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西暦の日本でのはじめ
はじまて質問をします。 僕はもの事のはじまりについて興味を持っています。 早速ですが 現在は西暦何年や平成何年といった表し方で両方使い分けていますが、昔は日本では和暦しか使ってないと思います。 明治の新聞記事の日付や昔の書物の日付を見ると西暦が書かれていません。 いつから入ってきたのかはやはり文明開化からだと思いますがどうでしょうか? そして一般的に使われるようになったのは昭和に入ってからでしょうか? 西暦2000年の節目からそんなことに疑問を抱いています。 このような質問などしても良いのかわかりませんがもし知っている人がいましたら わかる範囲で結構ですので教えてください。
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- Doc_BatMan
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日本に西暦が入ってきたのはキリスト教伝来と同時ですが、実際に西暦が導入されたのは明治時代中と聞いています。 ただ西暦が世界標準的な暦となったその背景にはやはり宗教的なことは無視できません。この視点で見なければ何故日本は西暦を導入したのか絶対に理解できません。 欧米をはじめ東南アジア諸国等々に至るまで、世界的にみて、イエス・キリスト信仰が絶大だからです。宗派は様々ですがイエス・キリスト信仰者いわゆるクリスチャン人口は世界で数十億人います。ちなみに日本人クリスチャンは約100万人程度です。 その様な背景の中で日本をはじめ、クリスチャン人口の少ない国々も国際外交や交易等で西暦を導入せざるを得なかったのでしょう。 ご存知とは思いますが紀元前はB.C(Before Christ:イエス・キリスト降誕前)、紀元はA.D(Anno Domini:主の年)といいます。この主とはイエス・キリストのことです。ですから、西暦をキリスト紀元ともいいます。 ただ、考え方によっては、西暦が日本に導入されてよかった点があると思います。 それは日曜日は"休み"になったからです。それまでの日本には無かった習慣なのです。 ここで勘違いしてもらいたくないのは、クリスチャンにとっては日曜日は休みではありません。 毎週日曜日は主の復活の曜日であるので、生活を支える目的での仕事はしてはいけない、その代わり、神(主イエス)のことを一日思う日(主日)に定めたのです。ですからクリスチャンは毎週日曜日に眠い目を擦りながらでも朝から教会に行き、ミサを受け、教会のために仕事をしたり、ボランティア活動をおこなったりするのです。 日本が西暦を導入した時"仕事はしてはいけない"というシステムだけを都合よく取りいれて日曜日は"休日"にしたのです。よかったですね。 ちなみに欧米諸国では昔から土曜日も休みでした。これは紀元前から続くユダヤ教の"主日"が土曜日だったことを引き継いでいます。 日本も土曜日を一般的な休みにするまでかなり時間を要しました。 このようにキリスト教以外の宗教上の背景もあり、なかなか土曜日休みを導入しなぁったのでしょう。 今冷静になってカレンダーを見てください。土曜日は赤い文字になっていません。 日本の国としては土曜日は平日なのです。未だに正式に休日と定めてないのです。 どうですか、このように宗教上の視点で考えると世界的な信者の数の多数決で西暦が世界標準的な立場の暦になっことが理解できます。 余談ですが、クリスマスはこのようにカタカナで書いてしまうと意味が分りませんが、英語でChristmas(Christ:キリストのmas:祭儀)という意味であり極めて神聖な日なのです。こう見るとクリスマスはクリスチャン以外の人には本当に関係ないことなのです。 でも"クリスマスの日だけクリスチャン成り"の日本人も大勢います。 よろしいんじゃないでしょうか、西暦(キリスト紀元)を導入したことだし。
- shoyosi
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日本には、キリスト教の伝来とほとんど同じ頃、西暦が入ってきました。現在見ることができる最古のものは、「真仮名本の奥書」にある「御出世以来千五百九十四年」というように「西暦」の代わりに「御出世以来」を使っていました。芥川龍之介の「奉教人の死」にも記載があります。キリスト教が禁止になり、これは使われなくなり、江戸時代後期から明治にかけて、留学生がヨーロッパに出かけ、日本の年号より便利なため、津田真道が明治2年、年号をやめて、日本が建国したと考えていた神武天皇が即位した西暦紀元前660年を紀元元年とした日本紀元を採用する(当時キリスト教は西洋の圧力でしぶしぶ解禁したので国民の意識は江戸時代とあまり違いませんでした。だから、西暦など無理なことです)ように「年号廃止の建白」が出されました。しかし、このときは採用されませんでしたが、太陽暦が採用された後、年号とならんで日本での正規の紀年法となりました。西暦は、一部のキリスト教徒は明治の初めから使っていましたが、日本での正規なものは、日本紀元(皇紀)となりましたので、細々と使用していました。大正になり、西洋の自由な空気にあこがれる雰囲気が出てきて、知識人は西暦を好んで使用していましたが、戦局の激化に伴ない、使われなくなりました。戦争に負けてからは、GHQにより廃止が指令され、西暦のみが使われる様になりました。 参考URLは世界のいろいろな紀年法です。
- kawakawa
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日本に西暦(グレゴリオ暦)が正式に導入されて使われるようになったのは1873年のことです。つまり、明治6年ですネ。 また、この西暦というのはキリスト教の暦ですから、現在でもイスラム諸国やユダヤ教では別の暦を使っています。 但し、国際的にはもっとも広く用いられているものですので、ほとんどの国で独自歴と西暦が併記されているのが現状ですネ。 なお、日本でグレゴリオ暦が導入されたとき、変な現象が起こりました。 それは、明治5年12月2日の翌日が、明治6年1月1日となってしまったということです。 以上kawakawaでした
- uran3
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「国立天文台・天文ニュース」(参考URL)に、 “日本で西暦を日常的に使用するようになったのは第二次大戦以後のことで、 明治から昭和20年までは、神武天皇即位紀元(皇紀)がよく使用されました。” という記事がありますので、y-yazawaさんのおっしゃる通り、一般に使われる ようになったのは、「昭和」それも「戦後」ということのようです。 当然それ以前にも、一部では「西暦」を使用していたのでしょうが… また、暦全般については、こちらにも詳しい説明が… その中の「暦の歴史」は参考になるかもしれません。 http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/koyomi.htm
お礼
返事をいただきありがとうございました。 私も戦後の教育改革から教育で西暦が使われるようになったと思います。
お礼
詳しい返事をいただき大変勉強になります。 西暦という暦について知ることができました。 私が思っている以上に暦とは奥が深いのですね。 ありがとうございました。