 流行に左右される。 権威に弱い。 山河よりテーマパークが必要だと考えてる。 マスコミをありがたがる。 田舎を軽蔑している。 便利さをありがたがる。 わたし個人はこういう根性を田舎者と呼びたい(苦笑) ご回答ありがとうございました。
お礼
お礼がたいへん遅れましてもうしわけありません。 私自身、回答をくださる方とのやり取りを通じて、逆に本来の質問の意図が 後から明確になるという方なので、1問1答という形にはなかなか馴染みません(苦笑) 「田舎もん」というのはある種の蔑称であって、それは上にも挙げましたようなそしてご指摘にもあるような「新奇を好む」とか「権威に弱い」という 類の人をなんとか揶揄し、批判し、極論すれば軽蔑したいと思ったのですが、何故か思い浮かんだ言葉が「田舎者」なのです。 つまりわたしの考えでは森林(自然)を切り拓き道路を通し、山を穿ち新幹線を貫き、大地を掘り返して巨大なリゾートホテルを建てるという行為こそが蛮行だと思うのです。(あ、わたしは特に何とか主義者ではありません) で、当然ながらそれが田舎で戦後高度成長期と共に延々と続けられている。 いや、東京の真ん中でさえ、古い建物は次々に標的にされて、強迫的に「新しくなければ都会ではない」という考えが満ち満ちている。 わたしは本来の「田舎臭さ」を排除した精神性に非常に嫌悪感を覚えるのです。 冒頭のご指摘に関しては、田舎者という表現がもつパラドックス・・・というかねじれ方が問題ではないかと思います。 詳細なご考察に沿ってお礼ができませんでしたが、 重ねてわたしの意見に対しての補足などいただければ幸いです。 ご丁寧なお答えありがとうございました。